第617話 マオンさんは魔女?
「マ、マオンさん…?」
「マオンのお婆ちゃん…」
名乗りを上げたマオンさんに僕とミアリスが驚く、そしてそれは僕たちの周りにしても同じだった。
「なん…だと…?あの…婆さんが…?」
「だが…、なんだ?あの落ちつきっぷりは…」
「ふ、二つ名持ちのシルフィ嬢だけでもすげえのに…。素手でも戦えるマニィ嬢とフェミ嬢を前にああも平然と…。い、いや、違うぞ…。婆さん…平然としてるぜ」
ざわざわ…。
名乗りを上げたマオンさんに注目が集まる。しかし、当のマオンさんは飄々(ひょうひょう)となんでもない事のように平然としている。そんなマオンさんに周囲はさらにざわめきを増した。
「お、お前…、シルフィ嬢たちと『大剣』たちがやりあってる中に踏み込めるか?」
「馬鹿言うんじゃねえ。そんなの嵐の中に首つっこむようなモンだ」
「だけど…、あの婆さん…平然としてるどころか…」
「あ…、ああ…笑っている…。あの婆さん、笑ってやがるぜ…」
「な、何かあるんだ…。あの婆さん、戦う力が…。パン売りの姿は世を忍ぶ仮の姿…、だけどいざとなったら…」
「や、ヤベェぜ!お、俺はオリだ!嫌な予感がする!!決定戦からはオリるぜ!」
「お、俺も!」
「俺もだ!ヤベェ予感がする、こういう時は引くの一手だ!俺はそうやって生き延びてきたんだからよ!」
ハチミツ入り蒸しパンを食べたいと名乗りを上げていた冒険者たちが次々と参加を辞退していく、それも当然かも知れない。危険を察知する事…、これは冒険者には大事だとされている。冒険者にとって敵わない相手に突っかかっていくのは愚か者のする事だ、だけど受ける依頼にどんな危険が潜んでいるかなんて実際にその場に行ってみなきゃ分からないというのもよくある話だ。だから冒険者たちは自分のカンとかを大切にしているフシがある。
「嫌な予感ぎするからこの依頼は受けない、そうやって生き延びるものなんだ…」
と、いつだったかナジナさんが話していたのを思い出す。そういうカンみたいなものとか、幸運みたいなものがないと長生きは出来ない…そんな風に言っていたっけ…。そしてそうこうしているうちにハチミツ入りの蒸しパンを食べたいと決定戦に臨むのは二組だけになってしまった。他はみんな辞退である。
「もしかすると…あの婆さん…魔女なんじゃねえか…?」
誰かがポツリと呟いた。
□
魔女…。
それは魔法を使う女性の事である。普通なら魔法を使う職業の者を指して魔術師という呼び名が一般的ではあるが、女性の…特に得体の知れない老練な魔術師を称するのに用いられる事が多い。
「そ、そうか…だからあの落ち着き…」
「…って事は、『大剣』のナジナが前衛を張って猫獣人族の嬢ちゃんが回復と支援…。そんで婆さんが後ろから…か」
「対して向こうはマニィ嬢とフェミ嬢が前衛、シルフィ嬢は前衛も魔法も出来るから…一気に三人で押し切るか、あるいは婆さんを押さえてその間にマニィ嬢たちがナジナに当たる…?」
周りの冒険者たちが戦いの予想を始め、中には賭けを始める者もいる。そんな中、古株の冒険者のおじさんが審判役を買って出て声を上げた。
「決定戦…、開始ィ!!」
緊張してたのか声がうわずっている。
ササッ!!
周囲の予想通りか、マニィさんとフェミさんが前に出てシルフィさんはそのすぐ後ろに位置取った。おそらく後衛というよりは遊撃のポジションだろう。状況に応じて前衛に加わる、あるいは後衛に回り攻撃役になる…そんな自由自在の構えに見えた。一方のナジナさんたちはと言うと…。
「ミアリスや…、普段はあまり望みを言わないお前さんがそう言うのだからよほど食べたかったんだねえ…。だったら儂が一肌脱ごうじゃないのさ」
マオンさんはそう言うとおもむろに前に出た。奇しくもシルフィさんたち受付嬢チームと同じく既に前に立っているナジナさんの横に並び立つような位置取り…、互いに前衛が二人と後ろに一人…そんな鏡に映したような隊列となった。
「あ、あれはVの陣形…」
僕は思わず呟いていた、アルファベットのV字型に組んだあの隊列は正面切ってぶつかり合う正攻法。前衛同士の優劣を決め、どちらかが崩れればそのまま後衛まで巻き込んで押し切る…そんな単純な力比べ…。
僕はマオンさんがそんな力比べ…、前衛に回った事に驚きが隠せない。ちなみにそれは周囲の冒険者たちにとっても同じだったようでどよめきが起こった。まさか、そんな…戸惑いの声が次々に聞こえてくる。だが、そんな周囲の声にマオンさんはどこ吹く風。穏やかな笑みさえ浮かべその足は止まらない。
「可愛い孫みたいなミアリスが勇気を出して自分の意見を出した…。だったら儂は背中を押してやろうじゃないのさ、こんな年寄りでも弾除けくらいにはなれる。だから『大剣』の旦那…、早めに押し切っておくれよ」
ナジナさんにそう言ってマオンさんはそのまま前に…、正面にいるフェミさんの方に歩き始めた。