第613話 あなたは誰?
新章開幕です。
今章ではマオンと美容などを軸にお話を進めていきます。
ナタダ子爵の館、その広間にて…。
「ふむう…。今まで通り傅役のままで良い…か」
この町の領主であるナタダ子爵家、その夫人であるラ・フォンティーヌ様が呟いた。正式な論功行賞が行われる前に内示のような物を受けていた。それを聞いての僕の返答なんだけど…。
「はい、もったいないお言葉をいただき我が身にとっては恐悦の極み…。されど私は馬に乗る事も…、また槍をとって振るう事も出来ませぬ。そのような者が騎士爵という大役を頂く訳には…。また、御家に長く仕えてきた方々もおられましょう。私にはそのような長い年月に辺り積み重ねてきた功績もございませぬ」
僕は今、今回の防衛戦での功績を評価されナタダ子爵家から騎士爵をもって迎えたいと伝達されていた。ちなみに騎士爵は子爵家が与えられる唯一の爵位だそうだ。それを日本の…江戸時代で例えれば多少の差はあるだろうが旗本といったところだろうか。数百石くらいの知行地となる数キロ四方の村落を与えられ、同時に騎乗も許される。どうやらそれはこの異世界でも同様のようで僕は近郊の村落を預かり騎士身分を与えたいとの話を受けた。…が、僕はそれを固辞していた。
そりゃあそうだよね、僕は馬にも乗れないし武勇も無い。そんな僕が村落の領主となれば有事の際には立たねばならない。例えば猛獣が出たとか盗賊が襲ってきたとなれば戦って自領を守るのは領主の役目だ。だけど僕にはそんな力は無い、名ばかり領主が上に立っては人々が苦労するだけだから引き受ける訳にはいかない。
「また、私は人の上に立った事もない若輩にございますれば…。しかしながら私のような者にも仕官のお声をおかげいただいた事は世に広く伝わりましょう。領の為に力を尽くし、手柄を立てれば厚く報いられる…。それを聞けば人士は集まって参りましょう。ここミーンは今、商人のゴクキョウ・マンタウロ氏も並々ならぬ力の入れようで宿屋を始めようとしておりますし発展もしていくと思います。そうなれば人も増え、ますます領の要となる人材が重要になります。その領を守る為の人士に…、どうぞ騎士爵の位をお与え下さい。それがこのゲンタの願いにございます」
そんな訳で僕は騎士爵の授与を辞退するに至ったのだ。ちなみに僕は辞退したけど後日行われた論功行賞自体は滞りなく行われたとの事。一番槍をつけ、また門の前で武勇を振るい守り抜いたネイガン・スネイルさんが戦功第一となり命懸けで町に迫る危機を伝えた父トゥリィ・スネイルさんの功と合わせて称され筆頭騎士となった。そしてナタダ子爵家にはひとつ、空位の騎士爵位が創設された。それは領に大きな貢献をした人が現れた時、すぐに騎士爵位を与えられるようにというものだそうだ。
さらにゲロートポイオスを倒して得たプラチナだけど、ラ・フォンティーヌ様はそれを商人のゴクキョウさんに売却して現金化。それを防衛戦に尽力した将兵や冒険者、また防壁の上から投石をしたり広場で負傷者の手当てや炊き出しに力を貸した人々にも広く配られたのだった。
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昨日の防衛戦を無事に切り抜けミーンの町はいつもの日常を迎えていた。まだ朝の早いうちから町の通りでは人が動き始めている。仕事場に向かう者、店を開け始める者、行き交う人々の口数が多い訳ではなかったがそれでも物音はするものだ。いつもの冒険者ギルドでの朝食販売を終えた僕はミーンの町が危機を脱し再び日常が戻ってきた事を実感していた。
それから数日後の昼、僕は町の一角にあるゴクキョウさんが開く宿屋の建設現場に向かっていた。作業も佳境に入ってくるので昼の食事にカレーライスを出して欲しいとの依頼を受けたからだ。荷車兼調理台と米や野菜に凍らせた肉などといった材料は既に現地に送ってある。そんな訳で歩いて現地に向かっていると幼子独特の可愛らしく元気な声が響いた。
「ゲンタのにいちゃー!!早く早くー!!」
もうすぐ建設現場、その為の資材だろう。材木などが立てかけられている通りを進んでいると建設現場で下働きをしている孤児院の子供たちの中で最年少、ポンハムがカレーを待ちきれなかったのか呼びに来ていた。腕をブンブンと振り全身で僕たちを呼んでいる。その様子を見てマオンさんが微笑ましいものを見たかのように目を細めた。
「おやまあ…。待ちきれなかったのかねえ…。ゲンタ、早く行っておあげ。儂は後からゆっくり行くからさ」
マオンさんはそう言って僕に先に行くように促した。
「分かりました、じゃあ先に行ってますね」
そう言って僕は小走りしてポンハムの方に向かった。ミアリスと護衛の男人魚族の槍使いの戦士、ナギウさんたち三人組と共に先行する。建設現場にたどり着くと慣れたもので火精霊のホムラと水精霊のセラが協力して大鍋にお湯を満たし加熱を始めた。同時に無洗米を鉄の大釜に投入して水を満たし炊き始める。近くでは土木や建設作業に参加していない孤児院の女の子たちが野菜を切り始めている。
「あれ…?マオンさん、遅いな…」
ゆっくり歩いてくると言ってはいたけどそれにしてはちょっと遅い。顔見知りにでも会って立ち話でもしてるのかなと思った時だった。
ごろっ…。
「ん?」
何か物音が聞こえたような気がした。
「何かが倒れた物音か?」
護衛の一人、ヒツマさんが呟いた。
ごろごろっ!!がらららっ!!ばたばたばたあーんっ!!
「なんじゃ!!束ねておった材木が倒れおったか!?」
工事の指揮をとっていたガントンさんが叫んだ。今度は間違いない、激しい物音がした。しかもそれは僕たちがやってきた方向…、後からやってくるはずのマオンさんがいる方向だ。
「ガ、ガントンさん!あっちには後から来るマオンさんが…」
「な、なにい!?坊や、すぐに向かうぞ!」
「はい!ミア、一緒に!治療が必要かも知れない!」
「う、うん!!」
僕はガントンさんたちと共に駆け出した。
「我らも続くぞ!」
ナギウさんたちも共に駆け出した。僕たちは足音も激しく物音がしたと思われる場所に急ぐ、そんなに離れてはいないのにとても距離が長く感じる。
「あそこじゃ!」
ガントンさんが指差した先には崩れた材木の山があった。まさかあの下にマオンさんが…それを見た瞬間、僕の心臓をえぐるような動悸がした。近づくと材木の下からうめき声と人の気配がした。
「マ、マオンさん…、マオンさん…」
慌てふためきながら僕は崩れて積み重なった材木の方に近づいた。材木をひとつでものけようと手を伸ばした。
「呼んだかい、ゲンタ?」
「えっ?」
横合いから僕が一番聞きたかった声がした。いや、ちょっと違うかも知れない。声にハリがあり声も大きい。振り向くとそこには背のスラッとした女性が現れた。
「あ、あの…?あなたは…」
戸惑いながら僕は現れた女性に声をかけた、見覚えはない。だけど僕がよく知っている人のような気がする。そしてその女性は不思議そうな顔をして僕に言った。
「おやおや、おかしな事を言うね。儂じゃよ、このマオンの顔を忘れたのかい?」