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第710話 スープの冷めない(至近)距離(後編)


「あの…」


 湿気や水気が原因で虫や鼠がみつくようになってしまったせいで柱や壁が弱って崩れてしまった民家、その住民である老夫婦は困り顔であった。瓦礫が残る土地を買ってくれる人が簡単には現れないからだ。あるいは現れたにしてもかなり安く買い叩かれてしまう、かといって持ち続けるにしても税金だけは払わなければならない。


 住む事は出来ない、しかしお金は出ていくとなればまさに勿体無い出費である。そこで僕は老夫婦に声をかけてみた。


「もし…、良ければこちらの土地を買わせてもらえませんか?もちろん土地の値段はそのままで。また、崩れ建物の撤去費用はこちらが持ちますから…」


 そんな風に提案してみると老夫婦は崩れた建物の撤去費用がかからず、そして町の外にはなるけれど農地にいる息子夫婦と同居する良いきっかけとなったかもしれないとその日のうちに承諾した。そんな訳で僕はマオンさん宅のすぐ裏手という場所に土地を得る事ができた。


……………。


………。


…。


「ほほほ…、それでマオンの家の裏に居を構える事にしたのかえ?」


「はい、奥方様」


 翌日、僕はモネ様を屋敷に送る傍ら土地所有者の変更を願い出る為に子爵邸に出向いていた。土地の所有に関して所管する事務方がこのナタダ子爵領にはあるのだが、奥方様に申し出てひとこと『分かった』と言ってもらえば事はそれで決定となる。このあたりが領主というものが存在し、領内であればその権力が確立されている貴族制度の特徴であろう。


「それにしても…、やるのうゲンタ…。倒壊した家屋かおくの柱や壁…、それを使って炭焼きをするとはのう…」


「精霊たちが力を貸してくれました。虫が巣食ってるような木材では普通はてるしかありませぬが僕にはホムラたちがいます。彼女たちがその廃材を上手く焼いてくれて炭にしてくれました。それを売っ為にお金でご夫婦には駄目になった家財道具や息子さんたちの家に行った時に不自由しないくらいにはなったと思います」


「恐ろしい男よ、ゲンタ。家屋が倒壊した敷地を綺麗にしてすぐにでも新しい住まいを建てられるようにしただけでなく、廃材となってしまった柱や壁を炭にして売った…。さらには立ち退く夫婦に名前と恩まで売れた…といったところかのう?」


「いやいや、ははは…。これは参りました」


「ふふふ…。そして新たに居を構えるのがすぐ裏手であればマオンの家とは文字通り目と鼻の先じゃ。それでいて妻をめとり夫婦だけの甘い時を過ごすに邪魔も入らぬ…。のう…、ゲンタ?」


「はは…」


 からかわれているのだろうか、意味ありげな微笑みを浮かべ奥方様が僕に視線を送ってくる。僕はそんな奥方様の話ぶりに頭をかきながら応じる。このあたりは経験というか、場数が違うとでも言おうか…手のひらの上で転がされっぱなしである。


「ただ、ひとつだけ難点があるとすれば…」


 しかし、そんな冗談混じりの雰囲気の中で急に奥方様の声が低いものになりさらには少し小さく…そして囁くような口調になる。


「な、難点にございますか?」


 気になる発言に僕は思わず身を乗り出す、もちろん奥方様が小声になっている事もあるだろう。


「そうじゃ…。ふふ、教えてとらそう。ちこう…」


 人差し指をチョイチョイと自分の顔の方に動かす奥方様、それを受けて僕は奥方様に近づくと片膝をついた。すると奥方様は手にした扇を開き口元を隠しながら僕に耳打ちするように呟いた。


「嫁を取ったのはよい、めでたい事じゃ。されど一度に三人も迎えてはのう…、ひとりに接しておれば他のふたりは放っておかねばならぬ…。さすればそのふたりは寂しがるぞ、全員と接する…それが常には出来ぬ事を理解出来ぬ訳ではないが心は別じゃ…。これが少しでも…、嫁を迎えるのが前後しておればのう」


 奥方様が耳元で囁く、それを聞いて僕はハッとなる。ひとりと過ごす事を選ぶ、すると他のふたりを選ばない訳で…。選ぶという事はすなわちそれ以外を捨てる事。例えば僕がシルフィさんを両手で抱きしめたとする、すると当然ながら二本の腕しかない僕はマニィさんとフェミさんを抱きしめる事はできないんだ。三人を分けへだてなく愛する…、口にしやすく色んな場面で使いたい言葉であるがそれはとても難しい。不可能といっても良いのかもしれない。


「特に…」


 奥方様はさらに声を潜める…。


「…『迅雷じんらい』には気をつけよ」


「!?」


 意外な発言に僕は全身をブルリと震わせた、『迅雷』はシルフィさんの二つ名だ。目にも留まらぬ速さで動ける(実際は短距離の瞬間移動だが)凄腕の魔法剣士、百人の兵士に相当するという彼女の異名である。


「…エルフ族は千年ともいわれる長い時を生きる、それこそ森の奥…エルフの里から生涯一度も外に出ぬ者もいるとか…。その間常に…、それこそ片時も離れぬ程に強い結び付きとなる。あの視線…、もしそなたに危険が及べばたとえ我が領を敵に回しても剣を取るであろうな…」


 ぞくっ…、少しだけ背中に冷たいものが走る…。


「…迂闊うかつな事はしてくれるなよ、下手な浮気でもしようものなら…。もはやそなたは我が領には欠かせぬ人物…。…さて内緒話はこのくらいにしておくかの…、あまり長くそなたの近くにいては姫君の怒りを買ってしまうかも知れぬからのう…」


 そう囁くように言って奥方様は距離を離した。同時に僕はその存在を思い出す、奥方様…貴族の方との面会の場には常に同行してくれているシルフィさんの事を…。


「……………ッ!」


 僕は後方を…、彼女がいる方を振り向く事が出来ない。考えてみればシルフィさんの愛情を強く感じる事はこれまでも何度かあった。強い想い…、一言で言うのは簡単だけどそれには時折嫉妬のようなものを感じた事もあった。そんな彼女は今、どんな顔をしているのだろう。もっとも、なんか怖いから振り向く事は出来ずにいるけど…。だけどそれよりも今はシルフィさんの嫉妬を…、もしもしているのはなら…だけどそれを解消しておきたい。


「お、御義母上おははうえ様っ!!御教示、ありがたく存じまする!夫婦円満の秘訣、このゲンタ確かに承りました!」


 僕は普段よりも大きな声で奥方様へと返事をした。先ほどの密談がやましいものではなかったという印象付けの為に…、そしてあくまでも予定ではあるがモネ様を妻に迎えるとすれば奥方様…ラ・フォンティーヌ様は僕の義理の母となる。確かにラ・フォンティーヌ様は見る者の心がたちまち奪われるほどの美貌の持ち主、しかし御義母上おははうえ様と呼ぶ事であくまでも親戚としての関係ですよと匂わせておいた。これでシルフィさんからのマークが少しでも緩めば…、そんな事を思いながら…。


「おお、嬉しや…。そなたから義母ははと呼んでもらえるとは…。妾もそなたのような男子おのこを迎えられるとなればこんな喜びは他にない、モネも喜ぶであろうよ。義母としてありがたく思うぞ」


 僕の意図するところを汲んでくれたのか、あるいは本心からか…。ともかく奥方様はこちらの望む返事をしてくれた。


「マオンが羨ましいのう、そなたのような者がすぐ近く…文字通りスープの冷めない距離にいるとなれば…。頼もしいであろうし、楽しいであろうよ。ゲンタよ、愛する者とは常に近くに身を置くのじゃ。決して離れたりせぬよう大切に…、常にその手で捕まえておくのじゃぞ」


 そんな言葉と共に面会は笑顔で幕を閉じたのであった。


……………。


………。


…。


 子爵邸を後にして、僕とシルフィさんは町に戻る馬車の中にいた。そして僕は先ほどの奥様のお言葉を実践する事にした。


「あ、あの…、シルフィさん…」


「はい」


 馭者の人は外、木製の車体を持つ馬車の中は外側とは隔離された僕たちふたりだけの世界…。


「もしよかったら…、町まで…その…手をつないで…」


「は、はい…」


 隣に座るシルフィさんが遠慮が地に手を重ねてきた、そしてもう片方の手で僕の手のひらを包むように握ってきた。同時に少し寄りかかるかのように身を寄せてくる…。


「シ、シルフィさん…」


「ゲンタさん…」


 なんだかずいぶんと久しぶりな気がする…、こんなふうにシルフィさんとふたりきりで…。それもこんなに近くにいるなんて事は…、寄り添ってくれているシルフィさんの体温やら感触が伝わってくるうちに僕もだんだんと彼女をもっと強く感じていたいという思いが込み上げてくる。


「シルフィさ…ッ!!!!?」


 ビクッ!!


 僕は愛しい人の名前を呼び、さらには空いているもう片方の手でシルフィさんを抱きしめようとした。しかし、僕はそれが出来ず代わりに体を大きく震わせた。その様子にシルフィさんが少し心配そうに尋ねてくる。


「どう…しました?ゲンタ…さん?」


 まっすぐに僕を見つめるシルフィさん。


「い、いえ…。その…、なんでもありません。き、緊張…してしまって…。も、もちろん、嬉しさもあります!ただ、こういうのに慣れてなくて…」


 僕は胸の内から絞り出すようにそれだけを伝えた。


(ふふ…、嘘つき…)


 きゅっ…。


 シルフィさんを抱きしめようとしたけど思わず止めた僕のもう片方の手…、その親指のあたりに巻き付くような感触が走る。見なくても分かる、親指の付け根を抱えるようにしてカグヤが抱きついている。それもきっとシルフィさんからは見えないであろう位置で…。


(昨日も…、ううん。毎日こうやって抱きついているのに…。慣れてないなんて…。くすっ…、いけないんだ…)


 そうは言いながらも楽しそうに心の中に語りかけてくるカグヤ。僕は左腕にはシルフィさんを…、そして右手にはカグヤを感じながら緊張感を帯びた馬車の帰路についたのだった。

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