失態2
解呪を試みていた呪が、まさか関係のないレイモンドにかかってしまうとは。完全に呪術師失格である。
ルルリーはひとがたを用いて呪を移そうとしてみるが、レイモンドを覆っている黒いもやは微塵と動かない。
「どうしよう……!」
目の前で、呪いで人が死んでしまう。
想像するだけで手が震え、息が乱れてくる。
(落ち着かなきゃ)
ルルリーは胸に手を当て、必死で息を整えた。
「もう小さいルルリーじゃないんだから」
昔、ルルリーは自分の持つ力を知らず、相手を恨み、呪い殺そうとしたことがあった。
その時助けてくれたのがフィテシュ、師匠であった。
しかし、今は師匠はいない。ルルリー一人で解決しなければいけないのだ。
ルルリーは顔を上げ、手のひらをレイモンドの体に当てた。
今まで物質に対してであれば、祝福をかけることができた。が、人に対して祝福をかけたことはない。
一度師匠にかけてみたが、まったく反応なしであった。それ以来、人にかけようとしたことはない。そもそも、他人に知られると大変なことになるため、この力を磨くことをしてこなかったのだ。
「やるしか、ない!」
ルルリーは手のひらに力をこめる。
白い光が手の中に集まってくるが、うまくレイモンドの体に入れることができない。
その間にも、刻一刻と時間は過ぎていく。レイモンドの手は肘まで黒い染みに浸食されていた。
「手ではうまく入れられないのかな」
ルルリーは一度瞳を閉じ、一考する
とにかく今は余計なことを考えずに、なんでも試してみるしかない。
(手以外で。体の中へと力を送りやすいところ……)
レイモンドの顔を覗き込む。
美しい顔だが生気がなくなり、まるで人形のように血の気が引いていた。
ルルリーはレイモンドの顔を両手で挟み、そのまま自身の顔を近づける。
一度深呼吸をして、意を決したかのように口づけをした。
そして、もう一度祝福の力をこめる。
すると、レイモンドの体が白く輝きだした。
(できた!)
一気に祝福の力をこめる。
どんどん白い光は強くなり、店の中を照らしていく。
そして、周囲が見えぬほど真っ白に輝いたかと思うと、急に光は消えた。
ルルリーはゆっくりと唇をレイモンドから離す。
真っ黒に変色していた手は、元の肌の色を取り戻している。顔も徐々に血の気が通いだす。
黒いもやも一つ残らず消えていた。
呪いを打ち消すことができたのだ。
ルルリーが喜びに浸っていると、ぱちりと、翡翠色の瞳が目の前に現れた。
すっかり忘れていたが、顔を近づけたままであった。相手の息遣いが直に伝わるほどの距離だったのだ。
「ご、ごめんなさい!」
ルルリーは飛び上がり、一気にレイモンドから離れた。
レイモンドは頭を押さえながら起き上がる。
「一体、何が?」
「え、とですね……」
観念するしかないだろう。
ルルリーは今までのことを包み隠さずに話すことにした。
「呪われていた、だと」
レイモンドは信じられない、と言うように目を見開く。
まだ具合が悪いのか、机にひじをついたまま椅子に座っている。
ルルリーも流石に力を使いすぎたのか、一気に疲労が体に押し寄せていた。レイモンドの向かいの椅子にへばりつくように座り込む。
「は、はい。もう一目見て分かるほどすごい呪われ方でした。ただ、呪具を使ったものではなく、様々な人の妬みが怨念となり呪われていたので……普通の解呪は困難だったんです」
「そんなことがあるのか」
「ごく稀に、ですが。多分、レイモンド様は呪いに対する感受性が高いんです。呪いを集めやすい体質なんだと思います」
「……そんな体質の私の呪いをどうやって解いたんだ?」
ルルリーは口を開いては閉じ、開いては閉じた。
祝福の力のことを話すしかないのは分かっているのだが。
目の前の男性が信頼できる相手かどうか、判断できるほど付き合いがないのだ。
「話しにくいことなのか?」
「……今から話すことを、誰にも言わないと誓ってくれますか?」
ルルリーは珍しく真っすぐレイモンドの瞳を見つめた。
紺碧色の瞳と、翡翠色の瞳が交錯する。
「私を助けたのはお前なのだろう? 恩人の願いを断る訳がない。不安であれば、誓約書を書くか。それとも誓いの呪具でも使うか」
「そ、そこまでしてもらわなくて大丈夫です!」
誓いの呪具とは、お互いに呪具に向かい誓約し、その誓いを破れば命が奪われるものである。呪術が最盛期を迎えていた過去に、国同士の取引などでよく使われていたものだ。今ではその呪具を使用することはまずない。
「信用して言いますが……私は、祝福と言う力が使えるんです」
「祝福?」
「様々な呪いを防いだり、解呪することができる力です。と言っても、上手くコントロールすることができなくて。物に祝福をこめるのが精一杯だったのですが」
「だからあの茶を飲むとすっきりしたのか」
「はい、でも、会うたびに呪われていたので、長期的な効果はなかったようです」
「そんなに私は呪われていたのか」
「あ、でも今回は私の責任なんです。解呪しようとした呪いが、なぜかレイモンド様のほうに飛び出してしまって。こんなことなら最初から祝福の力を使って、解呪しておけばよかったです」
自分が呪術師であるという自負がルルリーにはあった。そのため普段解呪に祝福を用いることはほとんどない。自らの呪力を使って丁寧に解呪を行うことが好きだったのだ。まあ、祝福の力をうまく使いこなせない、と言うのもあるが。
元々茶葉に祝福をこめてみたのも、ちょっとした好奇心からであった。
自分の力に今まで向き合ってこなかったつけが回ってきたのだ。
「今回は祝福はうまく使えたのか」
「え、と。はい。まあ、そうなりますね」
ルルリーは思わず下を向く。
まさか口づけをして祝福しました、などとは言えない。
言えばどのような事態になるのか。恐ろしくて想像もできなかった。
すると、急にレイモンドが立ち上がり、ルルリーのそばに跪いた。
「な、なんですか?!」
「ルルリー嬢、助けていただき感謝する。ここ最近ずっと頭が重く、思考が鈍っていたのだが。今はとてもすっきりしている。本当にありがとう」
そういってルルリーの手をとると、そのまま手の甲に口づけをした。
あまりの事態に一時思考が停止した。
そして何が起きているのか理解すると、ルルリーの顔は一気に真っ赤に染まった。
「やめてください。騎士様なんですから、早く立ってください。私のことも呼び捨てでいいですから!」
「そうか。なら私のことも呼び捨てで構わない」
「できるわけないでしょう!」
「ならレイと呼んでくれ」
「はい?」
増々無理な相談だ。
呪いが解けて急に態度が変わったレイモンドに、ルルリーは困惑していた。
まさか呪いはまだ解けていないのだろうか。忠誠を誓う呪いでもかけられているのか。
女嫌いで有名なレイモンドが、このような言動をとるなど。誰が信じられるだろう。
レイモンドは先ほどから跪いたまま、子犬のような目でルルリーを見上げてくる。
顔面の破壊力がすごい。世の女性たちが見たら鼻血を出して倒れること間違いなしだ。
「あ、あの、いい加減に立ってください」
レイモンドの視線に耐え切れず、ルルリーは目をそらした。
「助けられた恩は必ず返す。困ったことがあれば、いつでも言ってくれ」
どうやら意外に忠義に厚いタイプだったらしい。
「恩に感じることはないです。私の失態のせいで、レイモンド様は……」
咎めるような視線を送ってくるため、ルルリーは仕方がなく言い直す。
「レイさんは呪いをさらに受けて死にかけたんです。むしろ私がお詫びをしなければいけない立場なんです」
さん付けに対してもまだ気に入らないようだが、ルルリーは無視をする。貴族であるレイモンドを呼び捨てになど、平民であるルルリーができるはずないのだ。
「それでも、いまだかつてないほど体が軽い。それはルルリーのおかげだ」
よほど呪われていた状態がつらかったのだろう。もしかしたら、剣もうまく使えないこともあったのかもしれない。
「あの、私。今回の責任をとって、ちゃんとレイさんの呪いを解きますから」
レイモンドの特殊体質の謎が解けなければ、またすぐに呪がかけられるだろう。
しかも今回のことで、レイモンド自身にかけられた呪でなくても、引き寄せてしまう体質であることが分かった。
定期的にみなければ本当にいつ倒れてもおかしくない状態だ。
「俺はまた呪われるのか」
「おそらく、その可能性が高いです。あの、いい加減立ってください」
先ほどから跪いたままのレイモンドに立つことを促すため、ルルリーが立ち上がる。
立ち上がったと同時に、視界が回りだし、地面がどこにあるのか分からなくなる。足の力が抜けていく。
そのままルルリーの視界は暗転した。