第七話 お婆さんの家が燃えた訳と、僕の故郷の産業と。
そのお婆さんはマオンと名乗った。納屋で二人、拭布で濡れた所を拭く。風邪等ひかないように早い処理が肝心だ。
少し落ち着いた所で、マオンさんが名前を名乗ったことから、僕もとりあえず、元太とだけ名乗っておいた。
マオンさんが名前だけを名乗った以上、僕が苗字を名乗るのがはばかられたからだ。名前と苗字を同時に名乗るのは何か不都合があるかも知れない。
日本でも江戸時代までは姓を名乗るのを許されたのは、基本的に士分以上の身分の者だけだ。この世界においてのシステムは不明だが、うかつな事はやめておく。苗字を名乗るには何らかの資格とか爵位が必要かも知れない。
苗字を名乗っているところを見つかったら最悪の場合、不敬罪とかで有罪、とかは嫌なので名乗らずにおいた。
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時々、落雷の音が鳴り響き、激しい雨が打ち付ける音がする。しかし、雨音の強弱や打ち付け方が時折変わるのが音で分かる。
なんせ板で囲まれただけの納屋だ。外の音をダイレクトに伝えてくる。屋根を打ち付ける上からの激しい雨音が、今度は奥の壁の方から、さらにしばらくすると今度は僕の背中側で音がし始める。納屋の外は雨だけでなく激しい風が吹いているのだろう。それも一定の方向に吹き続けるのではない、常に目まぐるしく変化している。
こんな間近に、そして肌でゲリラ雷雨を感じられる事はなかなか無い。カッパを着て外に立っているというなら話は別だが、普通の生活をしていればそんな機会はなかなか無い。
そして、これほど風向きがぐるぐる回るように変わるのは、一地点に一気に降る事で地表の温度が一気に冷える。そうするとその場所と上空の気温差が一気に変わり、今度はまだ降っていない別地点の上空と地表のバランスが変わる。そこに吹き込む風と雲がまたゲリラ雲を呼ぶ。
そうして上空と地表の極端な温度差と湿気が無くなるまで、局所的な雨が続く…とか、ここ十分間くらいの板一枚を隔ててのゲリラ雷雨を体感しての僕の根拠もない肌感触の持論を浮かべた。
拭布で濡れた衣服や、首元などの肌が露出した部分を拭き終わり僕たちは人心地ついた。改めて助け起こした事の礼を言われ、そして…ぽつり、ぽつりとお互い自分たちの事を話し始める。
「昨日…、ウチの前で誰かは分からないんだけど…、男が二人ケンカを始めてね…」
マオンさんが悲しそうに昨日の事を話す。
「最初はただのいざこざみたいなものがだんだん激しくなって片方が武器を抜いたところで…、もう一人が火を放つ魔法を使ったんだよ…」
「…魔法…」
「…それがウチに当たって、火事になって…」
魔法があるのか…、この世界には…。
正直、憧れるものはある。…しかし、その憧れの魔法こそがマオンさんの家を焼き尽くしたのだ…。
「その魔法を使った奴は…?」
「火が付いてすぐ逃げたよ…、もう片方もね。私は命だけは助かったけど…、家も物もみんな燃えてしまった」
人の家を火事にしといて、そいつは助けもせずに逃げたのか!?寝静まった時間帯や気付きにくい状況によっては逃げ遅れて人が亡くなるかも知れないのに…。
「結局、誰がやったのかは分からんかった、流れ者なのか、傭兵か、冒険者か…、魔法が使えるというのは珍しい事だからこの界隈じゃ目立つ筈なんだけど…それがさっぱり…」
「分からないんですね?」
マオンさんがうなずく。
「そいつらが誰なのか、影も形もないんだよ…、もしかしたらこの町に来たばかりのやつかも知れないねぇ…」
「そうだったんですか…」
犯人を追うのも難しいようだ…。
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「暗い話になってしまったね…、今度はゲンタのことを教えておくれよ」
椅子代わりの木箱に座り直しながらマオンさんがこちらに話を向けてくる。
「あ、はい。僕はついさっきこの町にやってきました。普段は学生をしていまして…」
「学生…って事は学院に通っているのかい?王都かい?それとも西の商業都市の学院かい?」
マオンさんが興奮気味に身を乗り出す。
「それにさっきの拭布は見た事がないよ…、ものすごく上物で柔らかだったし…、あんな物を使えるだなんてゲンタは貴族様かなんかなのかい?」
「い、いえ、貴族なんて…。僕の実家は山あいにある村で小さな店をやっています、あとは畑を少々…」
「だけど、学院なんて簡単に行けるような物じゃないだろ?まず第一に金がいるし…」
「僕の故郷では、みんなある程度の歳になると学校に行きます。子供が働くというのは滅多にありません」
どうやって日本の事を説明すべきか…。当たり障りなく、でも嘘はつきたくないし…。
「みんな?成人はしてなくとも、子供でも畑仕事くらいは手伝えるだろう、やらないのかい?」
マオンさんは不思議そうに訊ねてくる。おそらく、この世界の常識では子供も労働力として扱われるのだろう。
そして、そうしなければ食べていけないのかも知れない。
「やらないですね…。それに僕の故郷は山や深い森がほとんどを占めています。平らな住みやすい所が少なく、土地も痩せていて出来る事が限られてるのもあります」
「土地が痩せてるなら、あまり作物が取れないのかい?」
「はい。物にもよりますがほとんど取れない物も多いですし、一番の悩みどころは後を継ぐ人が少ない事です」
「後継ぎがいないって…、じゃあ畑は…?」
「農地を今守っているのは、ほとんどがお年寄りです」
某国民的アイドルが農業などをしている番組もあるが、若いイメージがある彼らでさえだいたいが40代だ。地方だと60代70代だってザラだ。その方達が日本の食卓を守っている、それが現実なのだ。
「歳をとっての畑仕事は大変だろうに…。じゃあ若いのは何してるんだい?まさか、遊んで暮らしてるって訳じゃないんだろ?」
「はい、多くの人は何かを作ったり、それらを売ったりして収入を得る事が多いですね。それで給料…、えっと…お給金ですね、これを受け取って暮らしています」
「へええ…、多くの人が職人や商人になるのかい…。だけど、それなら畑でなくとも子供でも働けるじゃないのさ。職人や商人の見習いや使いっ走りにはなるだろうに」
「実は僕たちの故郷は、土地が痩せてるだけでなく鉱石とかもあまり無いのです。だから技術を磨き、他所の国から鉱石などを買い、それを材料に色々な物を作り、国の中にも外にも売ります」
なるほどとマオンさんはうなずきながら手に持った拭布をちらりと見る。もしかすると、このタオルに日本の技術の片鱗を感じているのかも知れない。
「その為、読み書き計算を小さいうちから学ばせます。これを元にして色々と学びます。そして十五歳でこれからどうするかを決めて行きます」
「十五歳…、成人の儀の歳だね」
「成人の儀…?」
「ん?ゲンタ。知ってるだろ、成人の儀だよ。十五なななりゃあ立派な大人さ、所帯だって持てる、早い娘なら子持ちになって背負って働くのもいるじゃないのさ」
ふええ…、早いな。十五歳で結婚して子持ちとは…。こちとら彼女もいないのに…、なんか凄い敗北感。
「そうなんですね。僕らの国は二十歳で成人です。でも、最近法律が変わって、何年かしたら十八歳が成人の年齢になります。先程の話に戻りますが、十五歳でひとまず学校は終わりです。そこから更に学ぶ人、他に専門学校…えっと物を作る技術とか料理を学ぶ学校とか技術を学ぶ所もあります」
「もしかしてゲンタ…、ものすごく遠い所から来たのかい?このあたりは国が違っても成人の歳はみんな一緒さ。それが違うって事は…大変だったろうに…」
マオンさんは苦労して自分に会いに来た孫を見るかのように僕を見る。しみじみと大変だったねえ…と繰り返す彼女に僕は温かみを感じると同時に、こんなに良い人が理不尽な理由で住処を奪われ悲しみに暮れる事に怒りを覚えるのだった。
ブックマーク、評価等ありがとうございます。
これからも頑張って書いていきます。
次回!ようやくパンが登場!?