呪い、再び
あれから一週間。
呪術店には客がほとんど来なかった。と言ってもそれが通常営業なのだが。
師匠はまだ帰ってこないため、ルルリーは一人で食料品を買いに市場に来ていた。
黒髪ができるだけ目立たないようにフードをかぶり、うつむいて歩く。
王都の庶民達の台所とも呼ばれているエッケル市は、いつ来ても人通りが多く賑わっていた。
いくつもの屋台が細い路地にひしめき合っており、野菜や鮮魚を売る店もあれば、串刺しの肉などを売っている店もあり、香ばしい匂いがあたりには漂っている。
「ルルリー!」
人ごみの中で声をかけられて思わずびくりと肩を揺らすが、声をかけてきた人物に気が付くとルルリーは表情を緩めた。
「サナ……」
ポニーテールにした榛色の髪が歩くたびに揺れる。髪と同じ色の瞳は猫のように丸く、すこし吊り上がっているが、それがとても魅力的に見えた。
サナはルルリーの手を握り、その紺碧色の瞳を覗き込んだ。
「しばらく見なかったけど、元気だった?!」
彼女は宿屋の娘だがエッケル市には仕入れにやってくるため、たまにルルリーと会うのだ。以前、市場で師匠とはぐれて途方に暮れていたとき、助けてくれた事がきっかけで仲良くなった。
呪術師であるルルリーのことを怖がらずに仲良くしてくれる数少ない友人であった。
「お師匠さまが留守で、いろいろ忙しかったの。でもさすがに食料が尽きて来たから買いにきた」
呪術の勉強や呪具の整理をしているとあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
師匠がいるときは適度に休憩をとるようにしているが、一人だとつい寝食を忘れて没頭してしまう。。
「そんなことだと思った! そろそろ店に行こうかと思ってたくらいよ。ルルリー、ちゃんと食べなきゃ大きくなれないよ」
いつもダボっとした服をきているため体の線は分かりにくいが、腕も足も町の少女たちと比べるとルルリーは一回り細かった。
「うちに来て定食でも一緒に食べよう」
返事も聞かずにサナは強引に手を握り歩き出した。
これが二人のいつものパターンであった。
サナの家は宿屋兼食堂をしており、そこの定食はボリュームがあり町の人から人気があった。もちろん、看板娘のサナ目当てのお客もいるが。
「今日の定食はチキンのハーブ焼きと香味野菜の煮込みスープなのよ。美味しそうでしょう」
想像するだけでおなかが減ってくる。
ルルリーは朝起きてから何も食べていなかったことに今更気づいた。
空腹を自覚すると途端に力が出なくなる。ルルリーがサナに引っ張られながらもたもた歩いていると、その肩に強い衝撃が走った。衝撃を受け止めきれず、しりもちをついてしまう。
ぶつかった相手は見るからに悪そうな、いかつい男二人組であった。
「いってー! あー、これは骨が折れたわー!……って、うお! 黒髪!」
先ほどぶつかったせいで、ルルリーの頭のフードが少しずれてしまっていた。隙間からは美しい黒髪がぱらりと見える。
黒髪に対する偏見は強く、大抵のちんぴらは黒髪を見ただけで去っていく。呪術師と言うだけで、世間からは恐ろしい呪いをかけるのではないかと嫌われているのだ。実際はそんなに簡単に人に呪いをかけることはできない。供物や手順通り儀式を行うことが必要になるし、時には呪具を使わなければいけない。一番簡易なもので人形に釘を刺す呪い方があるが、呪う相手の髪の毛が必要となる。ちなみに、準備が簡単な呪いのため効力も弱い。せいぜい鳥の糞が落ちてきたり、虫にさされたり、ちょっぴり不幸なことが起きる程度である。
呪術師の弱点は即効性のある呪術が使えないことだった。呪術には入念な準備が必要なのだ。
なので、このような変な輩に絡まれたときは、何事もなく去ってくれることを祈るだけである。
「うっわ、最悪! まさか呪術師か? きったねえものに触っちまったわ。早く行こうぜ」
坊主頭のチンピラが一緒にいたモヒカン男に話しかける。
(うん、このまま去っていって!)
しかし、ルルリーの祈りは届かなかった。
「ちょっと! 私の友達に向かって何言ってくれてるのよ! ルルリーは可愛らしい女の子よ、汚くなんかないわ!」
(サナ……!)
思いがけない友人の反撃に、ルルリーはうれしさと同時に焦りも生まれる。
なぜなら、男たちの標的がサナへと移ってしまったからだ。
「お~、なんだよ、めちゃ可愛い子じゃ~ん」
「俺たちと遊ばな~い?」
男二人がサナを取り囲む。
サナは腰に手をあてて、威勢よく男たちをにらんでいた。が、上目遣いになっているため、可愛さが増しているだけである。
「うっわ、ちょう可愛いんですけど~」
「俺、マジで惚れちゃったかも」
モヒカン男がサナの華奢な手を無理やり掴んだ。
「いたっ、ちょっと、離してよ! 触らないで!」
(サナが危ない……!)
ルルリーは慌てて立ち上がりモヒカン男の腕を引っ張った。だが、ルルリーは見た目通り非力であった。
男はびくともしない。
それでもなんとか友を助けようと、男の野太い腕にかきつき爪を食い込ませる。
「ってぇ! くそっ、さわるな、鬱陶しいなぁぁ!」
モヒカン男は思い切り腕を振り払うと、ルルリーはその勢いのまま飛ばされた。石畳の道が顔や腕に容赦なく擦り傷を作っていく。
「ルルリー!」
倒れたルルリーに向かって更に男が蹴りをいれようとした瞬間。
「何をしている……」
倒れたままのルルリーの瞳には、見たことのある黒い革靴が映った。そのまま見上げていくと、騎士の服を纏った美しい男が立っていた。
流れるように美しい銀色の髪、宝石をそのままはめ込んだような翡翠の瞳。美しい形の唇は横にキュッと結ばれている。
レイモンドだ。
腰に結んである剣に手をかけたまま、男たちを睨みつけている。
先ほどまで遠巻きに事を見守っていた群衆がざわめきだす。
「第三小隊のレイモンド様じゃないか?」
「異例の若さで小隊長に選ばれた奴か」
「すごっ。本物はめちゃかっこいい……」
チンピラたちは舌打ちをしてレイモンドを睨みつける。
「騎士がふんぞり返りやがって!」
「今日はこれくらいにしてやるよ!」
全くもって意味不明の捨て台詞を吐いて、男たちは去っていった。
サナはすぐにルルリーに駆け寄る。
「大丈夫?!」
ほっぺや腕に擦り傷ができてしまったが、幸い傷は深くはなさそうだ。放っておけば治るだろう。
「だ、大丈夫。それに見て、これ」
ルルリーは男の腕をつかんだ手をサナに見せる。
「つかんだ時、少し引っ搔いてやったの。爪の間に皮膚片がとれたから、呪おうと思えば呪えるよ」
そういって純粋な少女のように微笑む。
「おい、呪術師。そんなことをすれば法律違反になり、捕まるぞ」
レイモンドが近くに寄ってくる。見れば見るほど美しい男だが、眼光は鋭く正直威圧感が半端ない。ルルリーは視線を避けるように下を向いた。
「……冗談ですよ。呪いません」
全く冗談には聞こえなかった。
法には抜け道もあり、証拠さえなければ人を呪うことは可能なのだ。
ルルリーは店に帰ったらどのような呪術を使ってやろうかと、思考を張り巡らす。
そして、いま、やっと気づいた。
レイモンドのほうを恐る恐る見つめる。
その背中には黒いもやが未だに存在していた。
(この人、なんでまたこんなに呪われてるの?!)
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