失態
「フィテシュさんはまだ帰らないの?」
サナがルルリーの前にある机にお盆を置く。本日の定食は白身魚のフリットとトマトのスープだ。
ルルリーはサナの両親がやっている宿屋兼定食屋に来ていた。ちなみに、あのちんぴら達に絡まれてから一週間は経過している。
「うん。今回は長いみたい。でも大丈夫。何とかやってるから」
「ならいいんだけど」
サナもルルリーの向かいに座り、一緒に定食を食べ始める。
フィテシュと言うのはルルリーの師匠のことである。呪術のうわさを聞くと隣国まで足を延ばすほどの呪術狂だ。弟子のルルリーにもその片鱗が見え隠れしているのだが。
「そういえば、あの騎士様とはどうなったの? あれから気になってたんだから」
「……騎士様。レイモンド様のこと?」
「そうよ! あれからいろいろお客さんに聞いてみたんだけどさ、彼すごいらしいよ」
サナ曰く。
レイモンドは若干二十歳にて騎士団の第三小隊隊長に任命されたのだと言う。
異例の出世だと言われており、騎士団内では反発も多いらしい。
「しかもさあ、王都の騎士団って貴族が多いでしょ。レイモンド様は元平民なんだって」
「元……?」
「お父様は伯爵家の貴族らしいんだけど、お母様は平民なんだって。いわゆる妾腹の子どもで、最近まで認知すらされてなかったらしいよ」
すごい情報網である。
いつもながら、サナの情報収集能力には頭が下がる思いだ。
「苦労してきたんだね」
だからあんなに無愛想なのだろうか。
「みたいね。けどさ、すごく愛想悪かったよね。女嫌いらしいよ」
「っぽいね」
適当に相槌を打ちながら白身魚のフリットを食べる。さくふわで美味しい。
「その女嫌いの騎士様がさ、ルルリーにお礼をしてほしいだなんて不思議だよね。何だったの?」
「んー。仕事に関することだからあんまり言えないんだ」
一応守秘義務、と言うものが呪術師にもあるのだ。
信用第一の仕事のため、客の情報をぺらぺらと話すわけにはいかない。
「じゃあ呪術に関する頼み事があったの? 女性としてルルリーが気になった訳じゃなくて」
友人の思わぬ言葉に動揺し、ルルリーはむせこんだ。慌てて冷たい水を飲みほす。
「女性に見られてるわけないから。サナが期待するようなことは何一つないよ」
あれから店にレイモンドは来ていなかった。
茶葉がなくなる頃に来るだろうか。
呪いが上手くとけていればもう訪れることはないはずだが。
サナの話を聞く限り、レイモンドはかなり妬まれる立場にいる人間のようだ。
しかも呪に対する感受性も高い。茶葉以外に何らかの処置が必要かもしれない。
何か身に着けさせて、呪を受ける前にバリア出来るような仕組みが必要だろうか。
「ちょっと、ルルリーちゃ~ん」
すぐ目の前にいるのにサナが手を振ってくる。
「ん、なに?」
「今、呪術のこと考えてたでしょ」
素直に頷くルルリー。
「すぐ分かるよ。なんだか楽しそうな顔してるもん」
「そ、そうかな」
正直呪術のことを考えている時が一番楽しいのだ。
人を呪うのが好きという訳では断じてないが。
「あ、そうだ。ルルリーに仕事の話があるんだった」
「仕事?」
「そ。ここじゃ人目が多いからさ。うちの居間のほうに来てよ」
食べ終わった食器を返却口に戻すと、二人はそのままサナたち家族の居住スペースの方に向かった。
居間のソファに座ると、サナが手際よくお紅茶を煎れてくれる。
「あのね、うちのお客さんの忘れ物なんだけど」
そう言って、机の上にあるものを置いた。
それは一見ただの箱であった。
女性の両手の上にすっぽりと乗るくらいの大きさだ。装飾はシンプルだが蓋を開けるためには鍵が必要なようだった。
「一応忘れ物だから取りに来たらいけないと思って保管してたの。でもなんかたまにカタカタ動くのよ、これ。お客さんの連絡先も分からないし。捨てていいものか……不思議と不気味に見えてね。一回ルルリーに見てもらいたくて」
ルルリーは箱が視界に入ってきた瞬間から目を見張った。
箱からは黒いもやが漂い、呪術師にしか分からない呪力を感じることができる。。
間違いなく呪に関するもの。呪具の可能性が高かった。
「……これ、預かってもいい? と言うか、ここには置いておかないほうがいい」
「呪具ってこと?」
「うん。もしお客さんが取りに来たら知らないふりをした方がいいかも」
「分かった。ルルリーありがとう。お代は今払ってもいい?」
「うーん。多分一般的な呪具だとは思うんだけど。また解呪ができてから支払いお願いしようかな」
友人同士だが、仕事に関してはお代はきっちりもらうことにしていた。
と言うのも以前も客が呪具を忘れて大騒ぎになったことがあり、ルルリーが対応したのだが、お代を断るとえらくサナから怒られてしまったのだ。
技術の安売りはご法度、という訳だ。
その後軽く雑談をして、ルルリーはまっすぐ呪術店に帰った。
早速箱を分析してみる。
箱型の呪具は多く、中には呪いたい相手の髪の毛や体液、そして何らかの呪物が一緒に入れられていることが多い。
ルルリーは解呪のために紙のひとがたと円を書いた紙を用意した。
円の中に箱を置き、書かれた円へ呪力をこめていく。十分に呪力が行き渡ると円が黒く光り、紙から浮かび上がり立体的になる。
「これでよし」
それは、呪いが飛散しないようにするための囲いのようなものであった。
次は箱を開ければいいのだが、ご丁寧に鍵がされていた。
どうやら鍵にも呪がかけられているようだ。
「面倒だから、えいっと」
本来であれば繊細に呪を解析しながら鍵を開けなくてはいけないのだが、
ルルリーは膨大な呪力を持つが故に、そのまま呪力を鍵に直接ぶつけ破壊した。
呪術師として規格外なことをやっているのだが、そのことに残念ながら本人は気づいていない。
「ん、簡単に壊れちゃった」
壊した勢いのまま箱を開ける。
開けたと同時に呪力をまとった黒いもやが飛び出してくるが、囲いに阻まれてそれ以上広がることはなかった。
それよりも、ルルリーは箱の中身をみて眉をひそめた。
箱の中には呪核と呪獣の臓物を乾燥させたものが入っていた。呪いたい対象者の物質が入っていないのだ。
「これは……」
対象を特定しない、無差別型の呪具であった。
世の中には誰でもいいから呪ってやりたい、という破滅的思考の人間が稀にいるものなのだ。
このタイプの呪具であれば、紙のひとがたを対象者と認識させ、呪力を発散させれば解呪が可能だ。
ルルリーは紙のひとがたを手に取った。
対象者と惑わすための紋様を描くために、筆を用意している時であった。
チリンチリン。
入り口の鐘がなり、扉が開かれる。
(あ、カギ閉めるの忘れてた)
呪具を扱うときは、店の扉は鍵をして誰も入ってこれないようにするのが常だが。ルルリーは目の前の呪具にすっかり夢中になり忘れていた。
「ご、ごめんなさい。いま取り込み中で……」
中に入ってきたのはレイモンドであった。相変わらず美しく、背中には黒いもやを背負っている。茶葉が切れたのだろうか。
呪具はルルリーの制御下にあるため大丈夫だろうが、さすがに接客をする余裕はない。
レイモンドに後日の来店を促そうとしたとき。
呪具の呪力が急に増大し、信じられないことに囲いを打ち破った。
そして黒いもやは獣のような形を取り、レイモンドに向かって駆け抜けていく。
「危ない!」
叫んだと同時に黒いもやの獣はレイモンドの胴体へ体当たりをする。その勢いに押されるかのようにレイモンドが倒れた。
「っっっ?!」
呪術師以外には黒いもやが見えないため、レイモンドは急に衝撃を受けた形になる。
「レイモンド様!」
慌てて駆け寄るが、レイモンドの体全体を黒いもやが覆っている。それどころか手の先までも黒く変色しだしている。呪いが可視化しているのだ。
レイモンドは横たわったまま目を閉じ、意識がもうろうとしている様子である、
「そんな、なぜ……?」
急激に呪いが進行し、黒いもやがどんどんレイモンドを覆い隠していく。
呼吸は浅く早くなり、顔色はどんどん悪くなっていく。
ルルリーは焦り、事前に祝福をかけていた茶葉をレイモンドの体の上にばらまく。
一瞬黒いもやが消えるが、またすぐに復活する。
(ど、どうすればいいの?!)
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