第601話 精霊たちが宿る服(1)
ドオオオーーーーンッッッ!!
凄まじい衝撃がビリビリと肌を刺してくる。同時に身を切るような冷たさが襲ってくる。これは寒いじゃない痛いだ、凍てつくような魔法に僕は膝をつきそうになる。
あれ…?でも、おかしいぞ…。ゲロートポイオスは肉体だけでなく魂すら凍りつかせると言って魔法を放ってきた。ならばどうして僕に意識がある?そう思った僕は恐る恐る目を開けた。
白一面の世界…。過剰にドライアイスを使ったかのように白いもやがかかると同時にキラキラと輝くものが宙を舞っている。
「ククク…、終わりだ…!ゼイィィー、ゼイィィー…」
もやの向こうで声がした、間違いなくゲロートポイオスの声だった。機嫌の良さそうな声と共に荒い吐息を吐いているようだ。
「余の最大奥義…、ほぼ全ての魔力を解放した禁呪…氷結地獄…、魔界すら凍りつかせる冷気から逃れる術など無いわッ!!ゼイィィ…、ゼイィィ…。どれ…、凍りついた愚か者どもの姿を見てやるか…」
ヒュオオオォォ…。
その時ちょうど風が吹いた、辺りに漂う白いもやが吹き散らされていく…。
「な、なにいッ!?」
最初に耳に入ってきたのはゲロートポイオスの声、どうやら向こうの方が先にもやが晴れてきているようだ。そしてこちらのもやも晴れていく。そこに現れたのは…。
「あっ…、あああっ…!」
僕の目の前にメラメラと燃える炎の壁があった、ゲロートポイオスの足元から炎の壁までの地面は完全に凍りついているがそこから後ろは…僕たちの周りは多少の霜が降りていたり下草の一部が凍りついている程度、少なくとも氷に閉ざされるといったような雰囲気からは遠い。
メラメラ…メラ…。
目の前の炎の壁の火勢が次第に弱まっていき消えようとしていた、まるで役目を果たしたと言わんばかりに…。そして完全に火が消えると代わりに小さな一人の少女の姿が現れた。
「ホ…、ホム…ラ…?」
僕は幻を見ているのだろうか、炎の壁のあった場所に火精霊ホムラの姿があった。だが、その色合いは薄く向こうが透けて見える。まるで魂だけがやってきたみたいに…、そして音や声こそしないもののホムラはキシシシッと悪戯好きな子供のように笑うとその姿はだんだんと薄くなり空に消えていった。
「き、君だったのか…?ホムラ…」
僕は消えていったホムラに向けて呟いた。
「おの…れ…、忌々(いまいま)しや…」
ゲロートポイオスが吐き捨てるように言った。
「またしても…、またしても…!!邪魔立ていたすか、あの羽虫はッ!!」
「羽虫…だと…!?」
聞き捨てならない言葉に僕は思わず声が出た。そんな僕に対しゲロートポイオスは嘲笑めいた表情を浮かべながら応じた。
「そうだ、羽虫だ!小さく目障りな事この上ないッ…!そんなものを羽虫と言って何が悪いかァッ!!ゼイィィ…、ゼイィィ…」
「は、羽虫じゃ…、羽虫じゃないぞ!ホムラもセラも…、サクヤもカグヤも…!みんな僕の大事な仲間たちだ!」
僕は思わず声を荒らげていた。
「ほう…、名前があったのか?あの羽虫どもに…、それに仲間だと?ただ群れているだけに過ぎぬものを仲間だとほざくか、下郎ッ!!」
「そうだ、仲間だッ!それもただ一緒に過ごしてきただけじゃない!みんな一緒にご飯を作ったり僕が困っている時は助けてくれたり…、みんな僕の大切な仲間たちだ!この戦いだってついて来てくれた!自分の命を捨ててまで…!!だから僕は…、僕は…」
逃げないで戦う…、そう叫びたかった。だけど言葉が出てこない。怒りはある、だけどそれと同じくらい怖いんだ。自分が死ぬ事…、どうしたってそれが怖い!!怖いんだッ!!
「ク…、ククッ!!どうした、震えておるのか!?」
「う、ううっ…」
思わず体がすくみ上がりそうになる、それを下唇を噛みしめな事で逃げ出したくなる心を抑え込むのが僕に出来る精一杯だった。
「フハハハッ!ならばそのまま震えておれ!すくみ上がって死んでゆけェいッ!!ゼイィィ…ハアァァ…!!確かに魔力は尽きかけておるが下郎一匹、素手でも殺す事など造作もないわッ!」
荒い息をしながらもゲロートポイオスは一歩前に出た、気迫に飲まれ僕は思わず半歩下がってしまう。そんな時、後方から声がかかった。必死に僕の名を呼ぶあの人の声が…。
「ゲンタァァーッ!!」
「マオン…さんッ!?」
僕らの後ろ…、町の西側を囲む柵の隙間からマオンさんが必死に叫んでいた。
「逃げるんだよぉー!!ミアリスひっ掴んで…逃げるんだよぉ!!」
「そ、そんな事したら町が…、マオンさんが…」
このままゲロートポイオスが町に攻め寄せてくるんじゃ…、マオンさんが狙われてしまう。
「儂の事は良いからッ!!こんな年寄…、それより若いお前たちが逃げるんだよぉぉ!!」
「ッ!?」
ザッ!!
僕は踏み止まった、僕が逃げたらどうなるんだ、町が…マオンさんが殺されてしまうじゃないか。なんか打つ手はないか…必死になって考える。
そう言えばミアリスはさっきターンアンデッドの術を放とうとしながら飛びかかっていた。もしかするとターンアンデッドはおとりで爪で引っ掻きにいっていたのかも知れない。
「それなら…」
僕は腰の短剣に手をやった。朝…、ガントンさんから手渡された手直しされたばかりの短剣である。
「ク…、クハハッ!」
ゲロートポイオスが笑い始めた。
「まさかその短剣で切りつけようというのではなかろうな!?」
「何がおかしい!?」
「これが笑わずにおれようか!余の体は薄皮一枚で暗黒の魔力を包んでおる!その薄皮一枚だけを切り裂くならよほどの切れ味がなければならぬ」
「……………」
「鉄は論外、鋼でも切れ味は足りぬ。そうさな…、魔鉄か魔聖銀で初めてこの皮を切り裂けるのではないか?それ以外では切り裂けぬであろうからのう…」
「良いのか?そんな事言って…?」
「ク…、クカカカッ!!」
ゲロートポイオスは笑い始めた。
「図に乗るなよ、下郎!!そもそも鋼の武具などそうはありつけぬ!」
「…確かにな」
その通りだ、ギルドの冒険者の皆さんが使ってるのはほとんど鉄の武具だ。剣だって鉄製…融けた鉄を鋳型に流し込み固めた鋳造品だ、鋼の剣みたいに鍛造ではない。その鋼の剣だって高級品、ナジナさんなど腕の確かな冒険者の人しか持っていない。それより優れた魔鉄の武具なんて僕の知る限りウォズマさんくらいしか持っていない、そのぐらい貴重なんだ。
「仮に下郎…、お前が持っているのが魔鉄の短剣だとしても手詰まりだ。余の皮を切り裂けたとしても…、その皮の中にある余の霊体…闇の魔力によってたちまち腐食されるであろう」
「…ッ!?」
それは予想してなかった。
「そして真聖銀、これなら確かに余の闇の魔力に腐食される事はなくアンデッドに効果は大きい…。だがそれは使い手が魔力を有している場合に限る…。下郎、お前からは少しも魔力を感じぬ。いわゆる魔盲であろう、いかなる名剣であろうとお前が持つ限り鈍と化すのだ。…もっとも真聖銀の剣など王家伝来のものとなるだろうがな…」
「……………」
僕は手にしている短剣を強く握った、これはミスリルの短剣…。確かに試し切りをした時、僕は柔らかいパンすら切れなかった。だけど、今朝…ガントンさんたちドワーフのみなさんが新しい工夫をしてくれた。試し切りさえしてないが…、僕はそれを信じる。
「ゼイィィ…、来るなら好きにするが良い。余は武略でカイサンリを強国に押し上げた。魔法以外の武芸も一通り修めておる…、当然素手でもな。戦場で剣折れ矢が尽きた時にも泣き言は通じぬからのう…」
肩で息をしながらもゲロートポイオスは構えを取った、素手でも僕を殺せる自信があるのだろう。だけど、こっちも簡単にはやられないぞ…僕にだって意地がある。
ダッ!!
僕はいきなり駆け出した、短剣を抜かずに。武器を抜いてから突っ込むのでは敵に心の準備をさせてしまう。ヨーイ、ドンで来るのは刺客なんかじゃない。だからいきなり前に踏み出した、立ち向かえとなけなしの勇気も叫んでいる。だけど走り出したガクガクと足が震える、怖さもあるがそれだけじゃない。
「フ…、フハハハッ!!フラフラではないか!?どうやら余の最大魔法、氷結地獄が体力を根こそぎ奪っていたようだな!」
まさか…だった。走り出したは良いが先程の冷気を伴う魔法が僕を死には至らしめなかったものの体力を奪い去っていたのだった。