第694話 は、早くしなさいよねっ!?
「皆さんにはこの地を守りながらお金を得る手段を考えてみました」
正式制服として配布したフライトジャケットに袖を通した子爵領守備隊の面々、ビシッと整列した彼らに僕は新たな提案をする事にした。
「我らに…」
「稼ぐ手段…」
隊員たちから呟きが洩れた、若干の戸惑いが見られる。でも、それは無理からぬ事かも知れない。彼らの多くは騎士や兵士、あるいは傭兵じみた用心棒みたいな存在だ。ペドフィリー侯爵家の領地内で兵力であったり、あるいは治安維持部隊みたいな事をして俸禄を得ていた訳だ。それが稼ぐ手段と言えば確かにそうだが残念ながら彼らはナタダ子爵家が雇う正規の兵力ではない、あくまでも僕…ゲンタという者が預かる人員に過ぎないのだ。
一年中冷たい風にさらされるケシタの地、そこをなんとか出来ないかと問われた僕がいくつか考えた活用法…。それを発展させていった時に必ず必要になるであろうこの地を維持し守っていく人員…、その中核になると思われるのが彼らだ。いわば不毛の地であるこのケシタに蒔く未来への種…、僕はその彼らが長くこの地に根付いてもらえるようにある物を用意した。
「これはブルーベリーという果物の苗木です」
それは僕が日本のホームセンターで買ってきた果樹の小さなポット苗だった。
……………。
………。
…。
話は少し前に遡る…、奥方様が初めて子爵領守備隊の訓練風景を視察した日から数日が経った頃…。
この地を守る人員の目星が付き始めた僕が次に考えたのは彼らが暮らしていく手段についてだった。その存在をおおっぴらに出来ない以上、彼らを正規に雇用し俸給を出す訳にはいかない。そこで彼らには自前でお金を得てもらう手段を用意したのだ。用意したのはひとつの果樹の小さなポット苗、日本では鉢植えなんかにする人もいるけどあくまで僕はケシタの地に直に植える事を考えた。彼らにこの地に居着いてもらう、そして不便や困窮せずに暮らしていけるように…と。
そこで思いついたのが火山灰が多く含まれる土壌、そして肌寒い土地でも根付いてくれる植物とその生育の工夫だった。
「僕はここで作る物があるからみんなはその辺りで遊んでおいでよ、ついでに何か見つけてきてくれたら嬉しい。でも、あまり遠くには行かないでね。それと悪いんだけどキリはここにいてくれないかな?組み立てするのに風が強過ぎるのは厳しいから抑えてくれているとありがたいんだ」
そう言って僕はサクヤたちを送り出す。ここはケシタ、今日も今日とて冷たい風がゴオォォと音を立てて吹いている。遠くでは子爵領守備隊が走る時の掛け声が聞こえてくる。
「別に良いわよ、このあたりだけ風が吹きつけないようにすれば良いんでしょ?」
そう言ってキリがヒュンヒュンとそのあたりを飛び回るとあら不思議、周囲十メートルくらいはあまり風に吹きつけられなくなった。
「で…?アンタ、アタシに風を抑えさせて何するの?荷馬車にヘンな箱みたいなの積んでたけど…」
「うん、これなんだけどさ…」
そう言って乗ってきた荷馬車から下ろしたのは通販サイトで購入した床面積が三畳ほどの組み立て式の家庭用ビニールハウス、商品キャッチコピーとしては組み立て簡単とあり慣れない僕でも一時間ほどで組み立てる事が出来た。ちなみに荷馬車はナタダ子爵家から借りてきた物だ。引いている馬は性格が大変大人しく臆病な為に軍馬としては不向きだが、とても頭が良く訓致も行き届いていて拙い僕の指示にもすんなりと応じてくれる。それゆえにこのケシタにも大して苦も無く到着する事が出来た。
「ふーん…、ヘンなの…。こんなスケスケの薄い膜みたいな物を建ててどうするのよ?まさかとは思うけど…、ここに住もうって言うんじゃないでしょうね?」
風精霊のキリが初めて見るビニールハウスを見て訝しげな目を向けながら尋ねてくる。
「住まないよ…、こんなスケスケじゃ恥ずかしくて中でロクに着替えも出来ないよ」
「アンタなら喜びそうだけど」
「喜ばないよ!それに見てよ、地面を!耕してあるでしょ、ここを畑にするんだよ」
僕の言葉通り地面はすでに耕してある、確かに堅い土地だった。シャベルで掘り返すのに苦労したし、細かく土を砕いていって空気を中に含ませてやるのも中々に難儀であった。
「でも、一体どうする気よ?そもそもここは何の作物も根付かなかったんでしょ?それこそしぶとい雑草だって…、アンタ…なんか考えでもあるの?」
口ではなんだかんだと言いながら意外と付き合いが良いキリがそんな事を口にする。そこで僕は先に解答を示す事にした、数学の問題で言えば式も書かずに答えだけ先に書いてしまうような感じである。僕はリュックを開けて中をゴソゴソと探りながらキリに問いかけた。
「ふふ、あるよ。知りたい?」
「なによ?知ってるならさっさと教えなさいよ」
「ん、分かった。じゃあさ…キリ、目を閉じて…」
「はぁ?アンタなに言ってんのよ?」
「知りたいんでしょ?答え…、だったら目を閉じて、ね?それから唇をこっちに向けて」
「く、唇ッ…!?ちょ、ちょっとアンタ!じ、自分が何言ってるか分かってるの?そ、それに…こ。こんな周りからスケスケの所でなんて…は、恥ずかしいじゃないっ!」
「え、恥ずかしい?そ、そう?まあ、確かにそうかも…。じゃあ、やめとこうか」
「ま、待ちなさいよっ!!」
キリが弾かれたように叫んだ。
「イ、イヤだとは言ってもないじゃない!ア、アンタがそうしたいなら…す、すれば良いじゃないっ!ふ、ふんっ!も、もうやめるなんて言わせないわよ、アンタから言い出したんだから…」
「う、うん」
なんだか有無を言わせぬ迫力があるキリにちょっと押され気味になりながらも僕は当初の目的を果たすべく行動を再開する。
「じゃ、じゃあ…目を閉じて…」
「い、良いわよっ!で、でも…は、早くしなさいよねっ!は、恥ずかしいんだから…」
そう言ってキリは目をギュッと閉じるとその唇をツイッと上に向けた。
「んじゃ、いくよ」
「う、うん…」
「えい」
僕はリュックの中から取り出したタッパーからブルーベリーを一粒取り出すとキリの口元へ…、キリは身長が20センチ余りだから小さなブルーベリーの実がまるでリンゴのようなサイズ感になる。うーん、リンゴの丸かじりならぬブルーベリーの丸かじりだな…なんて感想すら浮かんでくる。
さて、一方のキリだけどブルーベリーの果実が唇に触れると小さな呟きを洩らすと同時にピクリと身を震わせた、なんだか妙に可愛らしい。だけど彼女は何か違和感があったのかすぐに目を見開いた、そんなキリに僕は声をかける。
「何日か前にさ、初めてここに来た時にキリが自生してた赤い実を持ってきてくれたでしょ(第684話参照)?だからそのお返し、これは青紫色だけどね。あの赤い実…えっと…、名前はランバルーだっけ?色以外…形はランバルーと結構似てるでしょ?でも、風味は違うかな。ふふふ、ランバルーとは違うのだよ、ランバルーとは…なんちゃって」
「………」
僕はそう言ったのだがキリは目を見開いたままフリーズしている。実をそのままキリの口に当てているのもなんだか間抜けなので僕はキリに食べるのを促す。
「あ、あれ…?キリ、どうしたの。ほら、食べてみてよ。ブルーベリーのジャムはキリも食べた事あったけど実は初めてだったよね…ありゃりゃ、キリ、どうしたの。寒いの?」
プルプルプル…、目を二、三度パチクリさせるとキリが小さく震え出した。だんだんとその呆けていた顔に表情が戻ってくる。眉が吊り上がり顔に赤みが差してくる。いつの間にかブルーベリーの実から唇を離していた。
「こんのぉ…馬鹿ぁ〜!!」
ひゅんっ!ゴワァゴワァゴワァ…!!!
少し僕から距離を取ると身体の周りに風が集め始める。
「え?ちょ、ちょっとキリ、どうしたの?なんでそんな…」
「う、うるさーいっ!!」
どかあっ!!
「ぐはあっ!!」
キリが頭から突っ込んできた、僕の鳩尾のあたりに…。肺から一気に空気が抜ける。
「な、なん…で…?」
僕はこれが時代劇とかで当て身を受けて意識を失うのはこんな感じなのかなと薄れゆく意識の中で思った。それとこんな状況でもブルーベリーを指から離していないのを誰か褒めてほしい…。あと、キリ…どうして怒って…るの?
……………。
………。
…。
「あれを見てください」
「おおっ、なんだあれは!?」
僕が指差した先には先日建てたビニールハウスがあった、その地面には数十センチほどの高さになったブルーベリーの木があった。文字通り、キリの突撃を食らうというアクシデントはあったものの無事に根付いたようだ。ちなみにビニールハウスを見るのは隊員たちにとっては初めてだ、今の今まで闇精霊たちの力で隠蔽されていたので誰も気づかなかったのだ。
「あの透明な建物の中は春のように暖かく、冷たい風に吹きつけられる事はありません」
「ま、まさか!?これだけ強い風が吹き付けているであります!い、いや、あそこだけ風に吹かれている様子がないであります!」
「ゲンタ様、なにゆえあの透明な物に風が吹きつけないのでありますか!?」
隊員たちから次々と質問の声が上がった。