第649話 三つ首の鷹。この紋章が…
「お待ちなさァいッ!!」
横合いからかかった声の方をみると農夫の人が畑で着るような粗末な衣服を身につけた男性がいた。杖をつき、頭には泥よけだろうか頬かむりのような物をしている。
「なんだ、農夫か…。引っ込んでおれ!」
ペドフィリー前侯爵が叫ぶ。
「いやはや、それは出来ませんな。そのような乱暴狼藉を目の当たりにして見過ごす事など…」
「前侯爵を愚弄するかァ!」
老人の近くにいた…、これは鎧を着ていないからおそらくは私兵だろう。その男が老人に切りかかる。
「ちえいッ!!」
ズドンッ!!
「ぐう…、おおおっ…」
ばたり…。切りかかる男に対し老人は手に持つその杖でまっすぐに突いた。丁度、鳩尾のあたりだったのだろう。男は空気が抜けるような声を出しながら地面にそのまま突っ伏した。起き上がりそうな様子はない。
「お、おのれ!このジジイめ!」
「名も無き者の分際で!!」
前侯爵のお抱えの騎士や私兵たちが色めき立つ。
「ほう、私の名前が知りたいですか?ふふふ…、知ればきっと震えがきますぞ?」
「ほ、ほざくなァ!ならば、先にお前から殺ってくれるわッ!!」
騎士や私兵たちがターゲットを僕から農夫の老人に移したようだ。こちらに詰め寄ろうとするのをやめてお爺さんに向かおうとする。一方、お爺さんは後ろに向かって声をかける、そこには同じような格好をした若い男性が二人いた。
「致し方ありませんな。スケアーリィ、カクノーブル…」
「はっ!」
「ははっ!!」
二人の若い男性…スケアーリィ、そしてカクノーブルと呼ばれた二人が応じる。よく見ればこの二人、体格も立派だ。ナジナさんやウォズマさんと比べても遜色ないかも知れない。
「懲らしめてやりなさァいッ!!」
「「ははッ!!」」
二人の男性がお爺さんの前に出る、それと同時に一番手近にいた完全武装の騎士が襲いかかる。
「おのれえっ!!」
手には打鞭と呼ばれる金属製の太い棒を持っている。あんな物で殴られたら良くて重傷、運が悪ければ死んでしまうだろう。そんな得物を持つ相手に立ち向かったのはカクノーブルと呼ばれた男性、武器を振りかざす相手に対し一瞬で間合いを詰めて肉迫する。
ごぎぎっ!!
カクノーブルと呼ばれた男性が相手の顎を突き上げるような掌底を放つ。狙い通り命中し襲いかかった騎士の歯が何本も折れて宙を舞った。そしてカクノーブルは騎士が手にした打鞭を奪うとそれをスケアーリィと呼ばれた人に軽く投げて渡した。
「応!!」
寄越された打鞭を空中で掴むとスケアーリィはそれを二、三回素振りして確かめると剣を持つようにして構えた。どうやら殴り武器である打鞭を剣に見立てて使うようだ。
「小癪な!!」
近くの騎士が切りかかる。
ガキン!!金属同士がぶつかり合う激しい音、互いの武器を使っての押し込み合い…まるで力比べのような格好になる。あれで相手の体勢を崩して地面に押し倒しトドメの一撃を食らわせようとしてるのだろう。
「ぬおおおお!!」
騎士が力任せに押し込んでくる。
「ふっ…」
ひょいとスケアーリィが武器を持つ手から力を抜いて身を引いた。
「うおっ?」
たまらず騎士がバランスを崩して前のめりになる、スケアーリィは横に回り込み死に体となった好きだらけの首元に一撃を見舞う。騎士はあっさと打ち倒され地面に転がった。そこに次の騎士が襲いかかるが今度はあっさりと敵の剣に打鞭を絡ませるようにして上に跳ね上げると騎士が手にしていた剣があっさりと宙に舞う。そんなスキだらけになった騎士の首元を狙ってまたもや打鞭が振るわれる。その一撃はまたもやあっさりと騎士の意識を奪った。
「強いな…。剣捌きが綺麗だ…」
「ああ、もう一人もかなり強いぜ。良い腕力をしてやがる、やり合うとなりゃ真剣でいかねえとヤバそうだな」
スケアーリィ…カクノーブル…、二人の戦いぶりを見てウォズマさんとナジナさんが呟いている。二人がそこまで言うくらいだ、あの二人の男性は相当な腕なのだろう。
「くそう、こうなりゃあのジジイだけでも!」
劣勢の中、背丈ほどもありそうな大剣を手にした私兵の一人がお爺さんに向かっていった。大きく振りかぶったその大剣をそのまま振り下ろそうとする。一方のお爺さんはそれを手にした杖で受け止めようとする。
「うはははっ!!馬鹿め!大剣を棒切れ同様の杖で止めようてか!杖ごと真っ二つにしてくれるわッ!死ねいッ!!」
ガキンッ!!なんとお爺さんは杖で大猪の首すら一撃で断ち切りそうな大剣の斬撃を受け止めた。
「な、なにィ!?なぜだァ!?なぜ木で出来た杖が切れぬゥッ!?」
「この杖の中には太い鉄の棒が仕込んであるのですよ!ほうりゃあ!!」
お爺さんは受け止めた大剣を杖で横に振り払うと返す刀ならぬ杖で反対方向に薙ぎ払った、騎士のガラ空きの胴に容赦ないゆ打撃が見舞われる。鉄の棒が仕込まれているという杖の一撃は鎧を着込んだ騎士すらも地面に薙ぎ倒す。
「………。あのお爺さん…どこかで…」
会った事があるような気がする…、僕がそう思った時だった。
「え、ええい!!弩兵はどこだ!!?弩だ、弩を使え!!」
「おうっ、ここに!!」
そう言って大の大人がやっと持って構えられるような大きなクロスボウを持った男が現れお爺さんに狙いをつけた。さすがのお爺さんも下手に動き回るのをやめ、杖を両手に防御の構えをとる。それを見て弩を構える弩兵は小馬鹿にするように笑った。
「ふははっ!杖ごときでこの太矢を防げるものか!!むしろその威力に杖の方が弾かれるわッ!!これは一番大きな戦闘用…、重装騎士の鎧すら薄絹のように貫くのだ!!」
弩兵が引き金に指を掛ける、それを見てスケアーリィとカクノーブルの二人が焦った声を出す。
「あっ!」
「御隠居ッ!!」
ヒュンッ!!
どこからか飛んできた五寸釘くらいありそうな太い金属の串状の物が弩兵の手の甲を貫通するように突き刺さった。
「ぐわあっ!!」
シュビイインッ!!
弩兵の手から太矢が放たれた、しかしそれは斜め上空へと向けられていた。太矢は恐ろしいほどの初速で飛んでいく、あの分なら町の外に飛んでいったろう。そして町の外に飛んでいった矢と入れ替わるようにして新たに一人の男性が乱入してきた、ヒラリと軽業師のように宙を舞って現れたその人は濃い深緑色の体にしっかりフィットする服を着ていた。そして争いの場に飛び込むといつの間にか抜いた短剣を逆手に構え弩兵の腕のあたりに切りつけた。
「へへへ、これでもう弩を使えませんぜ」
「ヤー・チー、助かりました」
「へーい、お安いご用で…」
ヤー・チーと呼ばれたその人はなんとも渋い壮年から中年にかけてくらいの男性、お爺さんの礼の言葉に片頬に笑みを浮かべて応じた。そしてお爺さんたちとペドフィリー前侯爵お抱えの騎士や私兵たちとの双方入り混っての乱闘も終わりに近づいていた、それはお爺さんたちの一方的な勝利。攻撃を一回も当てる事が出来ないまま次々と打ち倒されていく。
「く、くそおっ!!せめて…」
敵の騎士の一人が武器を捨てて防御もせずにお爺さんに向かって玉砕覚悟の突撃を敢行する。それをカクノーブルが回り込みガッチリと受け止めた、レスリングや相撲で言えば組み合った状態だ。二人ともいわゆる巨漢である、その重量級同士の取っ組み合いは見ているだけで迫力がある。
「うははははっ!見たところ体格は互角だが、大人一人分の体重よりはるかに重い鉄鎧を来た我を止められるものか!このまま押し切って…な、なにィッ!?」
「ぬああああッ!!」
なんとカクノーブルは片手一本で相手騎士の喉元を掴むと高々と持ち上げた、そしてそのまま地面に叩きつけた。
「チョ…、喉輪落とし(チョークスラム)」だ…」
地響きのような音を立てて叩きつけられた仲間を見て敵が一斉に怯んだ。結局、この一撃が特大の決め手となり敵の不利が決定的になる。敵の抵抗も散発的になったところでお爺さんが声を上げた。
「スケアーリィ、カクノーブル、もう良いでしょう」
「はっ!」
「ははっ!」
スケアーリィ、カクノーブルの二人も相手にしていた敵を大きく殴り飛ばしてお爺さんの近くを固めた。一方で配下を散々に打ちのめされたペドフィリー前侯爵は悔しそうに何やら喚いている。そしてカクノーブルが懐から何かを取り出すと声高に叫ぶ。
「静まれ、静まれェェいッ!!この短剣の紋章が目に入らぬか!!」
「なァにい〜、紋章だとお〜?貴族にでもなったつもり…うっ、うげげげッ!?」
胡散臭そうにカクノーブルの持つ短剣を見たペドフィリーがこれ以上ない程の素っ頓狂な声を上げていた。僕もその短剣を見た、短剣の柄の部分には三つ鳥の頭の部分があしらわれている。
「み…三つ首の鷹ッ!?お、王家の紋章である三つ首の鷲と同じ物を使っては…と遠慮してより小型の鷹を自家の紋章とするのはッ…」
焦りに焦った声でペドフィリーが呟く、甲高い声なのは相変わらずだが今は締め上げられた鳥のような追い詰められたような声だ。
「こちらにおわす御方をどなたと心得る!!畏れ多くも先先代の国王陛下の弟君、先代の公の位にお就きであったミトミツク殿下にあらせられるぞ!一同、頭が高い!控えおろう!!」
そのセリフが終わるのを待っていた訳ではないだろうがお爺さんが頰かむりの布を取った。間違いない、先日ゴクキョウさんの宿屋で出した食事を絶賛してくれたミトミツク様だ。
国王陛下や公殿下にどういう礼をしたら良いか分からない僕だったが周囲を見ると奥方様に接する時のように片膝を地面についている。僕もそれに倣った。一方でペドフィリー前侯爵は膝をつく事はなく、軽く腰を曲げ頭を垂れるにとどまった。
「あ、あ、ああ…。先代の公殿下に剣を向けてしまった…。じ、自分はこれからどうなるのだ…」
騎士の一人がそんな事を震えながら呟いている、それに気付いたのかミトミツク様は震える騎士に軽口を叩くような口調で話しかける。
「どうですかな、私の名は…。知ったら震えが来たでしょう?」
にこり…。
品の良い笑顔でミトミツクさんは笑ったのだった。