第740話 プロローグ ナタダ子爵家を訪れた女(第三者視点)
新章です。
ゲンタが結婚するまでの間に整理しておくべき事、それをここでスッキリさせておこうと書き始めました。
第三者視点での話になります。
よろしくお願いします。
ミーンの町でゲンタが結婚式の準備に勤しんでいるある日…、町を治めるナタダ子爵邸には一人の人物が訪れていた。訪問の目的は過日このミーンにおいてなされたコーイン・ペドフィリー前侯爵による数々の騒動についての謝罪である。
「スナイ・ペドフィリーと申します」
そう言って頭を下げたのは一人の女、年齢はまだ二十歳には届かないくらいだろうか。黒に近い茶色の髪、やや細い目をしている。質は悪くはないがあまり高価とは言えなそうなシンプルな服を着ている。例えて言えば貴族に呼ばれたそれなりの暮らしをしている平民が着てくるような服と同等か、あるいは下級の官吏がお目当ての人物と面会をする際に着ていくぐらいのランクのものだ。そしてなにより目立たない、ほっそりとした体の線には華やかさのようなものが一切感じられない。そんな質素な女を見て子爵邸の主人は短く呟いた。
「ふむ…」
訪れたスナイ・ペドフィリーを出迎えているのはナタダ子爵の夫人ラ・フォンティーヌである。ナタダ子爵本人は優秀な内政官として名が知られており、王都にてその腕を振るう毎日だ。それゆえ自領を守るのは夫人のラ・フォンティーヌである。本来なら子爵の兄弟か親戚がその名代としてこの場にいれば良いのだが残念ながら子爵自身は男爵家からの入り婿である。それら親戚筋を送り込むのは歓迎されない、あくまで子孫をつないでいくための男性としての役割である。
だが、その夫婦仲が悪い訳ではない。男爵家と子爵家、爵位としてはたったひとつの差に過ぎない。しかしそこにはたったひとつの差という言葉では決して言い表わせない程の領地の広さや権限に大きな開きがある。ゆえに夫とはいえ下位の爵位にあたる男爵家から次々と親族を送り込むというのは躊躇われるのだ、そんな事をすれば誰の目から見ても子爵家を乗っ取ろうとしていると感じるだろう。その子爵邸の主人である
「ラ・フォンティーヌ・ナタダである。夫は王都にて職務に就いておるゆえ私が口上を承る。…が、その前に…」
わずかに間を取り再びラ・フォンティーヌが口を開いた。
「スナイ殿と言われたな?申し訳ないが我がナタダ子爵家はこのように山深い地にいるせいか…、私は寡聞にして貴女の名を聞いた記憶がない。ペドフィリーの姓を名乗られたからには侯爵家のお血筋に列する方なのだろうが…、あいにくと私は貴女を知らぬ。まずはそのあたりからご教示願えぬだろうか」
他の貴族家の家族構成…、その直系だけでなく分家筋などについてもラ・フォンティーヌの頭の中には入っていた。もちろん全ての貴族家を把握している訳ではないが侯爵家となれば有力な家である。そんな家の事をラ・フォンティーヌが知らないはずがない。その彼女の頭の中ではペドフィリー侯爵家の家族構成、さらには養子でももらったのかと侯爵家と縁戚関係にある他の貴族家にまで範囲を広げてスナイと名のつく人物がいなかったかと記憶の全てを探ってみるがやはりどうしても思い浮かばない。そこで非礼にあたるとは思いながらも目の前の本人に尋ねた。貴族家と貴族家の話だ、その相対する相手の事を知らぬまま話を進めていくのは非礼だと感じたからだ。
「かしこまりました」
そう言ってスナイと名乗った女はラ・フォンティーヌに対し自分の素性を説明していく。
「私、スナイ・ペドフィリーは侯爵家現当主オーシ・ペドフィリーの娘にてございます」
「娘御であられたか…、それを知らぬとは私の不徳の致すところ…」
「いえ…」
目の前のスナイ・ペドフィリーの素性を知りラ・フォンティーヌは侯爵家の家族構成を把握できていなかった事を悔いる。しかし目の前のスナイ・ペドフィリーは特に大きな反応もなく言葉を続ける。
「ご存知ないのも無理はございません。私、スナイ・ペドフィリーは娘と言えども世間に名を広められてはおりません」
「…それは、…どうして?」
「私の母は正室でも側室でもございませぬ」
「庶子(貴族と庶民の女性との間に生まれた子の事)という訳ですな…」
「はい。母は市井の中で暮らしていた爵位の無い、氏素性も定かならぬ生まれにて…」
自分の事とはいえ口にするには決して良い気持ちなどするはずもない事をスナイは淡々と眉ひとつ動かす事なく話す。それはまるで自分には生まれた時から感情など持ち合わせてはいないかのように…。どこぞの者とも知れぬ女から生まれた自分を端的に説明し、続いて侯爵からの口上をよどみなく口にしていく。それを聞きながらラ・フォンティーヌはスナイという人物を量り知れないなと感じた、同時に妙な不気味さのようなものも…。
はっきり言って初めてその存在を知る事になったスナイは侯爵家の隠し玉のようなものだが名代というのはまさしく侯爵自身の代わりだ。その者が口にした言葉はまさに侯爵の言葉として扱われる。そしてその侯爵代わりの人間が発する言葉であるからには手紙のような物を持参する事はない。
なぜなら今回のような詫び事に形が残るような物を持ってくる事はない。そんな物があると後々に禍根となるかも知れない、弱みになるかも知れない物ををわざわざ他家にくれてやりたくないからだ。代わりにたいていの場合は誰からの物だか色が付かない金銭を詫び状代わりに寄越すのだ。そしてその金についてはすでにナタダ子爵家中の者により額が確認されラ・フォンティーヌに伝えられている。
送られてきた金額はこれまた高くもなければ低くもない、まさに相場があるならこんなものだろうといった額だった。高過ぎればなにより目立つし周りからは何か他にも後ろめたい事があるのかと勘繰られるし、安ければ誠意や侯爵家の台所事情を疑われる。まさに絶妙な額であった。
「(それにしても…)」
ラ・フォンティーヌは心の中で呟いた。今回のような醜聞の謝罪に来る使者というのはなんの功績にもならない、むしろ汚れ役だ。そんな謝罪の使者に立てられたスナイ・ペドフィリー…。侯爵の実子ではあるがこれから先に貴族社会や社交界にデビューする事がないであろうスナイならば侯爵家にとっては実質的にノーダメージだ。まるでチェスやカードゲームでピンチの際に都合よく捨て駒や捨て札にできる存在…、それが今ここにきているスナイなのだろう。そう考えると向こうの侯爵家もなかなかにしたたかだ、最も使うべき人物を選んでいる。
そしてもうひとつ、今回の件でミーンを訪れたのがこのスナイと馬車を走らせてきた馭者の二人だけだったと聞いている。護衛の騎士などもいなかったというからよほど侯爵家は内々に処理したかったのだろうと予想される。その間にもスナイの口上は続いている。
舞台に立つ役者でもこれほどの長い台詞は難しいだろう。熱こそ感じられないが妙な冷静さを感じる、時に声の大きさや怒声が混じるよう熱気が場を制する事がある論戦とか舌戦をするには不向きかも知れないが冷たく理詰めで話を進めていくような場には向くかも知れない。たったひとつの言い間違いもない見事な口上だった。
「スナイ殿、よく分かり申した」
スナイの口上を聞き終えるとラ・フォンティーヌは短めに応じた、子爵家の自家に対し相手は侯爵家。詫びの使者とはいえ格下の相手に侯爵家が寄越すのは誰ぞ適当な親戚筋の者でも立ててくるかと思っていたが…、それが庶子とはいえよもや実子を送って寄越すとは…。そう考えるとこの謝罪話はここらで切り上げるのが上策だろう。
「ペドフィリー侯爵殿の誠実なご対応、子爵家たる我が家には過分なるお心遣いにていたみいります。スナイ殿より伝えられた謝罪のお言葉、これにより当家にはなんの遺恨もございません。侯爵殿にはそのようにお伝えいただきたい」
そう言ってこの話は終わりとまとめると使者であるスナイは謝意を述べ頭を下げた。それから二言…三言…、ラ・フォンティーヌとスナイは言葉を交わした。スナイによれば今日はこの町に一泊し明日は早々に渦中の人物…、祖父であるコーイン・ペドフィリー前侯爵を連れて自領に戻ると言う。それで面会は終わり、スナイはきちんとした礼儀作法で広間から退出していった。その様子は滑らかな動きはわずかな澱みもなくラ・フォンティーヌとの会談の際にも表情ひとつ変えなかった、高名なドワーフの職人が作り巧みな人形師が操作が動かす操り人形のようだった。
「そういえば…」
ラ・フォンティーヌが広間を退出していったスナイの事を思い返していると一度だけ彼女の動きに違和感を感じた時があった。それはスナイが去り際なはラ・フォンティーヌに対しわずかに目を伏せ一礼し、退出する為に後ろを向くその一瞬…。
ぴくり…。
ほんのわずか…、スナイの瞳がわずかに反応していた。ラ・フォンティーヌに背を向けようとするその一瞬…、後ろを向く寸前のスナイの横顔…。あの時、たしかに反応していた。それまで完璧だった人形のようなスナイ、それが不意に筋書き通りではない動きをしていた気がする。
「気のせいだろうか…」
ラ・フォンティーヌはスナイが退出していった扉を眺めた、その上には一人娘の婚約者…ゲンタの絵が飾られていた。




