第621話 押し寄せる女性たちと女官長スカイ・キーンさん
女官長の名前を当初のキーンから、スカイ・キーンに変更いたしました。(2024.11.05)
タイトルを変更しました。(2024.11.06)
「ねえねえねえっ、ゲンタちゃあん!ウフン!!」
「あ、イッフォーさん。おはようございます、二日ぶりですね」
ハチミツの蒸しパンを巡っての決定戦から数日後、恒例の冒険者ギルド内での朝食販売を終えた僕にこざっぱりとした格好のおネエさん…イッフォーさんが話しかけてきた。彼…いや、彼女は相棒のクーゴさんと依頼で二日ほどミーンを離れていた。
「聞いたわよんっ!!ゲンタちゃん、ハチミツを使った秘伝の髪を洗うおクスリがあるんですって?」
挨拶もそこそこにイッフォーさんは早口気味に質問を投げかけてくる。その一気に詰め寄ってくる動きはさすが接近戦を得意とする冒険者、僕はその近過ぎとも言える距離感にタジタジである。
「あ、は…はい。新しいシャンプーですかね。ハチミツの成分を練り込んだ新しいものなんですが…」
「やぁ〜ぱりぃ〜!!それでね、それでね、受付のみんな…特にシルフィちゃん!元から綺麗な金髪だけど今朝は…ウンッ!キラキラしてて、まるで黄金をそのまま糸にしたみたいよォ〜!ツヤツヤのツルツル!アタシ、分かっちゃうの!アレ、ゲンタちゃんの秘伝のおクスリの効果なんだって!!」
「は、はは…。そ、そうですね…」
「それにィ!マオンのお姉様っ!!聞いたわよんっ、若返ったって!!その話も聞いてるのんっ!!」
「ん?儂?」
「え、マオンさん?」
いきなり飛び出したマオンさんの名にマオンさんも僕も意表を突かれた。
「そうよォんっ!だってマオンのお姉様、若い姿になっちゃったんでしょうっ!?凄いわァんっ!若くてキレイ、世の中のオンナがいつだって求めちゃうものなのよォんっ!!分かってる、分かってるのアタシィ!きっとそれもゲンタちゃんが絡んでるんでしょォ?だから、お願いィィんっ!!アタシもキレイに…、そして若いピチピチ肌になりたいのォォんっ!!」
ガシッ!!
イッフォーさんが僕の両肩を掴み目前に迫る。その目は一点の曇りもなく、それでいて凄い迫力だ。
「オンナはねっ!オンナって生き物はねっ、自分がキレイになるのに貪欲な生き物なのよォんっ!!ね、ね、ね、お願いィィんっ!!」アタシにもハチミツ入りのおクスリを…、『しゃんぷー』で髪を洗わせてェェんっ!!」
「は…、は…」
その迫力に押され僕は承諾しようとした時である。
「待ちなさい、イッフォー!!」
バアアアーンッ!!
「ああっ、あなたたちはッ!?」
勢いよくギルドの扉が開かれ入ってくる一団…、しかしその集団は統一されたものではない。
「ダメよぉん!イッフォー、ひとりだけ抜け駆けなんて!」
「そうよォー!!アタシたちにキレイになりたいわァん!!」
「お…、お姉様たち…」
まずそんな声をかけてきたのはヒョイオ・ヒョイさんが経営する社交場に所属して服を仕立てているおネエ様方…ピースギーさんにカルーセさん、そしてメラヨーシさんにミカワーケンさんであった。さらには同じくヒョイさんの社交場に所属するダンサー、兎獣人族の子たちも続いている。
「ゲンタさぁーん!」
「ワタシたちもー!」
わーっと兎獣人族の子たちも押し寄せシャンプーを使ってみたいとせがんでくる。そんな僕の背後からニュッと生えてくる長い耳、その持ち主が僕の顔に頬擦りをしながら抑揚のない声で囁いた。
「ゲンタ、私も使って髪を洗いたい。なんなら一緒にお風呂に入ろう、そしてそのままハダカの突き合い…じゅるり」
「発音がおかしい!それとミミさん、耳元でヨダレを垂らさないで!」
一気に現場は混乱していく、さらにその混乱に拍車をかけたのは…。
「皆様、お待ち下さい」
「あ、コレットさん」
現れたのはナタダ子爵家に仕える僕の顔見知りの侍女であるコレットさん、他に数人の女性の姿が見える。その顔には見覚えがある、おそらく子爵家の侍女や女官の方々だろう。
「身の回りのお世話であれば私たち侍女に勝るものなどありません。それは入浴に至っても同様。是非、入浴の際のゲンタさんのお世話であれば私たちにお任せを…。共に入って体の隅々まで洗い残しなく綺麗にいたしますゆえ…」
「ちょ、ちょっと何言ってるんですか!」
これまたミミさん同様、無表情かつ抑揚の無い声でサラリと凄い事を言うコレットさん。その言葉に追随するかのように同行していた女官の人が口を開いた、たしかこの人は…ベテランの女官長だか侍女長みたいな人じゃなかったっけ?初老の域に入りそうな方でナタダ子爵邸でテキパキと周囲の女性たちに支持を与えていたのを思い出す。
「ゲンタ殿」
「は、はい!」
昭和の人気テレビ時代劇、『必ず殺す仕事をするマン』の御姑さんみたいな話し方だ。なんか逃亡しにくい雰囲気がある。たしか名前は…、えーと…スカイ・キーンさん…だったっけ?
「以前、奥方様との会談の後…侍女の詰所にて様々な品をお売りいただきましたが…」
「は、はあ…」
そう、僕は何回かナタダ子爵邸に仕事で赴いた事があったが奥方様との会談などの後に侍女の皆さんにシャンプーなどを小売した事があった。子爵邸内でお勤めをしている以上、なかなか町中には出てこれない侍女や女官の皆さんはシャンプーなどが欲しくてもなかなか手に入らない。そんな訳で僕は時々、奥方様との会談の後などに高校や大学の購買コーナーのようにして品物を販売していた。ちなみに好評だったのはやはりシャンプー、それと地味にハンドクリームも人気だった。これは水仕事が多いからだろうなあ、洗濯機とか自動食器洗い機なんかないから皆さんの手は荒れやすいのだろう。
「まことあれらは見事な品々…、私たちは子爵家に仕える者として常に衣服を整え小綺麗にせねばなりませぬ。その為には…」
なにやらスカイ・キーンさんが熱く語り出した。まあ、話を総合すると奥方様が試したハチミツ成分入りシャンプーを自分たちも使ってみたい…というものだった。元から美しい黒髪を持つ奥方様、しかもその髪がツヤツヤのツルツルになったのを見て自分も使ってみたいという声が侍女や女官の皆さんから続出。その声を届けになかなかない仕事がお休みの合間に朝早くからスカイ・キーンさんはやってきたのだと言う。うーん…凄いな、あの厳しそうな女官長さんがシャンプーの為にわざわざ町中にまでやってくるなんて…。僕がそんな事を思っている間にも女官長スカイ・キーンさんの話は続いていた。
「…という訳で私たちにもハチミツを混ぜたという髪を洗う秘薬…、是非とも使ってみたいのです。なんならゲンタ殿も一緒にいかがでございますか?ナタダ子爵家にお仕えして四十年…、先代の奥方様も当代のラ・フォンティーヌ様も洗って差し上げた私のこのフィンガーテクニック…是非ともゲンタ殿のお体にも…」
「いや、それはちょっと…」
あやしい指の動きを見せるスカイ・キーンさんのお誘いをやんわりと断りながら僕は詰めかけた女性たちの希望をどうしたものかと考えるのだった。