第730話 黒き大魔王(1) 闇色のフィロス、再び!
その場所だけがやけに暗かった。目指していた政庁の入り口が今は闇に閉ざされたかのように暗く見通せなくなっている。まるでその場所だけがなくなってしまったかのようにただ暗かった。
…いや、暗いだけではない。真昼間だというのに真冬のように冷え込んできている。明るく暖かいミーンの町中、あと十数メートルで政庁に入れる…、そのあたりに来たところで僕たちを包む空気が明らかに変わった。
僕もシルフィさんも…、マニィさんもフェミさんも政庁に入ろうとして進めていた足を止めていた。
「これは…」
シルフィさんが呟く。
「ああ…。なんかヤベェ感じがするぜ…。気をつけろよ、フェミ…」
「うん…。でも…、なんでいきなり…」
シルフィさんが…、そしてマニィさんとフェミさんも僕の前に進み出ていた。まるで迫る危険から僕を守ろうとするかのように…。三人は冒険者としても確かな実力の持ち主だ、僕は今までに何度か襲われた事があったが彼女たちが僕を守ってくれた。ギリアムが僕を襲ってきた時も…、よその町から来た不良冒険者がハンガスに唆されて襲ってきた時も…、そして町の外でゾンビやアンデッド化したギリアムの時もそうだ。最近ではペドフィリー前侯爵の手下たちが襲ってきた時もシルフィさんが一人で撃退してくれた…。
しかし、そんな確かな実力がある彼女たちの表情に今はまったく余裕がない。得体の知れない違和感に対し警戒し、普段では感じられないほどの緊張感が漂う。
僕たちの目の前、政庁までのこりわずか…そんな距離になったはずの道の両端、そこはまだかろうじて見通せるだけの明るさがあった。政庁のあるあたりが真夜中の暗さなら僕たちの数歩先は夕日が沈みきる瞬間の水平線、真っ黒な海と混じる限りなく黒に近い藍色の空くらい。薄暗いと言うには闇が濃く、真っ暗と言うには少し足りない…そんな暗さである。幸いな事に僕たちの足元は真昼の陽光の力が及んでいる。わずか十数メートルほどの距離に光と闇が凝縮されていた。
「来るッ…!!」
シルフィさんが呟いた。
ボッ…。ボッ…。
暗くてまるで見通せない向こうの方から何やら音がする。その音は僕たちの視線の先、政庁の入り口の方から聞こえてくる。
ボッ…!!ボッ…!!
「な、なに…これ…?黒い…炎…?」
これから出向く予定だった政庁の入り口の方から土の地面の上に設置されるかのように次々と大人がひと抱え出来そうなぐらい大きい火の玉だ。それが数歩おきくらいの間隔で現れる、まるで地球にある道路の両端に設置されている街灯のようだ。もっとも街灯は僕らの頭上から光を投げかけるがこの黒い炎はまるで篝火のように地表から黒い闇を放っている。本来の炎とはかけ離れた暗さと冷たさを帯びながら…。
ザッ………ザッ………。
足音がした…、それがゆっくりと近づいてくる。
マニィさんが音も無くわずかに姿勢を低くする、いつでも前後左右に素早く動けるように…。気がつけばシルフィさんもフェミさんも同じようにすぐに動けるように油断なく構えていた。
ザッ………ザッ………。
真っ暗な闇の向こうからゆっくりとした足音は続く。近づくにつれて薄くなってくる闇の色、足音が近づいてくるにつれわずかずつだがその足元が見えてくる。どうやら裾がとても長い黒い服を着ているようだ。動き方からみて僕たちと同じように両の足で歩く…いわゆる人族とかエルフ族のような体型をしていると思われる。
ザッ………ザッ………。
近づいてくる相手の足元から膝のあたり、そして腰のあたりまでが見えた。やはりその裾はとても長い、長すぎて近づいてくる存在がこの町の住民が普段よく履いているサンダルなのかそれとも冒険者や兵士のようにブーツなのかは全く分からない。せいぜい分かるのは細身である事と…。
「…ん、女性…?」
わずかずつではあるが薄暗い中に見えるその姿から女性のような印象を受ける。
「ま、まさか…」
そんな時、シルフィさんが驚いたように声を上げた。
「こ、この魔力…。い、異質なものになっているけれど…ま、まさか…」
ザッ………ザッ………。
「あなたたちは…」
近づいてくる足音と共に暗い闇の中から声がした、それは低く冷たい女性のもの。だけど僕はどこかでこの声を聞いた事がある…。
「なにゆえ愛を求むのか…?」
「え…?」
聞こえてきたのは問いだった、予想もしていなかった事に思わず僕は間の抜けた声を洩らしてしまった。
「ありもせぬ嫁という未来になぜそれほどしがみつくのだ…」
ボッ!!ボッ!!
すぐ間近に黒き炎が灯る。それは光や熱を発さずにむしろ吸い取ってしまうような暗く冷たいもの…、希望や夢といったものが存在しないようなゾッとするほど深い闇…。
「私こそ嫁を深く憎む者…。全ての愛を否定し、世界をボッチだけにしてやろう…。既婚者よ、独身になれェ!!全てを破局させて世界を独身で埋め尽くしてくれるわッ!!」
ばあぁぁ〜んっ!!
ついに声の主が全身を現した。
「あ、あなたはッ!?」
現れたのは黒一色のウェディングドレスに身を包んだフィロスさんであった。