3.2
馬車は貴族街の更に奥、特に閑静で高級そうな敷地の前で停まった。とりあえず塀が高すぎ、敷地外からは建物が全く見えない。頑丈そうな鉄の門扉が音もなく開き、滑るように馬車が入っていく。馬車から降りると(当然のごとくエストが優雅にエスコートした)、建物の前には血色の悪そうな執事とメイド達が列をなして並んでいた。
「ようこそいらっしゃいました、ヴァルマ様」
「様子は?」
「いつも通りでございます」
エストは慣れているのか自分の家のように執事に話しかける。そして勝手知ったるという感じで屋敷の中に入っていった。
馬車の中でエストに聞いた話では、この屋敷はホルクロフト侯爵の家。屋敷の主はトリスタン・ホルクロフト、代々王侯貴族を専属で見てきた医術師だ。エストが向かっているのも当主の部屋、つまりトリスタンの部屋だろう。
「トリスタン、調子はどうだ」
エストがノックし、声をかけると不機嫌さを煮詰めたようなくぐもった声が聞こえる。
「……わかってんだろ、クソドラゴンが……」
(侯爵、口が悪い……)
「どうせ例の件だろ、帰れ」
「いや、今回はお前に紹介したい人物がいる」
「うぜぇ……会うわけねーだろ、このクソなタイミングで……」
「俺の婚約者だ」
(はぁ!?)
ユーリががばっとエストを振り仰ぐと同時に、室内からドスドスと駆け寄る音がし……ドアが勢いよく開く。
茶色の髪の青年が寝間着で姿を現した。
「婚約者!?」
トリスタンはエストを見、目線を下げてユーリを見た。
「嘘だろ、このちんちくりんが!?」
侮られることには慣れているが、さすがにカチンときた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
部屋に入れてもらい、トリスタンと向かい合いながらお茶を飲む。先程メイドが淹れてくれた紅茶は香りが良く、とてもおいしい。トリスタンは不躾な、というより明らかに胡散臭そうな目でユーリをじろじろ見る。
(病人って聞いてたのに、全然そんな感じじゃないな……。というか医術師として偉大な功績をなした立派な侯爵という前評判だったのに、それも違いそうだな……)
「それで……もしかしてこれは人間か?」
「そうだ」
エストが紅茶を優雅にすすりながら答える。
「はっ、こんな時期に俺が嫌がるのを承知で人間の婚約者を見せびらかしに?」
「ちなみに婚約者というのは嘘だ」
「は?」
「お前と会って話したくてな。扉越しでは信じてもらえなかっただろう」
「何を?」
「この方は、ユーリは陛下の魂を持った彼女の生まれ変わりだ」
「……」
トリスタンは一瞬何を言われたのかわからない、という顔をして、すぐに盛大に吹き出した。
「あはは、耄碌したか、ドラゴン! こんな人間のガキがあの方の生まれ変わりのわけがあるか!」
大笑いされているが、エストは相変わらず余裕だ。
「転生する種族は元と同じとは限らない。俺は彼女に魂を惹かれるのを今も感じている」
「ふん、俺は全く感じないな」
「それはお前が拒絶しているからに過ぎない」
「……」
「それに決定打がある。もう一人が彼女の側にいる」
トリスタンの目が昏く光る。
「……どっちだ?」
「魔女だ」
「……そうか……」
彼は初めて気落ちしたかのような表情を見せた。それは瞬間のことだったので、彼が次に顔を上げた時には彼の目は相変わらず親しみは欠片もなく、むしろ更に挑むようにユーリを見た。
「だが、俺が信じるかどうかは俺が決める」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「カード、ボードゲーム、チェス、球技、剣術、体術、どれにする?」
(なんでこんなことに……)
「というかなぜ私がゲームをすることに……?」
「俺は陛下にあらゆる勝負で勝てた試しがなかった。だからお前が陛下の生まれ変わりだというなら、それを証明しろ」
「そんな無茶な……」
トリスタンは医術師であるという。つまり彼は昔話の吸血鬼の王様に当たる人物だろう。ゲームは好きだ。だが、ドラゴンもそうだが、人間よりあらゆる能力に優れた吸血鬼に勝負を挑む羽目になるとは。
「ユーリ、俺からもお願いします。彼の気の済むように付き合ってやってください」
耳打ちで、こっそり「ボーナスもはずみます」と言われ、やる気が出る。
「やる前から負けるかも、なんて考えてちゃ良くないよね」
「はっ、いいね。ちょうど俺の具合が悪いのもハンデになるんじゃないか。お前が勝ったらお前らの希望を聞いてやるよ」
(希望……エストがここに来たのは病気の友達の見舞い、ってだけではなかったのかな……?)