第704話 最大の賛辞と名物誕生
いよいよザンユウさんとアジノーさんが出発する、その時が来た。宿屋の前に待たせていた馬車に向かおうとしたザンユウさんがふと足を止めて口を開いた。
「まだ、これは残っておるか?」
ザンユウさんが手にしていたのは中身のサンドイッチを食べ終わり空になった陶器の器、日本の駅弁でもトップクラスの知名度を誇る羽釜の形をした器だった。
「は、はあ…。まだいくつかありますけど…」
今回の馬車の中で食べてもらえるようにと作ったサンドイッチのお弁当、その空になった陶器の器を持ってザンユウさんが問いかけてきたのに対し僕はそう返事をする。
「ふむ…、ならば…」
ザンユウさんは一秒か二秒くらい考えるような…、そんな少々の間を空けてから再び口を開いた。
「もうひとつもらおうか。昼頃にもう一度、これを食したい」
「私も同じ気持ちだ。是非、もうひとつ…」
アジノーさんも同じ気持ちのようだ。
「せ、先生っ!?う、ううっ!」
「アジノー様…」
ガワナカさんとメマルさん、二人がそれぞれの師の言葉に感極まった様子をしている。なんとなくだが別れを惜しむだけでない、ふたりがそこまで胸を詰まらせるのには他にも何か特別な理由があるように思える。僕がそう思っていると今回のお弁当のメインとしては器作りを担当したが、調理にも手を貸したガワナカさんが口を開いた。
「こ、光栄にございます!お、同じものを続けてお召し上がりいただけるとは…」
「アジノー様ぁぁ…、嬉しいです!」
「ど、どういう事?嬉しいとは…」
感激に打ち震える二人に対し、僕はよく分からずに戸惑っているとガワナカさんが説明してくれた。
「ゲンタさん、いかに美味いものでも続けて食べれば飽きがくるもの…。ですから普通ならば次の食事には違うものを食べるのです…。しかし、お二人は続けて同じものを食べると仰っられた。それはつまり、そんな常識を覆してでもこれを続けて食べたいという事…。つまり料理を作る者には最大の賛辞なのです!」
「な、なるほど…」
大好物なら毎食でも食べたいと言う人もいそうなものだが食通ともなればそのあたりは違うのかな。よく分からないけどガワナカさんが最大の賛辞だと言うのならそうなのだろう、ここはそう受け取っておく事にしよう。そんな僕をよそにザンユウさんの言葉は続く。
「また、この器も見事だ。アジノー殿が持つ物とこれは形こそ同じであるが表面の色合いや風合いが異なる。このわざと釉薬を垂らしたような風情は狙って出来るようなものではない。人の手でこれをしようとすればそこにはどうしてもわざとらしさが出てしまう…、そうなるとどうしても鼻につく。だが、この器にはそれがない。これはなぜなのだ…、私も皿を焼くがこのようにはならぬ。この焼き形…、私には思いもよらぬ技法があるのか…」
「ああ、それは…」
なぜこうなったのかを知っていた僕はその理由を話す事にした。もっともそれは某テレビ番組、自宅にある骨董品などの価値や真贋を鑑定してもらう平成の初期の頃から続く人気ご長寿番組で言っていた事をそのまま伝えるだけだが…。
「窯の中で器を焼く時、燃やした薪の木灰が宙に舞う。それが高温に熱され融て器の表面に垂れるんだ、それが自然の釉薬となってこの表面の景色となりこの景色を作るんだ。これこそ人の手では狙って出来ない、人智の及ばぬ美しさだ。良い仕事してるねぇ…」
番組に出演している鑑定士たちの顔とも言える皿や甕をよく見定めている人の真似をしながらとりあえず語ってみた。するとザンユウさんは妙な顔をしながらも頷いた。
「らしくない口調だが言っている事は確かだ…。なるほど木灰か…、それが融け自然の釉薬となった…か。ふははははっ!これは盲点であったわ!木灰とは…、もっと高温となるように石炭を使っていたが…むむう、なるほど…。これは良い物だ、この持ち運べる食事のようにミーンの新たな名物となるだろう」
「おおっ、ザンユウはん!これを名物と…」
「うむ、まさしく料理も器も名物と言って良いだろう。これは出発の前に良い物に出合わせてもらった!」
「旦那さん、やったで!名物って言ってもろうたで!」
チナーシェ店長もはしゃいでいる。
「め、名物?どういう事?」
「ああ、それなぁ。ザンユウはんとかアジノーはんみたいに名のある人が名物と言ってくれたモンはそれだけで価値があるねん。ジャムもそうやったけどそれだけでグーンと価値が上がるんやでっ!!」
うーむ、鑑定書が付いたようなもんかな。あるいはお墨付きとか折り紙付きみたいな…。茶器で言えば千利休が認めた…みたいな感じだろうか。
「ところで…主人、この器をガワナカに伝えたのは主人なのだから当然この器の名称も知っているはずだ。この器の名はなんという?」
「え、あ、それは…」
名前か…、釜…ではないよなあ…。そもそもご飯を炊いてないし…、そうなると…、茶碗でもなきゃ皿でもない。釜めしも違うし…、なんだろう…これ?
「と、峠の…弁当…?」
苦し紛れに僕は思わず呟く、うーん…器の名前じゃなくてお弁当の名前だなあ…これじゃ。
「なに?峠だと…、それに『ベントー』?いや…、ふむ…」
僕が応じて呟いた言葉にザンユウさんが何か考えこんでいる。そしてしばらくすると片頬にニヤリとした微笑みを浮かべた。
「ふふふ…、なるほど。店主よ、おぬしは意外や意外…目立ちたがり屋の一面もあるようだな…」
「え、え?」
「未知の器の名を問われ普通ならば大皿や小皿、取り分け皿やスープ皿など器の種類を答えるはずだ。しかしおぬしは峠のベントーと言った…、私が皿の種類を問うたにも関わらず…だ」
「は、はい…」
「つまりそれは…、この器の銘であろう。ただ単に皿の種類を答えるのであれば…そうだな、あまり聞かないが羹皿とか蓋つき皿とか…あるいは持ち運び皿とか呼んでも良いはずだ。しかし店主はそのどれでもない、峠のベントーの名で呼んだ」
「………(い、いや、だって…ねえ。釜めしとは言えないから…)」
僕は言葉には出せず
「ふふふ、図星のようだな。つまりこれは似たようなものがいくつもある器の呼称ではない、他に二つとないこの器だけが持つ名を付けていたという事…。しかも峠とは…、ふふふ、なるほど…たしかにこの器が作られたのはこのミーンの中でだ。ミーンは山の中の町ゆえに峠のひとつやふたつ、越えてこなければならぬ…。それだけの価値があるぞ…、そう言っておるのだな?」
「え?いや…、その…」
そんな大それた事なんて考えてもいなかった僕は思わずたじろいだ。そんな僕をよそにザンユウさんは分かっているぞとばかりに再びニヤリと笑った。
「ふふふ、隠さずともよい。そしてベントーの意味はよく分からぬが…、店主の事だ。きっと何か深い意味があるのだろう。今は聞くまい、いずれ分かる日が来るであろう」
「え…、えっと…」
「それに皿を焼く者に限らず鍛治師でも革職人でも己が名を冠したり、その姿から名付けをした品を後世に残したいものだ。いや、むしろそうでなくてはならぬ。そんな品を作ってやるぞという気概があってこそ良い品は生まれる…。ふふっ、良い…良いぞ…。うわーはっはっ!!それでこそこの素晴らしい食事を収めた器に相応しい名前だ」
とても愉快そうに大きな声でザンユウさんは笑った。
「うむっ、まさに峠のベントーの銘に相応しい出来ばえですな。ザンユウ殿」
「このザンユウ、認めよう。まさに峠のベントーの銘を冠するに相応しい…。では、ひとつもらってゆくぞ!」
そう言ってザンユウさんはアジノーさんと共に馬車に乗り、それぞれがサンドイッチ入りの器を新たにひとつずつ持って今度こそ王都に向かって出発していった。
「行っちゃいましたね…」
「はい…」
「アジノー様ぁ…」
遠去かる馬車の後ろ姿を見ながら僕とガワナカさん、そしてメマルさんは何の気なしに呟く。そんな僕たちに後ろから声がかかった。
「あの…」
呼ばれた声に振り返るとそこには何人かのエルフの皆さんの姿が…、服装を見るにおそらくゴクキョウさんの宿に泊まっていた人たちだろうか。
「はい、なんでしょう?」
「先程、ザンユウ氏にその器に入った精霊たちが祝福したジャムが使われている食べ物…。まだいくつかあるとの言っていましたが…」
「あ、はい。まだいくつかありますg…」
がばっ!!
「う、売ってください!!」
「う、うわっ!?」
僕の返答に対してエルフの皆さんが食い気味に迫ってくる。まるで相撲のがぶり寄り、一気の寄りで詰め寄った。
「こんな朝早くからなんだか騒がしいから何かと思って来てみれば…、アジノー氏が叫ぶほどの美味が…」
ああ…、アジノーさんが叫んだり精霊の力を体に宿したりして色々やったから…お騒がせしてすみません。そんな事を思っている僕をよそにエルフの皆さんはさらに早口でさらに詰め寄ってくる。
「我らエルフ族にとって精霊たちは友であり同胞のような存在、その精霊たちが祝福したジャムとは食べない訳にはいきません!」
「また、あのアジノー氏とザンユウ氏が絶賛した味だけでなく器もまた見事!!硝子細工の緻密な造形も良いがこの土と火…、そしてどこか木のぬくもりを感じるこの素朴な器…。どこか我らエルフ族にとってもどこか懐かしさを感じる…、是非とも欲しい!」
「は、はあ…」
必死も必死…、エルフの皆さんは残っていた六つのサンドイッチのお弁当を欲しい欲しいと口々に言う。普段、冷静で知的な種族だけに感情や欲求に火がついた時の反動は凄まじい。そのあまりの迫力に僕は悲鳴を上げるような気持ちでひとつ金貨二枚で売ってしまった、日本円にしてみればお弁当ひとつが二十万円という事になる。だけど、手にした金貨十二枚の代わりに押し買いに遭ったような疲労感も残った。それ以来、この峠のベントーは店の人気商品となったが材料がなければ作れない、そんな訳で店頭に並んでいたら超ラッキー…そんな名物商品となったのだった。