推しの押しが強いです
サクラがきょとんとしていると、セオドアは眼鏡のブリッジを持ち上げた後、真面目な顔で説明をした。
「きみが魔法を使うときに、きみの下腹部、へその辺りに軽く触れて、私の魔力を流す。きみの魔力のつまりを私が正すと思えばいい。新入生には、よくやる対処法だ。成功率は高いだろう」
(なるほど。つまりこれは……)
背中から彼に抱きしめられて、ドッキドキの放課後レッスン♪である。
そんなイベント、ゲームにあっただろうか。
(なかったような気がするわ! ミニゲームをクリアした後のセオさまの台詞は、そうか、しかなかったもの! 塩対応だったわ! そこがクールで素敵なんだけど!)
この展開は予想外だ。
(セオさまにバックハグされたら、わたしは確実に気絶する。意識なんて、保っていられない……そうなったら、また迷惑をかけてしまうわよね……)
彼の助けを断ろうと思うのだが、ひとつ問題があった。
セオドアの攻略法は、助けを断らないことが条件なのだ。もしも、断ったら、彼の好感度は上がらない。むしろ、下がるかもしれない。
(気絶して好感度を上げるか、断って好感度を下げるか……究極の二択ね……)
サクラが真剣に考え込んでいると、セオドアが目をそらしながら呟く。
「私が触れたら、迷惑かな……?」
語気が弱まった声に、サクラは反射的に首を横にふる。
「そんなことはありません! むしろご褒美すぎて……!」
「……ご褒美?」
セオドアが真っ直ぐこちらを見て、サクラはビクッと体を震わせうつむいた。
(あなたからのバックハグはご褒美なんですって告白するところだった……危ない)
サクラはどうしよう、どうしようと焦り、断ることにした。
「セオさまにそこまでしてもらうわけには……先生にも練習してみなさいって、言われていますし……」
ボソボソと呟くと、セオドアは大きく息を吐き出した。
「……そうか」
重いため息だ。顔を見なくても、彼の好感度が下がったのが分かる。サクラは沈黙に耐えきれずに、持っていた水晶玉を握りしめた。
(やっぱり、素直にお願いしますって言えばよかったかも……ヒロインはそうしていたじゃない……その方がセオさまも嬉しいわよね……)
こういう所が可愛げがないなと自分でも思う。でも、ヒロインみたいなキラキラした笑顔で人に助けを求めるなんて、できない。
そんな経験、前世ではなかった。助けを求めるより、自分が何とかしなくちゃいけないと思っていた。その過去を否定はしないが、ヒロインみたいに素直で可愛くなれたら、魅力的だなと思ってしまう。
(こうやってウジウジするから、元彼にも二番目とか言われてポイ捨てされるのよ! あー、もう、嫌ねー!)
ひねくれた自分に腹立たしくなっていると、不意に寒気がきた。
(さぶっ……なんで、急に……)
サクラは制服の上から、腕をさする。冷気は前から出てきているようだ。
顔を上げると、セオドアの眼鏡が光っていた。
表情が見えないまま、無言でズンズン近づいてくる。
(え? え?……えぇぇぇええ!?)
セオドアはサクラの肩を掴む。ちょっと怖くなって、サクラはひぇっと声をだした。
「遠慮するな。きみは困っているんだろう?」
(推しの押しが強い!!!)
サクラは彼の意外な行動に、ぽかんと口を開いた。
序盤の彼は無表情で無口で、こんなにグイグイくるキャラではなかった。グイグイくるのは、好感度が上がりきった終盤で、ちょっぴり大人の耽溺ルート入りしたときだ。
(なんでこんなに圧が強いの……? 今は序盤のシナリオよね……? えっ? 違うの……?)
灯火魔法のミニゲームがあるということは、今のシナリオは序盤のはず。ルート分岐はなく、好感度は上がっていないはずだ。それなのに、まるで好感度がカンストしたような彼の行動に、サクラの頭の上にハテナマークが浮かぶ。
惚けている隙に、セオドアはサクラの体を反転させてしまう。背中から包み込むように抱きしめられ、宝物に触れるように彼の手が、おなかに添えられた。
「この体勢で、魔法を発動させてみなさい。タイミングを見て、私の魔力を流す」
推しの声が頭の上から降ってきて、サクラの思考が現実に戻ってきた。濃厚に密着した体勢に気づきサクラは心の中で、絶叫した。
(わあぁぁぁ! バックハグされたぁぁぁ!!!)
いつの間に、と思っても、もう遅かった。
背中越しに伝わる彼の熱、逞しい体躯。手も腕も、体の大きさも、自分のそれとは違う頼もしさがあった。こうして包み込まれていると、彼は男で、自分は女であることを強く実感させられる。
(て、手汗がやばい……立ってられない……)
推しの抱擁に限界がきて、サクラは半泣きながら懇願した。
「で、できません……離れて……ください……」
声を振り絞りだすと、セオドアはため息を吐き出した。はぁ、と音が聞こえるほど、大きな息がサクラの耳朶にふきかかる。
(吐息はまずいですぅぅぅ! ゾクゾクします! 鳥肌がたちますー!)
もうダメだ。全身の力が抜ける。
サクラは目を回しながら、セオドアの背中に体重をあずけた。彼は反射的にサクラの腰を支える。またひとつため息を吐かれ、形のよい唇がサクラの耳に軽くふれた。
「……少しだけ、我慢してくれ」
なだめるような声が聞こえた次の瞬間。
「《俺に服従しろ》」
血まで凍るような声が、鼓膜をゆらした。
脳天から足のつま先まで電撃が走ったような衝動がきて、サクラの身体はびくんと震える。
(……え? なに今の……? 魔法?)
授業で習っていない魔法にサクラはキョトンとする。あれほどまでにパニックになっていた心が落ち着いていた。それどころか。
(……なんだか、眠い……)
まぶたが重たくなる。とろんとした目をしていると、セオドアはサクラの耳元でささやきかけた。
「サクラ、そのまま魔法を使ってみなさい」
彼の言葉に従い、サクラは水晶玉に両手をかざす。
「俺の手を感じて――」
(感じて……)
「水晶玉を見ろ」
(水晶玉……)
「《分け与えよ》」
(あれ?……全身が、ぽかぽかする……)
「いまだ。魔力を解放しろ」
(解放)
サクラの手のひらがあたたかくなる。仄かなあたたかさは、水晶玉へと流れていき、ぽっと火が灯った。
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