第670話 タネ明かしと賢者の片鱗(へんりん)
出来上がった干しパサウェイを見てザンユウさんは一言ぬうぅと呟いた。自分で切ってみたいと言うので果物ナイフを貸すと鮮やかな手捌きで干しパサウェイをスライスしていく。その断面を見てザンユウさんはまた一声唸り口に含む。
「間違いない、パサウェイだ。その皮をむき寒風に晒すだけでこのような美味になるとは…」
その横でメセアさんは無表情のままモムモムと干しパサウェイを食べている。
「美味しい…」
表情こそ変わらないがメセアさんも端的に感想を言ってくれる、良かったね…キリ…。美味しく出来上がったよ。僕がそう思っているとザンユウさんは悔しそうな表情をしながらパサウェイの実を食べていた。
「だが、口惜しい事この上なし…。どうして今までこの味に気付かなかったのか…、そしてなぜ寒風にさらすとこのように甘くなるというのを今の今まで…、このザンユウ…一生の不覚ッ…!!」
最後のひとくちを飲み込むとザンユウさんが吐き捨てるように言った。
「だが、どうしてこうなる!?なぜ甘くなる?そ、それが分からぬ!」
キッ!!
ザンユウさんがこちらに強い視線を向けた。
「どうしてこうなった!おぬしはそれを知っていてこうしたのか!?」
「は、はい!ですが、確信とまでは…。多分、いけるんじゃないか…そのくらいの気持ちでした」
「では、おぬしに問う!なぜパサウェイがこうも甘くなるのだ!?口にしただけで不快極まりなあえ苦味やエグみ…、さらには渋味まであるパサウェイに何が起こったのだ?」
「パ、パサウェイの実は枝からもいだ後も実はまだ生きているんです!」
ぬう…、ザンユウさんは妙な事を言うとばかりに一声洩らした。
「たしかに…、すぐには腐らぬからな…。だが、それがどうした?その事に何の関わりがある?」
「大ありです!実はパサウェイの実は枝からもいでも呼吸を続けています」
「その通りだ。だが、よく知っておるな…。果物が息をしている事を知るのは我らエルフ族くらいだと思うておったが…」
「その呼吸ですがパサウェイは皮をむくと呼吸が出来なくなるのです」
「な、なんと!?だが、それでは我々が息を出来ぬように口や鼻を塞がれるようなものではないか!」
「はい。ですが、それが大事なんです」
「な、なんと…?」
「皮をむく事で…、呼吸が出来なくなった事でパサウェイの実の中ではある事が起きています。それは酒精が生まれる事なんです、その酒精が生まれる過程で…」
「苦味やエグみ、渋さが薄れ甘みや旨味へと変わっていくという事か…」
「はい。その通りです」
「ぬうう…、我らエルフ族は森の民を自称しておるが…まだまだ知らぬ事があったとは…。しかもこんな美味を…。なぜこんな身近にある物を見落とし、あまつさえ毛嫌いしていたのか…」
「僕の故郷てばかつて甘いものはほとんどなく、戦乱があったり雨が降らなかったりで飢え死にする人も少なくなかったと聞いています。反対にエルフの皆さんが愛するこの森はたいへん豊かだと聞いています。わざわざこれを食べなくても他に豊かな実りがあるならそれを食べますよね。だからパサウェイに触れる必要がなかったんだと思います」
「なるほど…な。だが、それを短い時間で思いつき甘味にまで仕上げるとは…。おそるべき知識だ」
「実はこのパサウェイに似た物があって…、たまたまそれを思い出したんです。僕の故郷でかつてはとても貴重な甘いもの、ましてや飢え死にも珍しくなかった中で保存食にもなる食べ物…」
「必要が…、この味を生んだという事か…」
どっかりとザンユウさんは丸太のベンチに腰掛けるとそれまでの険しい表情を崩し大きな声を上げて笑い始めた。
「ふ…、ふふふっ!ふはははっ!!ふわーはっはっはっー!!これは面白い体験をさせてもらった!ましてや我らエルフ族が見向きもしないパサウェイの実にこのような美味さが眠っておったとは…、嬉しい限り!だが、同時にこのザンユウ・バラカイは大いに恥じる、己の未熟さとこの目が曇っておった事をな…。だが、今はこの新たな味に出会えた事をただ感謝いたそう…」
ザンユウさんが美味いと言ってくれている…、これはきっと凄い事なんだと思う。そしてメセアさんも…。それに先程は里長さん自身も美味いと言ってくれたんだからきっと…。
その干しパサウェイだが背負い籠いっぱいに入っている。その仕上がりの良さ、美味しさに里のエルフの皆さんも顔が綻ぶと同時にこんな良い物をずっと見逃していたとは…と残念がっていたりもする。
「どうでしょう、里長さん。この干しパサウェイ、里入りの儀でお持ちするのに相応しい手土産となったでしょうか?」
僕が尋ねると里長さんは笑顔で頷いた。
「もちろんっ!もちろんですぞ、ゲンタ殿!これは素晴らしいものです!里の者はあなたを迎えるのに誰も不満などありはしますまい!」
里長が自信満々といった感じで言うと他の皆さんもウンウンと頷いた。良かった、これでエルフの里への受け入れも認めてもらえたようだ…そう思った時だった。
「不満なら…ある…」
そう言ったのはなんと世界樹の精霊にしてハイエルフのメセアさん。みんな何事かと彼女を見つめる、もしかすると里の皆さん…それこそザンユウさんですら感じなかったパサウェイへの不満があったのかも知れない。
「そ…、それは…?」
震える声でそれだけを尋ねる。
「もっと…食べたい…。量が…少ない…」
「え…?」
意外な言葉に僕は思わず問い返す。
「量が…」
「い、いやいや!そ、それは分かります。で、でも、パサウェイの木はこの里から少し行った所に水を多く含む場所があってそこに何本か生えていました。そこにあった実はとりあえず全部もいできたんですが…」
「む…」
「土が違うのかパサウェイは他の場所にはあまり生えてないようで…」
僕がそう言うとメセアさんは何か少し考えるような素振りを見せるとやがて口を開いた。
「なら…、増やそう…」
「え!?」
ふ、増やす?栽培するの?
「そしてパサウェイの実に埋め尽くされよう!」
「は、話し方まで変わってますよ!でも、どうやって…?」
「これ…」
メセアさんが取り出したのは少し太めの三日月のような小さな茶色の粒みたいな物だった。見覚えがある、日本のスーパーなんかでもよく売られている米が原料のお菓子である柿の種みたいな形をしている。
「パサウェイの種を植えて…増やすという事ですか?」
こくり…。
メセアさんは頷く。
「で、でも!種を植えて育てるにしてもすぐに実をつけられるほどは大きくはなりませんよ。僕の故郷でも『桃栗三年、柿八年』って諺があって…、その柿っていうのがパサウェイに似ているんです。実をつけるまで八年…実際にはもう少し短い年月で実をつけるみたいですけど…」
「パサウェイに…似てる?」
小首をコテンと傾げてメセアさんが呟いた。
「うん、似てた。似てた!味も色合いも、形はパサウェイよりもうちょっと丸い感じで…」
ロヒューメさんがパサウェイを乾かしている間に食べた干し柿の事を話している。
「…美味しかった?」
「うん。落ち着いた風味でね、いつまでも噛んでいたいって思うような…」
「…食べたい」
ポツリ、メセアさんが小さく呟いた。
「すいません、干しパサウェイを作ってる間にみんなで全部食べちゃって…」
「また…手に入る…?」
ちら…、上目遣いでメセアさんが問いかけてくる。ちょっと可愛い。
「ええ、まあ。そこまで入手が難しい訳じゃないし…。えっと…じゃあ…、明日にで…いや、ミ…ミーンに戻った時にでも…」
おっと危ない、明日にでも…なんて言ったら調達してくるのは今夜中には…という事になっちゃう。そしたらさすがに不審に思われるだろう、だからミーンでという事を伝えた。
「なら、ついていく…」
「「「「え!?」」」」
その場にいる誰もが大きな声を上げていた。