第594話 最後の呪詛と最愛の手鏡
「再会出来そうにありません。私は…」
パジャソが滅びるその時に魔眼から放たれるという呪いの光、それは自分を倒した者に放たれる決して逃れられない暗き呪いの光だという。
「くひゃひゃ…、ボクに負けはないんだあ!!この最後の秘術があれば誰にも…!この魔眼をくれた陛下…いや魔王様…、…いや違う…違うぞ!!魔王にだって道連れに持ち込めるッ…!!ボクは…、ボクは世界の誰の下にもつかぬわィッ!!ボクは…、ボクは…世界で一番なんだ!」
どこか自慢するようにパジャソが叫ぶ。自分を大きく見せるように…、あるいは幼子が自分の持っている玩具をことさら誇示するかのようにさえ感じられるどこか滑稽な光景であった。
「…それは無理な話ね」
シルフィは短く応じた。
「少なくともあなたは一番ではない、魔王を決して討ち倒せはしない」
死を覚悟して無駄な言葉を発するつもりはなかったが目の前の男が思い違いをしたまま逝くという事にちょっとした違和感を感じたからだ。だが、シルフィのそんな言葉にパジャソは敏感に反応した。
「な、なにおぅ!そんな訳あるか!」
「少し考えれば分かる事よ。その王とやらがあなたに力を与えるとしても自分を害する力まで与えると思う?こう言っているのと同じよ、『あなたを殺す為にあなたの手を貸して』…とね。そんな事をすると思う?」
「ま、負け惜しみッ、負け惜しみだあ!この力は最強、キタキター!!魔力がキターッ!いけえ、こんな生意気エルフ、死んじゃえーッ!!」
一気に魔力が膨れ上がりパジャソの額に魔眼が赤黒い光が集まっていく。
「ヒャハ、ヒャハハッ!少なくともお前は避けられないッ!!ボクの怨み…呪い…闇の魔力…全部こめたものをォォッ!!くらえッ!!ファイナルカース(最後の呪詛)ッ!!
」
パジャソの魔眼から一気に増幅された闇の魔力が一条の禍々しい光線となって放たれる。怨み…呪い…悪意、そして殺意がシルフィを襲った。
「くぅッ…!!?」
避けずに最後までゲンタの事を考えていようと決めていたシルフィだったが、仮に短距離瞬間移動の魔法を使っていたとしてもかわせなかったろう。そもそも光の速さである、一秒間で地球を七回り半もするというやつだ。それはこの異世界でも健在、それはシルフィのような凄腕の冒険者の力量をもってしてもまともな反応すら出来ないものであった。
放たれた呪いの光、それは鉄に勝るとも劣らないというブラァタ素材の胸当てを簡単に貫通していた。瞬間、シルフィは死を覚悟する。胸に伝わる衝撃にゲンタへの恋慕を思い起こしている暇さえないと直感する、しかしやってくるはずの痛みも意識の消失もシルフィには訪れない。代わりに苦痛の声を上げていたのは…。
「あ…、あひゃ…ひゃ…。な、なん…で…?」
見れば驚きと苦痛の声を洩らす小男の姿があった。胸元の真横にざっくりと避けたところから背中側に皮一枚残して二つ折りになったまま立つ道化師というより奇術師といった姿勢でシルフィを見つめている。だが、そのシルフィを見つめる顔には大きな変化があった。
パジャソが持って生まれたふたつの目、それ自体はそのままだったが与えられた第三の目である魔眼…、それにぽっかりと穴が空き無くなっていたのだ。いや、それだけではない…魔眼もその奥にある頭部も胴体部分にも筒状の穴が空いている。おそらく近づいて覗き込めば向こう側の森の風景もきっと見える事だろう。それほどまでに綺麗な直線となって射抜いていた。
「ボ、ボクの放った…ファイナルカース(最後の呪詛)…や、闇の光線は絶対当たって貫く魔法じゃ…なかった…の…?な、なんで…跳ね返って…」
「跳ね…返った…?」
パジャソの言葉にシルフィは恐る恐る自分の胸元を見た、間違いなく軽いが鉄並みの強度を誇るブラァタの胸当てが貫通され穴が空いていた。だが、痛みは無い。それどころか一滴の血さえ流れていないと実感できる。パジャソが放った呪いの光線、あれは間違いなく自分の心臓めがけて迫っていた。そしてそれが間違いなく致命の一撃になる事も…、魔法を操る術に長けているシルフィにはそれがよく分かっていた。だからこそ不思議に思う、なぜ自分は今も生きていて反対にパジャソがああなっているのかと…。そう考えた時、シルフィの胸元がキラリと光った。雲の切れ間から差した陽光をわずかに反射するようにして…。
「あっ…、こ…これは…。…ッ、そう…そうなんですね、この手鏡が…」
シルフィの胸元、そこには小さな手鏡があった。以前、ゲンタから贈られた折りたたみ式の手鏡…その上蓋は破壊されていたがガラス貼りの鏡面自体は無事で輝きを放っている。その手鏡の両端に小さな穴を開け三つ編みの紐で結ばれていた。ゲンタと共に編んだ三つ編みの紐…、それをシルフィは首からかけていた。
「護って…くれたんですね…。ゲンタさん…」
胸元の鏡を見つめシルフィが呟く。
「ま…、まもっ…たって…?ど、どういう…」
「これ…」
シルフィは自分の胸元にある手鏡を手のひらで包むようにして触れた。
「この手鏡が私を護ってくれた…」
「ど、どういう…こと…?わ、わけが分からないよ!」
「あなたのファイナルカース(最後の呪詛)…、あれは間違いなく恐るべき呪いよ。あらゆる物を貫き、決して的を外さない」
「そうだよ!絶対外さないんだ!この呪いの黒い光は…」
「そう…、光なのよ」
「えっ…」
「呪いでも闇の魔力から端を発したにしても…。これは光なのよ」
「だ、だからって、なんなのさ!」
「気づかない?…こんな風にすれば」
シルフィは手にした手鏡の角度を少し変えてみた、きらり…わずかな陽光を捉え鏡面が光を反射する。
「あなたが放ったのは光…。だけどその先にはこの手鏡があった、私が愛する人がくれたこの手鏡が…。鏡は光を反射する、いかにあなたの呪いや魔力が強くてもこの小さな手鏡を貫く事は出来ない。私にとって何より大きく譲れないもの…」
「そ、そんなぁ…。こ、この魔法は最強なんじゃないの…?ボ、ボクは…誰にも負けない…すごい存在に…なった…んじゃ…ない…の…?」
跳ね返ってきた自らの魔法で魔眼を貫かれたパジャソの体が指先など末端の方からぐちゃぐちゃと音を立てて崩れ始めていく。肘のあたりから先だろうか、少し大きめの部位が地面に落ちてべちゃりと不快な音を立てた。魔力によって維持されていたパジャソの体が支えを失い本来の腐肉となっていく。
「あ、あ…ああ…、ボクの…ボクの最強の体が…。た、たすけ…、助けてよ…。キ、キミ…ボクを倒すほどの…魔力…あるんだから…」
「それは無理な相談ね。死した体から魔石を失い魔眼も貫かれた今、あなたの体を維持するだけのものは何もない…。ただ崩れ落ちていくだけ…」
「そ、そんな…。くそ…!!じゃ、じゃあッ!生まれ変わったらッ…、生まれ変わったらッ…必ずオマエ…殺してやる…!エ、エルフなら長生きだ!ボクが殺しに行くまできっとまだ…生きているはずだ!それまで怯えて待っていろォォッ!!」
あらん限りの憎しみを込めたような目でパジャソがシルフィに叫ぶ、その顔面もまた腐肉となって崩れ落ちようとしていた。
「それも無理ね」
「なんでだよッ!」
「望んでなったアンデッドは魂を失っている、ゆえに生まれ代わる事もない」
「そ、そんなァ…。ボク知らないよ!望んでアンデッドになったなんて…」
「そんなはずはない。あなたには意思がある、操られているだけの死体ならしゃべる事すら出来ない。術者がアンデットとする時に同意しなければこうはならない、その代償に得た力…」
「ウ、ウソッ、ウソだあァァ…」
ガクンとパジャソの体勢が崩れた、足先が腐り果て立っていられなくなったようだ。背中のあたりで二つ折りになっているという不自然な姿勢のままパジャソは顔面から後ろに倒れた。重さのバランスがあまりにも後ろにかかっていたのだろう。しかし、勢いよく二つ折りだった肉体は倒れた拍子にまっすぐとなりうつ伏せに倒れた。腐敗していく肉体ではあったが上半身が背中側に二つ折りになっている状態ではなくなり、ある種の違和感は消えた。
倒れたパジャソの顔のすぐ傍に取り落としていた短杖があった。まだ子供の…見習い魔術師が使うような杖だったがその先端には似合わぬような金の象嵌が施されていた。
「あ…、こ…これ…」
それを見てパジャソが小さく声を上げていた。