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2.4

エストラーダはユーリが去った方を見て、数百年前のことを思い出していた。


彼女が死んで、同胞たちの反応はそれぞれだった。慟哭する者、憤怒する者、呆然自失となる者。エストラーダは機械的に動くことにした。あまりの喪失感に身体が生命活動を停止しそうな気がしたので、情動を封印したのだ。つまり彼女の死に向き合うのをやめた。


彼は同胞たちの気持ちを鎮め(もちろんただでは済まなかったが)、彼女がいなくなった後の軍団の解体を進めた。

彼女というカリスマを失い、それぞれアクの強い同胞たちは結束を失った。烏合の衆となった魔王軍が勇者や連合軍に殲滅されるのを防ぐため、彼は各地の配下の武装解除を伝えていった。結果として彼のその行動が救った命は数万に及び、現在に至る後の世界の種族間のあり方にも大きな影響を与えた。


しかし当時の彼を理解するものは少なく、感情に任せ報復行動を取ろうとする配下達が多かった。そういった場所では降伏姿勢を取るエストラーダは裏切り者と呼ばれ、戦闘になった。戦闘の結果傷つくことがあっても、彼はその傷を当然のものとして受け入れた。むしろ激しい戦闘が彼の心を慰めるような気がしていた。


彼は彼女の最後の言葉から、彼女が何を望んでいたかを考えた。彼女のことを少しでも考えると封印した心から血が溢れ出しそうな気がしたので、それほど多くの時間を思い出せなかったが。そしてその結果、彼は獣人族という種族が人間と対等に生きれるよう取り計らうことにした。

その頃には魔王軍の解体も進み、やることもなくなってきていたこともあった。ある仲間のように世捨て人のように野に出ていくことも考えたが、余りに膨大な時間、暇になると余計なことを繰り返し考えそうで嫌だったので、精力的に活動した。


各地で武装勢力の解散を行った功績を買われ、新設される王立騎士の役職に推挙された時も、暇を疎んじて受けることにした。獣人の利権向上と引き換えに、人間が彼の戦力を欲しがった、という側面もあった。人間の国王、魔王を殺した勇者に仕えることになるが、特に抵抗を感じなかった。

報復を訴える強硬派からはより一層恨まれ、命を狙われることも多くなったが、相変わらず機械のように自分のなすべきことをした。


獣人の利権確保の時に政治的なことにも参加したが、自分には向かないと感じた。やはり戦いの中に身を置いている方が落ち着いた。特に数少ないが自身が血を流すような激しい戦場が良かった。

他の種族や人間の中には親しい者が死んだ時に、自分も死んで側にいく、という考えがあるようだが、自分はドラゴンなのでよくわからない。死とは無だ。それ以上でもそれ以下でもない。あらゆる死は等しいはず……だったのに、彼女の死は無ではなかったのか。


記憶の中の彼女の声が聞こえる。

(死んでも誰かの心のなかで生きる。そんな願いが人間にはあるんだ)

夜空の下、彼女は星に手をのばす。ドラゴン姿のエストラーダに彼女が寄りかかっている。

彼女はなぜか人間の風俗や思想に詳しかったし、理解を示した。

その時の話でも、彼女もそうなりたい、とは決して口にしていなかったが、彼女が人間の話をする時は彼女の願望が多分に含まれていることもエストラーダは気づいていた。


(死んでからも心を縛り付けて苦しめるなんて、残酷なことだ……)


ドラゴンの記憶力は人間と比べるべくもなく、長年を生きるのに数百年前でも瞬時に鮮明に思い出せる。花の香に似た彼女の匂い、楽器を奏でるような歌うような軽やかな声、戦場に降り立った時の凄まじい威圧感と時折見せる儚い佇まい、そして最期の輝きを失う瞳。

この先ずっとその思い出と生きていくのは、とても耐えられない。


彼は彼女の記憶を改めて強固に封印し直した。二度と彼女の記憶がこぼれ落ちてこないように。


彼は淡々と日常をこなした。数百年の間には、平和な時も多国間で緊張する時もあったが、特に彼の戦力、功績により問題は起こらなかった。出世して戦場に出る機会は減ったが、騎士団も拡張され忙しさが増したのはありがたかった。

特に今の社会や人間に興味はなかったが、獣人や魔族が人間社会に溶け込み暮らす姿を見ると、彼女に見せたかったな、という思いがよぎることがあった。だが以前のように強い感情が沸き起こることもなく、そんな自分に安堵するのだった。


そしてあの日。

騎士団の騎獣として捕まえてきた野生のドラゴンが1頭はぐれたと聞いていた。総帥であるエストラーダに直接知らされるレベルの問題ではないが、優秀な部下の情報収集によって騎士団内、王宮内のあらゆる問題、懸念事項は把握していた。


そのドラゴンが戻ってきたのだが、ドラゴンは戻るなり他の騎士の静止にも応じず、エストラーダの執務室に降り立った。エストラーダは気配を感じ、大きなバルコニーに続く窓を開け放った。途端、風にのって、あの花の香りに似た匂いが漂った。


瞬時に星空の下、戦場、最期の場所、彼女といた記憶がぶり返し、能力のコントロールを失った。それも1秒にも満たない時間だった。それ以上長かった場合、騎士団本部と、同じ敷地内の王宮は壊滅的な被害にあっていたかもしれない。感情を抑え込むことになんとか成功したが、部屋は惨状となってしまった。部下たちに気付かれ、ひどく心配された挙げ句、気を静める方法を提案され(部下たちは発情期だと勘違いしたらしい)、森に向かった。

あの匂いを届けてくれたドラゴンは彼のプレッシャーに耐えられず、またどこかへ行ってしまったし、あの匂いは勘違いだったのだと自分に強く言い聞かせた。


しかし、そこで彼女に再会した。


あの酩酊感を催す花の香りが漂ってきて、居ても立ってもいられなかった。ドラゴンの姿で1秒でも早く、と木々を薙ぎ倒して進んだ。

振り向いた彼女は、姿は変わっていたが、匂いですぐわかった。驚いて見開く眼差しを見つめながら、人の姿に戻り、彼女が幻ではないか確かめるため強く抱きしめた。


(貴女の願いは叶ったのだろうか)


彼女は今生は人間として生まれたらしい。魔王とは比べるべくもない脆弱な種族、翼の中でずっと囲って生きていけたら良いのだけれど。


彼女が受け取ってくれるなら、ドラゴンの生命力や能力をいくらでも分け与えてあげたい。でもきっと彼女は断るだろう。人間に憧れていたから。


きっと彼女のことでまたもどかしい思いをしていくのだろう。いつか無理矢理にでも寿命を与えようとしてしまうかもしれない。数十年先の自分が何を考えているか想像もつかない。今まで数十年なんてあっという間だったが、これからは1秒でも貴重な時間になる。それでも嬉しい。彼女との思い出を閉じ込めなくて良いという開放感を味わった。それにこれからは新しい思い出を築いていける。


「ユーリ……」


彼女と1秒でも長く共に過ごすために何ができるか考えよう。久しぶりにこの世界が彩りを取り戻したように思えた。


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