第669話 おちこぼれの風精霊(ゼピュロス)
むう…。
今回の章では結婚の申し込みをする過程でゲンタとシルフィの仲が深まるようにしていく予定だったのですが、いつの間にかキリが爆速の追い込みをかけてヒロインになりそうな勢い…。
うわ…、どうしよう。
ここからどうやってシルフィをメインヒロインに押し戻すか…。頑張れ、シルフィ。差し返せ!
「ア、アタシ…、出来ない…」
「え…?」
俯きながらキリが呟く。
「え…?どうして…?さっきはパサウェイをしっかり乾燥させたじゃない。なんならその後に大量に干してたやつもちゃんと…」
そうなのだ。最初にちゃんとパサウェイの実が柿のように干せばちゃんと苦味や渋みが抜けて美味しく食べられるかどうかテストした時も、今こうして背負い籠いっぱいにして持って帰ってきた同時にたくさんのパサウェイの実を吊るして干した物も全部キリが風を吹かせて作っていた。それなのにどうして…、僕がそう思っているとキリは弱々しく呟いた。
「アタシ…、おちこぼれなんだ。顔見知りだったり、何人かが見てるくらいなら大丈夫なんだけどたくさんの人に見られてたりすると…その…緊張しちゃって…。お、おかしいでしょ?風を自在に操れる風精霊がそんな事くらいで満足にそよ風すら起こせなくなっちゃうんだから…」
胸の前で両手をギュッと握りながらキリは悲しそうに呟いた。それがひどく辛そうに、小さな体がより小さく見えた。
「キリ…」
「アタシも…、グラもだけど…似た物同士でさ…。ひ、人前に出ちゃうといつも通りの力が出なくなっちゃう…。だから、アタシまだ妖精界から物質界にも行った事ないんだ。妖精界より物質界の方が精霊の力は発揮しづらくなるから…。…ごめんね、ゲンタ。アタシじゃアンタに恥をかかせちゃう、ちゃんとパサウェイが美味しくなるのに…アタシがいたんじゃそれも出来ない…」
「キリ…、初めて僕の名前を…」
「シルフィ…、あの子と…風精霊たちの愛し子と仲良くしてね。それに…きっとシルフィが呼ぶ風精霊なら失敗はないわ、…だからアタシ、お役御免だね…。ちょっとの間だったけど…た、楽しかった…わよ。さよなら…、ちゃんとパサウェイが美味しくなる事を祈ってるわ…」
そう言うとキリは少しだけ笑顔を浮かべた。だけど目元は泣き顔だ、その端っこからポロリと雫が落ちた。それからキリは僕に背を向けて去ろうとする、慌ててグラがその背中を追いかけようとした。
「ッ!?待って、キリ!」
僕は去ろうとするキリとグラの小さな体を後ろから包むようにして触れた。
「な、なによ…。離しなさいよ…、アタシ…役立たずなんだよ…。アンタの役に立ちたいのに…、なんにも出来ないんだから…」
「一回…、一回だけ試してみよう…?こうやってさ、僕が後ろについてる。こうすれば他の人からは僕の背中しか見えない…。それに横にはグラも一緒だ、心強いでしょ?これならどうかな、ずっと一緒にいるからさ」
「で、でも…」
「失敗は誰にでもあるよ。知ってる?僕ら人はさ、赤ちゃんの頃は立って歩けないんだ。ずっと寝て過ごしてやがて起きる事が出来るようになるんだ」
「………」
「それでやっと立ち上がれそうになってもすぐに転んだりして…、何かに掴まりながらやっと立ったりするんだ。それから歩くのだって何歩か歩くのが限界…。でも、僕は今こうして普通に立って歩いてる…」
キリは泣きそうな顔のまま僕の方をじっと見ている。
「確かにシルフィさんが呼んだ風精霊の子なら干しパサウェイを問題なく作れるのかも知れない。だけど僕は君の…、キリが吹かせた風で作った干したパサウェイが良い。一緒に作ったんだからさ…」
この子は僕たちしかいない時なら問題なくパサウェイを風を起こして干す事が出来た。だけどたくさんの人や慣れない人がいると本来の実力が発揮できないのかも知れない。だから僕が彼女を後ろから包み込むようにして持てば他人の視線を遮る事ができる、そうすれば彼女は先程のように上手くやれるんじゃないか…僕はそう考えたんだ。
「…ふ、ふんっ!し、失敗しても文句なんか…言わないでよね…。そ、それでも良ければ…」
「うん。言わない…、文句なんて。だからキリ、お願い」
「わ、分かったわよ…。ア、アンタがそこまで言うんだったら…」
そう言うとキリはパサウェイの実に向き合った。だが、やはりその体はまだ少し震えていて彼女の緊張が触れている僕の指先から伝わってくる。
「あ、あの…、あのねっ!」
キリが話しかけてくる。
「か、風を吹かせるってアンタが思う以上に大変な事なの!」
「うん…」
「だ、だから、アタシの体をしっかり掴んで支えなさいっ!ぜ、絶対…離しちゃ…ダメなんだから…」
「これで良い?」
きゅっ…。
僕は両手の平を合わせてキリとグラを包むように軽く握った。地方の古い遊園地にあるような二人乗りのゴンドラみたいだな、不意にそんな考えが頭に浮かんでくる。
「も、もうちょっとしっかり…。うん、そう…。じゃ、じゃあ…やるわよ…」
そう言うとキリは両手を前方に伸ばした、すでに氷精霊のクリスタの準備は整っている。
「…で、出来るんだから…。アタシ…、出来るんだから…」
キリはそう言っているものの風はまったく吹かない。
「な、なんでよ!?なんで風が吹いてくれないの!?アタシ、風精霊なのに!どうしていつも、いつも大事な時に風が起こせないの!こ、こんなの…、こんなの…」
キリの声がだんだん涙混じりのものになっていく、僕はそんなキリに申し訳ない気持ちでいっぱいになっていく。最初からキリは出来ないと言っていた、それなのに僕が頼んだせいで彼女はさらに落ち込んでしまうのではないかと。余計にキリを傷つけてしまうのではないかと僕の心は痛んだ。
「キリ…、ごめんね。も、もう…無理しなくて良いから…」
「ッ!?む、無理なんて…!ア、アタシ、やめない!絶対に諦めないんだから!風を吹かせる…、自分の為には出来なくても…。ア、アンタの為ならアタシ…出来るんだからあっ!!」
そう言ってキリは両手をさらに前へと突き出す、小さな体を目一杯に強張らせてまっすぐ正面を見つめていた。
「ふ…、吹いてよ…。お願いだから吹いてっ!アタシのせいで…ゲンタを…ゲンタを困らせたくない!」
「キリ…」
「ア、アタシは役立たずでも…ゲンタの為に…風を!!」
そよ…。
ほんのわずか…、空気が動いた。それは聞き逃す事も十分にあり得る、ほんのわずかに空気が揺れて僕の耳が音を感じるかどうかといった程度のもの…。僕は思わず呟いていた。
「く、空気が揺れた…。も、もっと…」
注意してなければ何も感じないほどのかすかな空気の揺れ…、だけどそれはたくさんの人がいる前に出るのが苦手なキリが必死になって起こした空気の揺れ…。
「もっと…、もっと強く吹いて!」
キリも叫んでいた。始めは吐息よりも弱い空気の流れでしかなかったそれはやがて春のうららかな頬を撫でていくようなものとなり、そしていつしかクリスタの生み出す冷気と合わさり真冬独特のピュウピュウと音がするものへと変わっていった。
「お、お願い。このまま…、このまま…!」
冷たく乾いた風はパサウェイの実をどんどん乾かしていく。色鮮やかなオレンジ色だった実がだんだんと黒ずんていく、卵のような丸い形だったが次第に萎みシワシワで歪な見た目へと変わっていく。半刻(約一時間)までは時間はかかっていないと思う、その間ずっとキリはパサウェイから目を離さなずにいた。彼女はずっと必死に腕を伸ばし揺れるパサウェイを見つめ、グラはそんな彼女を隣で支え続けた。クリスタも無表情ではあったがずっとキリを見守っていた、そんな三人が力を合わせてひとつの干し果物が出来た。
「キ…、キリ…、出来てるよ…。干しパサウェイ…出来てる…」
「ア、アタシ…、やったの…?」
すっかり仕上がったパサウェイを見てキリが呟く。
「そうだよ、頑張ったね…キリ。ありがとう…」
「…と、当然よ。風精霊なんだから…。でも、ちょ…ちょっと…つ、疲れたから…アタシちょっと…休むから…。う、動くのも…面倒だから…アンタこのまま手で…アタシのこと…持ってなさいよ。絶対…離しちゃ…ダメ…。い、言っとくけど…アンタの手の中にいたい…とかじゃないんだからね…」
「分かってるよ、それだけ疲れてるって事なんだよね。ゆっくり休んで…」
「馬鹿…、鈍感…」
そう言うとキリの体から力が抜け、静かに目を閉じた。
2025/02/06
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