第645話 格の違いと勝利の美酒
「う、うぐぐぐぐっ!!み、認めん!認めんぞォォッ!!」
その太い腹と人差し指を突き出してコーイン・ペドフィリー前侯爵は叫んだ。甲高い声をさらに高く張り上げ、顔は怒りによってこれ以上ないほどに紅潮している。怒りを向ける対象はもちろん七歳のモネ様と抱擁をしている僕だ。
「た、たまたま好みに合うような物を出せたからと言って…」
「たまたま?」
僕はひざまづきモネ様を抱いたまま首だけをペドフィリー前侯爵の方に向けて応じた。
「そ、そうだ!たまたま手元にあの大小一組の首飾りがあったのだろう。それが気に入られたからと…」
「御自身はあんな腕輪を贈られたのに?モネ様のお体には合わないサイズ、そして地金の色見が悪い。相当に金の含有量が低かろうと思われますが…」
「な、な、なにおうっ!?」
「おっと失礼を致しました、駆け出しとはいえ僕は商いもしておりまして…。ついつい品物について寸評してしまう…、僕の悪いクセ!」
某人気刑事ドラマの警部殿のように僕は茶化してみせる。
「ふ、ふざけているのか!?」
「いいえ」
憤るロリコン貴族に僕は冷えた声で言った。
「贈り物は値段が全てとまでは申しませんがあの品はあまりに廉価、侯爵家の御方ならいくらでも良い品を取り寄せる術はありましょうに…。仮にも妻に…と思し召す大切なモネ様にお渡しするにはいささか粗末かと…、場末の娼婦への心付けなら喜ばれましょうが…。対して私はあの首飾りをご用意しました、…こんな駆け出しの…、大した力もない無位無冠の若造でもこの程度はご用意できるのに…」
侯爵家の…、人生経験も豊富な貴方が用意できないなんて…言外に皮肉を匂わせながら独り言めいて呟く。
「う、うぬぬ!ひ、ひとつくらいの首飾りで良い気になりおってえッ!!」
「ひとつではないッ!!」
怒りで叫んだ前侯爵に対して僕もついつい大声になる。
「コレットさん!!」
僕の声に応じてコレットさんや他にも女官たちが上から布をかけたワゴンを押して次々にやってくる。たちまち広間の上座がワゴンで埋まる、そしてコレットさんたちが布をパッと取り払った。
「あっ!!あああっ!!」
「な、なんと!?」
「すごい…、いっぱい…」
現れたのは金、銀、プラチナの様々な地金に色とりどりの宝石を散りばめたアクセサリーの数々…。ティアラやイヤリング、首飾りに腕輪に足輪、他にも指輪や額輪…多種多様な輝きに溢れている。
このアクセサリーは新宿を走り回って手に入れてきた人工宝石などを使ってガントンさんたちドワーフの皆さんに作ってもらった物だ。ガントンさんに言わせれば鋼に比べれば金など柔らかいにも程があり加工も容易いと言っていた。
「あ、あれは真珠…!真珠の首飾りや!し、しかも…ま、真円や!まんまるの真珠やないかい!しかも粒が揃っうとるで…」
数あるアクセサリーの中から真珠を使った物に目を留めた商人が驚いている。…そうか、現代日本でなら当たり前だけど昔は…それこそ日本初の養殖真珠は半円真珠と聞いた事がある。もしかすると異世界では真珠は想像以上に貴重なのかも知れないな…。
「そ、それにしても…。い、一体いくつあるのかしら…」
「三百六十ッ!!」
前侯爵の取り巻きのうちの一人、中年くらいの女性が言った一言に僕は短く応じた。
「そ、そんなに…」
取り巻きの中年女性はたじろぎながら呟いた、僕はそちらを一顧だにせず奥方様に話しかける。
「全てではございませぬがこちらの装身具は長さの調整が利く物もございます。これならばラ・フォンティーヌ様にもモネ様にもお使いいただけます。いかがにございましょう?その日の気分やお召し物に合わせて身につける物をお決めになさるのもまた一興かと…」
「ほほほ…。それでは毎日ひとつずつ着け替えても一年かかるのう。まったくゲンタよ、そなたは女性を喜ばせる名人じゃの」
モネ様を抱き寄せた手を話し掛けた僕に奥方様は微笑みながら応じた。
「ははっ、ありがたき幸せ…」
「それにしても…、ふふ…。少々喜び過ぎて喉が渇いたわい…」
合図だ…。かねてから打ち合わせていた通り、そろそろ終わりにしろという合図だ。
「これは気がつきませんで失礼いたしました。奥方様におかれましては今朝早くから忙しく領を回られておりましたゆえ…。それではワインなど進ぜましょう、ようく冷やした水精霊を…。コレットさん、お願いします」
ワゴンに乗せられ1ダースのワインが運ばれてくる。
ざわっ…。
今日何度目だろう、取り巻きたちが騒ついた。
「ア、水精霊ッ!?あの銘酒を…」
「馬鹿高いワインやないかい!もし、商都で買うたら金貨三十枚(日本円で三百万円相当)はするで…」
「それが…、あんなに…」
うへえ…、輸送が大変とはいえ三百万円か…。コレットさんがワゴンを押して運んでくる一本だけステンレス製のアイスペールに入ったボトル。手早く引き抜くとボトルについた水滴をハンカチを取り出して拭き、濃い色合いのワインをグラスに注いだ。
「ほほ…、いつ飲んでも美味…。ゲンタも…」
そう言って奥方様は飲み終わったグラスで返盃を勧めてくる。
「ありがたく…。お流れを頂戴…」
「モネもじゃ、妾たちの固めの杯ぞ」
「はい、お母様」
「あ、あああっ…!!」
モネ様も同じグラスで水精霊を飲んだ、ロリコン貴族が歯噛みしている。
「ふふっ、めでたい席ゆえこちらの皆々様にもご賞味いただこうかと思うたが…、確か前侯爵様は紅茶の一杯も不用と仰られていたのう…。おそらくワインも口にしているお時間もあるまいて…。それでは筆頭騎士トゥリィ・スネイル、女官長スカイ・キーンの両名…前へ」
「はっ!!」
「はい」
居並ぶナタダ子爵家中の人士の中から名を呼ばれた二人が進み出た。新たにグラスを二つ用意し奥方様はワインを注ぐ。
「此度の事、誠に嬉しい。ゆえに祝い酒の振る舞いじゃ、そなたたちにも飲むがよい」
「はっ、恐悦…」
「頂戴いたします」
「うむ。さて…、まだまだワインは残っておるが…」
開けたボトル以外にも未開封の水精霊はまだ11本ある、それらを見回しながら奥方様は呟いた。ごくり…、ロリコン貴族の取り巻きたちの誰かだろうか、喉を鳴らす音が聞こえた。もしかしたら自分もおこぼれに預かれるかも知れない…、そんな風にでも考えたのだろうか。しかし、出てきた言葉はそんな恥知らずな期待を打ち消すものだった。
「妾は今、たいへん機嫌が良い。ゆえに残るこの水精霊、騎士に女官…それから兵士や下働きに至るまで皆に分け与えるぞ。一口ずつほどになってしまうであろうがそれは妾たちも一緒、我慢してくれい」
「ははっ、奥方様のありがたくもお優しき御心、皆も深く感謝いたしましょう!」
そう言うと皆を代表してスネイルさんが応じた。
「皆、聞いての通りである。このありがたき幸せを奥方様のお優しさには感謝の念を、モネ様におかれてはご多幸を祈りながら一杯ずつ頂戴せよ」
「「「ありがたき幸せ!!」」」
居並ぶ家中の人々の声が響く。
「あああ、私にも…」
「く、下し酒にあれほどの酒を…。買うたら金貨で三百枚(日本円で三千万円相当)以上するやないか…。ワ、ワイもナタダ子爵家の家来になりたいで…」
ロリコン貴族の取り巻きたちは落胆を隠せない、前侯爵がいるのにこんな言葉が出て来るあたりすでに求心力は相当に落ちている。しかし、その本人はどうにも納得が行かないようで…。
「ふ、ふざけるな!こ、婚約者など聞いた事はなかったぞ!こ、これは茶番じゃ!仕組んだ筋書きであろう、わしの邪魔をする為のッ!!こんな取ってつけたように連れてきた婚約者など…。だいたい、貴族の娘に婚約者があるならば肖像画はどうした、肖像画はッ!?」
写真なんかが無い異世界、地球でも中世ヨーロッパなんかでも婚儀の時まで相手に直接会った事がないというのはよくある話。だからお見合い写真という訳じゃないけど婚約者同士、互いの似顔絵を持っていたりする。
「数日前ッ、こちらにわしが来た時の事じゃ。モネ殿はそれらしき物を身につけてはおらなんだし、邸内にそれらしき物もなかった!貴族家の娘に生まれた以上、婚儀について他家との要らぬいざこざを防ぐ為にそれらはしっかりと用意されねばならぬ!それがしきたりというものじゃ!これが無い以上、これは急に仕組まれたものなのじゃ!だから肖像画が無い、さすがにアレは時間がかかる。急拵えでは用意できなんだか!?ええっ?」
憤慨した様子で喚き散らす男、みっともないがその指摘は正鵠を得ていた。確かにこれは仕組んだ事、僕たちが書いた台本だ。だが、なぜそうされてるのかコイツは分かっていない。あんな適当な腕輪ひとつでわずか七歳のモネ様に好き勝手しようというのを笑って許す事があるものか!
「モネ様、あれを…」
そう言うとモネ様はそれに従い手帳サイズの小物を取り出した。
「ん〜?なんですかなモネ殿、それは…」
ぱかっ!
木製の小箱みたいな形だがそれは本のように開いた。すると中には…片面はガラスの鏡、そしてもう片面には僕とモネ様が並んで描かれた物であった。
「な、な、なにィ!?しょ、しょ、肖像画ぁ!!」
「そ、それにガラスの手鏡ッ!!」
驚いている連中に僕は声をかける。
「どうです?肖像画…よく描けてるでしょ。手鏡も添えてあるしすぐには作れる物ではありませんが…」
「う、う、うるさい!ならば邸内の肖像画はなんとするのじゃ!わしには見た覚えは無ァいッ!!」
それでも諦め悪く…、ここまでくるともはや老害だ。ならばそろそろトドメと行きましょうかね。僕は奥方様とモネ様を守るように一歩進み出た。
「これは異な事を仰られる、肖像画が無いとは…」
「な、な、なんだとお!」
「後ろを向いてご覧なされいッ!!何がお目に入りまするか!?」
「なあにィ…?後ろだとぉ…?あっ、あああああッ!!!」
振り向いた老害が大声を上げた。その視線の先にあったのは…。
「しょ、しょ、肖像画…」
額の大きさを含めれば畳六枚分くらいはあるだろうか、僕とモネ様が並んで立っている肖像画であった。