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第642話 母の願い!!駆けろ、ゲンタ!!


「よいよい、幼子がしている事じゃ。ましてや惚れた相手が取られるともなればな…、ふふ…。アリス…であったな…そうかそうかそれほどまでにゲンタを…。ならば、そなた許嫁いいなずけになればよいではないか」


 僕にしがみつくアリスちゃんにその視線の高さを合わせ奥方様が言った。


「いい…なずけ…?」


「そうじゃ」


「なにそれ?」


 許嫁という言葉を知らないアリスちゃんが聞き返した。


「結婚の約束じゃ。成人おとなになったら結婚する…、そういう約束じゃ」


「やく…そく…」


「うむ…。もっともその約束をするのは主に親同士…、ゲンタは成人ゆえ本人の意志でよいがそなたはまだ幼い。親御おやごが許せば約束は成るぞ」


「な、なる!なるぅ!!」


 アリスちゃんがハッキリと言った。そしてそのまますぐ隣にいるウォズマさんに抱きついてお願いお願いと繰り返す。困った顔をしているウォズマさん、そりゃそうだろう。まだまだ幼いアリスちゃん、親しくなったとはいえ僕は流れ者の若造だ。大事な愛娘を預けるにはまだまだ頼りないとか信用が足りないのは自明の理だ。


「ふふ…、仲良き事はいいものじゃ。…さて、妾が来たのもその事よ。今、我が娘に不心得ふこころえな者が手を伸ばそうとしている。母として…、そして領を預かる家の者としてこのような事は断じて許せぬ。そこでじゃ、ゲンタ…」


 奥方様はそこで一度言葉を止め、まっすぐに僕を見つめる。


「そなた、我が娘モネの婚約者となってくれぬか?」


「え?僕が…いえ、私がモネ様とですか?それは無理ですよ、なにより身分が違いますし…」


「何を言うか。そなた、我が領を不死者アンデッドどもの軍勢から守ったであろう。また、かつてこの地にあったという古代の強国カイサンリの王も討ち取っておる。最近はあの戦時に白きころもを身につけていた事からそなたを白き英雄、白き聖者と呼ぶ者までおるそうではないか。そのそなたを婚約者と呼ぶに不足があると申すやからがおるとすれば、それは物を知らぬ愚か者じゃ!」


 奥方様が吐き捨てるように叫ぶ、


「それにの…そなたは山中の町ゆえ常に不足していた塩をもたらし、その高値に苦しんでいた領民の悩みの種をなくした。他にも様々な物をもたらしてくれた。その功績は大きな者じゃ。それにモネもそなたを憎くは思うておらぬはずじゃ」


「そ、それでも僕とモネ様は歳が離れ過ぎていますよ」」


「十やそこらの歳の差など貴族の婚儀にはよくある話じゃ!それにそなたは若い、モネを得たとてそこまでおかしなものではないわ!」


「えっと…」


「後生じゃ、ゲンタ!あと何年生きるか分からぬ五十も歳が上のやからにわずか八歳のモネをほしいままにされてなるものか!それに今から他家に婚約の使者をやっている暇はない!下劣な老人の慰み物にされては…。いかに婚姻が貴族に生まれた女の宿命さだめとしてもそれではあまりにモネがあわれじゃ!頼む、ゲンタよ!これは貴族の願いではない、娘を不幸せにしたくない母の願いじゃ!!」


 奥方様の必死の迫力に僕が言葉を失っているとふわりとカグヤが僕の肩に止まった。


(誰か来るよ、馬で…。とても急いでいるみたい。見た事ある、騎士だよ…)


 カグヤが僕の心に直接伝えてくる。騎士…?奥方様への急ぎの知らせか?


「カグヤ、あたりに施した隠蔽の解除を!奥方様、どなたか急ぎこちらに向かっている様子!」


「なにっ?」


 マオンさん宅の前に早馬が来る、乗り手は馬が完全に止まるよりも早く飛び下りた。そして奥方様の姿を見つけると全速力で駆けてくる。見覚えがある、ナタダ家に仕える騎士の人だ。


「申し上げます!ペドフィリー侯爵家先代当主、コーイン・ペドフィリー殿より先触さきぶれの使者あり。本日夕刻、館にお越しになりたいとの事ッ!」


「なんじゃとぉっ!!?」


 奥方様が珍しく声に怒りをにじませる。


「なんという無礼な申し入れかぁっ!!夜会でもないのに夕刻にやってくるなど礼儀知らずにも程がある!それに奴め、この町に滞在するのは今宵まで…!明日の朝には自領に戻る予定のはずじゃ!それなのに夜に来るとは…!!ぬ、ぬぬぬぅ、奴めっ!モネをそのまま今夜の相手にするつもりかっ!!当主たる我が夫と正式な話すらせず、ただはべらせる為にっ…!!」


 怒りか、屈辱か、呪詛じゅその言葉か、奥方様が強い口調で吐き捨てる。そばに控える騎士スネイルさんが深刻な顔で奥方様に問いかける。


「いかがなさいます、奥方様ッ!?許嫁…、婚約者…、仕立てるにしても必要な物もございますれば…」


「どうにもならぬっ!!婚約者はともかく、物が揃わぬ!」


「ならば我ら騎士団に…」


「それも出来ぬっ!!そうなれば侯爵領と真正面からやり合う事になるっ、絶対に半端な結果では終わらぬ!最悪、領民も町も滅ぶやも知れぬ…!避けなければならぬ…、避けなければ…。くっ…、モネを…。いや、いっそ妾が代わりに…」


「なりませぬッ!!」


 僕は叫んでいた。


「いかに領の為、領民たみの為と言われようともそれはなりませぬ!!モネ様も、奥方様も、ミーンになくてはならぬ大切な御方です!僕が…、僕がモネ様の婚約者になります!今だけでも!!」


「ゲンタ…。じゃが…、事ここに到っては手遅れと言うものじ…。貴族の婚約者には色々と用意せねばならぬ物もあるゆえな。それらがなくてはその場しのぎの偽りの婚約と言われてしまう。そうなればいよいよモネを守るすべがなくなる…」


「ならば僕にお命じ下さい!!何を揃えればよろしゅうございますか!?必要とあらば…、なんだってご用意いたしましょう!不心得ふこころえな奴にモネ様をやってなるものか…、そう思うはお母上様たるラ・フォンティーヌ様だけにあらず!いやしくもこのゲンタ…、モネ様に仮にも師父しふとお呼びいただく身にございます!不幸になんかさせませぬ!!」


「…嬉しゅう思うぞ、ゲンタ」


「さぁ、ご教示下さいませ、奥方様!何が必要なのかを!このゲンタ、本気で怒っておりまする!そのどこぞの恥知らずがやってくる夕刻までに必要な物をキッチリ揃えて見せましょうぞ!!」


 現在の時間は午前八時半くらい…。さあ、夕方までに婚約者を名乗るに相応しい物を揃えてやろうじゃないか!絶対にモネ様を不幸な目には遭わせない…、僕はそんな決意を胸に奥方様からこの異世界における貴族の婚約者同士に必要な物を聞き始める。そして全てを聞き取った後、僕は日本へと戻った。


「…やるぞ」


 思わず独り言が洩れる。


「僕には何の力も無いけど物を買ってくる事は出来る…。それで人が不幸じゃなくなるなら最高じゃないか!」


 家を出る、向かうは最寄りのこちらが丘遊園駅。時間がない、走る!全力で急な下り坂を駆け下りる。箱根駅伝の復路6区のような急坂を一気に駆けた。見慣れた通りだけどあたりには誰もいない、今は緊急事態宣言中でみんなが外出を避けている。人がほとんど乗ってはいないけど丁度やってくる電車があった。運が良い、急行だ。行き先は新宿、息を弾ませたまま当然飛び乗る。


 東に向かう電車が駅をひとつ過ぎた、県境になっている多摩川を越えた。都内に入る。呼吸が整ってくる、スマホを取り出し行くべき店を調べる。位置関係を頭に叩き込むと後は座席に座ってこれからの事を考えた。


「次は終点、新宿〜、新宿〜。お出口は右側になります。お忘れ物なきよう…」


 あっと言う間に目的地が近づいてきた、地下にあるホームの全景が見えてくる。電車が止まりドアが開く。再び駆け出す、今は一分一秒が惜しい。階段を駆け上がり改札を出る、目の前には昼間なのに車がほとんど通っていない国道20号線。普段は交通量の凄まじいこの道路だけど今なら信号無視して横断しても事故に遭うのが難しいくらいだ。


「まず最初に向かうのは…」


 モネ様を不心得な奴には渡さない、そんな決意を胸に僕は歩道を一気に駆けて一軒目の店に向かっていた。


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