第705話 二国二城の主
『馬の蹄の音、ガタガタと揺れる馬車の音…。そして時折聞こえる馬車の車軸の軋む音…、それを耳にしながら手にした変わった形をした器。その素焼きの蓋の部分を手に取り中身を見れば精霊の加護が垣間見える…。ひとつ口にすればたちまち心とろける。これぞまさに馬車の旅の友といえるだろう。〜ザンユウ・バラカイ〜』
カウンターにはザンユウさんが送ってくれた峠のベントーを推奨するコメントを載せたプレートがある。隣にはスマホで撮影した画像を絵画風に編集したものを印刷し、日本のファミリーレストランのメニューのように一目見ただけでどんなものが入っているか分かるようにしたプレートも掲示している。
「おお、これが…」
「あのザンユウ氏が絶賛したという…」
「食通アジノー氏はこれを口にしてあらゆる精霊をその身に降臨させたと聞くわ!」
わいわいがやがや…。
峠のベントーの販売コーナーは早朝だというのに盛況だった、ちなみに押し寄せているのはエルフ族の人がほとんどだ。中には貴族の使いらしき人もいるが買っていくのは少数、そういう人たちはベントーてはなくむしろビン入りのジャムを買っていく。やはり精霊の声が聞こえるエルフ族にとってはその加護が宿った味というのが良いのだろう。
「良かったわぁ、今日買えて。これ、半月に一回くらいなんでしょ?売りに出されるのが…」
「ああ、そうみたいだ。次の馬車でこの町を出なきゃいけないから私たちは運が良かったね」
ご夫婦だろうか、エルフ族の二人組が買った峠のベントーを手に笑顔で話している。そんな光景を見ている間にも金貨二枚半(日本円で二十五万円相当)という高値なのに次々と売れていく…。中身であるサンドイッチの美味しさはもちろんだが、木製の普段使いの食器や貴族など上流階級が使う磁器の器と異なる陶器の器が珍しいのか高値でも飛ぶように売れていく。また、食べ終わった後に残るベントーの器がそのまま食器になるというのもウケたのだろう。ザンユウさんが言っていた羹(大きく切った野菜や肉を似たスープ料理)を食べるのに適している器として重宝しているのだろう。それ以外にも単純に観賞用…、お土産物として扱う人もいるようだ。このあたりは日本と似たような感覚なのかも知れない。
「すんまへん、売り切れになってもうたー」
売り子をしているチナーシェ店長がそんな声を上げる。
「うわあ…、まだ十分と経ってないのに…」
その様子を見て僕は思わず呟いた。今朝用意できたのは十六食、それがサクッと売れてしまった。この売り上げだけで四百万だ…、しかも売れるのはこれだけではない。峠のベントーの販売に用意した二枚のプレートをカウンター下にしまい込むと次に販売するのは日本で仕入れてきたジャムやシャンプーなどだ。これも売れ行きは好調だ、その欲しがる客たちをチナーシェ店長はテキパキとさばいていく。
「うーむ、すごいモンでんなあ…」
様子を見に来たゴクキョウさんが呟く。
「こりゃあゲンタはん、あんさんはもう立派な商人でっせ。とてもかけ出しの商人なんて言えまへんな、もう一人前…いや」
チラリ、ゴクキョウさんがこちらを見た。
「やり手の商人でっせ。ちゃあんとこの店の主になっとるで」
……………。
………。
…。
「盛況のようじゃのう、そなたの店は…」
町中での傅育が終わり、僕は屋敷へと送ると共に奥方様に挨拶をしていると店の繁盛についてが話題になった。
屋敷内の庭園でお茶をいただきながら応じていると僕が扱う品について色々と尋ねられる。新しい品…、特に美容と酒類について奥方様は興味を示す。それらの話を中心に話していると不意に奥方様がジッと僕を見つめているのに気づいた。
「…ゲンタよ」
「は、はい。奥方様」
奥方様の真面目な声に僕は背筋を伸ばした。たいていこういう時、領内についての話になる。それも部外者とか密偵が物陰などで盗み聞きが出来ないように屋外にいる今、何か大事な話がされるのではないかと僕は身構えた。その様子を見て奥方様がわずかに口元を緩ませる。
「そう身構えずともよい…。考えたのじゃ、そなたに預けたケシタの地…。あの地はすでに何も得られぬ不毛の地ではなくなっておる。精霊の加護を受けしジャムで金を稼ぎ、精悍な強兵を育てる地となっておる。領の内外においてもあの限られた広さでその地を富ませ兵を養う事を両立するなど滅多に出来ぬ。もはやそなたは立派な彼の地の主じゃ」
「いえ、そんな…」
突如受けた賞賛に僕はどう応じて良いかわからず、とりあえずといった感じで曖昧に返事をする。そんな僕に奥方様はさらに言葉を続ける。
「店は軌道に乗り、ケシタの地にも活かす道を見つけた。そのケシタもまたアルプー連峰を貫く事が出来れば北の地への道が出来る…。さすればさらに彼の地もミーンも豊かになる…」
「はい」
「そこで…、じゃ」
奥方様が一度言葉を切り、調子を整える。
「ゲンタよ、良い頃合いじゃ。ここらできちんと嫁を迎えてはどうじゃ?」