第六話 雷雨の出会いと、一枚の拭布(タオル)
右に曲がり東に向かう道に入った。
先程垣間見た北側のおそらくスラム街のような雰囲気、そこを見た時に感じた危機感はこちらからは感じない。おそらく、ある程度こちらは安全ではないだろうか…。
夜、暗くなってからの治安とかは分からないが、ここはまだ大丈夫な気がする。
そのまま歩を進めていくと、風に乗って何か焦げ臭いようなにおいを感じた。周りから騒ぐ様な気配や声も無い事から火事とかではないのだろうけど…。
近づくにつれ女性の様子が分かってくる。膝まづいた女性はうつむいているというか…うなだれているというか…、とにかく落胆しているのは間違いないようだ。
徐々に歩いて近付いていくと、その女性が落胆している理由が分かってきた。それは先程から風に乗って運ばれてくる焦げ臭いにおい…、悲しみに打ちひしがれた女性が見つめるその場所は焼け跡であった。
□
ひやり、とした風が通りを吹き抜けていく。町に着いた時と比べて少し気温が下がり、今は常に風が吹いている印象を受ける。…いや、間違いない、だんだん強くなってきている。歩いてきた僕には心地良い、設定温度を下げに下げたエアコンの冷風を体に直接浴びている感覚…。まあ、ずっと当たっていたら肌寒くなりそうな…そんな風だ。
焼け跡の土地を見る。おそらく家屋だったのだろう。それが完全に焼け落ち、柱だったと思われる棒状の炭の塊が数本だけ天に向かって立っている。後は辺りの地面に散らばった焼け落ちた炭や灰が積もる。
よく見ればその中に元は鍋や釜だったのだろうか…。真っ黒ではあるが焼け落ちてはいない何か…、熱でぐにゃりと曲がり不思議な形の造型物となった物が見える。
他の燃えた物は地面に堆積するかのようにだらしなく広がっているだけだが、あの不思議なオブジェの周りだけがうず高い。
もしかすると、竃だったのだろうか。石で組まれた竃なら火災になってもある程度は丈夫な筈だ。しかし、天井や壁が焼け落ち崩れてくる中で石組みの竃が焼け落ちないのはともかく上に乗せているだけの鍋や釜が落ちもしなかったのは凄い。鍋などが形を歪ませただけならあの竈は相当にしっかりしていて、安定感も抜群のかなり良い竃だったんだろうと思う。
それにしても、広い敷地の一軒家だ。現代日本の都心一戸建てではとても考えられない。隣の家屋のギリギリまで寄せて建てる方式も珍しくない家を見てきた僕には珍しく映る。
周囲の建物から焼け跡は距離が取れている。この焼け跡の向こう側、かなり古い木造だが無事だ。もし、燃え移っていたならこの界隈はひとたまりもなかったろう。
もしかすると防火対策として建物同士を離して建てていたのかも知れない。そんな事を考えていたら、僕は女性まで数メートルの所まで来ていた。
正直、どうすべきだろうか。
地球じゃないこの場所で、見ず知らずの人がいる。おそらくこの焼け跡の住人の方で、悲嘆に暮れている。そんな人に僕が何をできる?ただの通りすがりがたまたま気の利いた事を言ったって、次の瞬間…僕はどこかに行ってしまう。
当事者のこの女性がこの場所から離れられないのなら僕が何を言ったってそれは耳触りの良い他人の一言に過ぎない。関係ない奴がしゃしゃり出て、後で『俺ってなんて優しいんだろう』と悦に入る自己満足でしかない。
僕はそんな奴にだけはなりたくはなかった。
どうするか…?
そう考えていた時、ずっと吹いていた冷たい風がぴたりと止んだ。次の瞬間、『どおぉぉーん!!…ゴロゴロゴロ……』凄まじい落雷の音が辺りに響く。驚いて次の瞬間空を見上げた僕の頬へ『ぼたっ!』、大粒の雨が一つ落ちてきた。
『…ぼたっ!……ぼたっ!…ぼたぼたっ!!…ぼたぼたぼたっ!!』
これはゲリラ豪雨が降り始まる時みたいだ!十秒もしない間に激しいのが来る!時間が無いッ!!一度吹くのをやめた風も今は再び吹き始めている、より勢いを増して…。
「もうっ!昨日に続いて今日もこんな豪雨に見舞われるなんて!」
僕は杖代わりにしていた傘のスイッチを押した、すぐに傘が開く。早速傘に雨粒が打つ音がし始めた。
「えっと…、立てますか?」
見れば先程の雷に驚いたのか、やや後ろにバランスを崩しお尻からペタンと座り込んでいる女性に手を差し伸べながら声を掛ける。
呆気に取られていたが、女性は我に返りコクコクとうなずく。手を取り立ち上がるのを手助けした頃、差している傘に雨が容赦なく打ち付け始める。助け起こして姿を見るとあまり体は大きくないお婆さんのようだ。
「どこか近くに雨を避けられるような場所は有りますか?」
こんな激しい雨じゃ傘を差していてもどんどん体は濡れてしまう。なんとか避けられる様な場所が有れば良いんだけど…。強さを増す雨に一つの傘に身を寄せ合い雨を避ける。
「あ、あそこに納屋が…」
指差した先は敷地の端で。そこには小さな建物が見える。
「分かりました。あそこに行きましょう」
□
僕たちは敷地の外れの建物に避難した。
女性を送り届け、では…と言いかけた所で引き留められた。こんな雨の中、外に放り出す訳にはいかないよ、と。そして今に至り、納屋と地面を激しく打ち付ける雨と、辺りをかき回し納屋に吹き付ける風の音が耳に響く。
逃げ込んだ建物は木造の板張り、頼りなくは感じだが雨をしのぐ役目を果たすには十分であった。備え付けの棚には薪だろうか、整理されて置いてある。
納屋にたどり着くまでそれほど時間をかけたつもりは無かったが、体はそれなりに濡れていた。本降り前だったのに…、想像しているより激しい雨だったようだ。
「風にあおられた雨粒なら真下に落ちると言うより斜め下に向かって落ちてくるし、地面を激しく打ち付けた雨粒が跳ね返り足元から膝あたりまでを濡らす事もあるだろうし…」
僕はリュックからタオルを取り出し、女性に手渡し拭くのに使ってと伝える。濡れたままでは体が冷える、今はまだ昼だが夜ともなれば話は別だろう。ましてやこれまで見てきた限りでは、町中に街灯などのガスや電気が伴うような施設や器具はなかったように思える。
なると雨に濡れた体を放置して体調を悪化させる事は想像しているよりこの辺りでは深刻な事なのかも知れない。医療体制も有って無きが如しかも知れない。江戸時代なんて医者に診てもらうにはかなりの金がかかったと言うし…。いずれにせよ病気にはならない事が一番なのだ。
しかし…、この辺りの文化とか科学の発展はどのくらいなのだろう。少なくとも日本で考えれば、時代的に明治時代にも至っていないように思える。西洋などならば…、産業革命に至ってないぐらいだろうか…?
高校の選択科目で僕は世界史を選ばなかったから、その時代感覚はよく分からない。西暦何年あたりになるんだろう…。中世…、くらいだろうか?
僕がそんな事を考えていると、体を拭いていた女性がこんなに厚くて柔らかい布を…と呟いている。あ…、なるほど…。日本でも時代劇とかで取り出す布地って手拭だもんなあ…。手拭いは薄い生地だ。もし、この辺りも同じ様な物を使っているならば、厚さも吸水力も段違いな筈だ。
僕の住んでいる現代日本とこの町は物凄く相違がありそうだ。これから先どうなるかは分からないけど、このギャップの事は常に意識しておいた方が良さそうだ。
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