第661話 里入りの儀
広場でのお茶会…、カグヤによるマンツーマンの『飲んで』『食べて』攻撃は手近なところにあるクッキーが全て無くなるまで続いた。全部で十枚くらいだったろうか…、手渡す前にひとくち齧りそれが僕の口に運ばれる時にカグヤの微笑む顔がひどく印象的だった。ちなみにその光景はエルフ族の皆さんからは非常に好意的に受け止められた。
「おお…!ゲンタ殿と闇精霊が食べ物を分かち合っておられる…」
そんな呟きがあちこちから聞こえてくる。日本でなら花嫁になる人の目の前で別の女の子にこんな事をされていたら非難を受けたりドン引きされたりしそうなものだ。しかしエルフの皆さんは僕とカグヤの関係をいわば友愛のようなものだと捉えているらしい。エルフは精霊と共にある、その考えが強く根付いているのがその根幹にあるのだろう。
僕とカグヤではサイズ感も違うから無邪気にじゃれているくらいに見えるのかも知れない、しかしその実際は…。
(ふふ…、最低…。シルフィの目の前なのに…)
カグヤが僕の心の中に直接語りかけてくる。
(好きだよ…、ゲンタ…)
今はシャツの胸ポケットの中にいるカグヤがそっと呟いてくる。シルフィさんがそばにいるのに…、もしかしたら聞こえてしまったりしないかとヒヤヒヤする。
また、エルフ族の皆さんの関心は大精霊であるソル様にもレネ様にも向けられている。(髪の毛で物理的に)寄り添う二人を見てこれまた仲睦まじいと好意的な目を向けている。病的なまでの独占欲、それをエルフ族は否定しないようだ。考えてみれば例外もあるけれどエルフ族は基本的には一夫一婦制だ。しかも寿命が長いから何百年と寄り添う訳で相手への思いが深い。そのエルフ族より遥かに長く生きているソル様とレネ様、エルフ族とは比べ物にならないくらいに思いが強いのかもしれない。
そんな事を考えていると何気ない会話が耳に入ってきた。
「そう言えば里長、ゲンタ殿の里入りの儀はいかがなさる?」
里長ほどではないがある程度の年齢は重ねているであろうエルフの男性が尋ねていた。
「里入りの儀?なんだろう?」
初めて聞く単語に僕は首を傾げた。
「エルフ族に古くから伝わる風習です」
隣に座るシルフィさんが応じた。
「結婚などで他の里に迎えられる者は挨拶を兼ねてその里の近くで自分の力で鳥を狩猟したり果実を採取をしたりして手土産にする…といったような…」
なるほど、引っ越し蕎麦みたいなものだろうか?そう思っていると里長はそれは不用と言っていた。
「ゲンタ殿にはそれは不用であろう。なんたって光の大精霊ソル様とはご昵懇、またレネ様がこの里を訪れてくださったのもそのご縁から…。そのような方の御手を煩わせるなど…」
「それでは里の慣わしが…」
「もしそれでゲンタ殿がお怪我でもされたらなんとする!畏れ多くもソル様のお孫様にも等しいのじゃぞ!」
「しかし…」
なにやら不穏な雰囲気だ。そこで僕は席を立ち里長だちが話している所に向かった。
「里長さん」
「ん?おお、どうされましたゲンタ殿?」
「その里入りの儀、是非やらせて下さい」
「な、なんと!?ゲンタ殿?いや、それは…」
「僕だけ特別という訳にはいきませんよ。それにこれまで里入りの儀を果たしてこられた方も少なくないはず…。その方々にも顔向け出来ませんし…」
僕がそう言うと里長はムムム…と唸っていたがやがて納得したように口を開いた。
「…分かりました。ゲンタ殿がそう仰るなら…」
「ありがとうございます、里長さん。では、もう少ししたら果物とかを集めに行ってきますね」
「おお、そうですな!それならばお怪我をする可能性も少ないでしょう。ですが、何があるかは分からないのが世の常ですぞ。くれぐれもお気をつけて…、まあこの季節は実りの季節。森のあまり深いところまで行かずとも…、アッ!?」
里長さんが何かを思い出したように短い声を上げた。
「ど、どうしたんですか?」
「じ、実は…」
里長さんから話を聞いてみると実はこの付近の果物を取り尽くしてしまったのだという。
「そ、その…シルフィやフィロスたちが戻ってくる知らせを聞いて…。つ、つい…里の者たちを総出して採取してしまったのです。張り切って…いや、張り切り過ぎてしもうたわい…。次の果物は冬まで待たねば…」
「え?そ、そんな…」
「い、いや、心配ご無用!!この森は鳥なども豊富ゆえ…」
里長さんは自分に言い聞かせるように言った。
「ゲンタ殿はシルフィたちと同じで冒険者であると聞く。それならば弓ひとつあれば鳥の一匹くらい…」
「な、ないんです…」
「え?ま、まさか…。本当に?」
「はい、触った事もなく…」
里長が固まった。
「と、とりあえず…行ってきますね」
そうは言ったものの…、僕はこのあたりの事は知らないし…。うわあ…、どうしよう…。他の心は不安に包まれていった。