第588話 ゲロートポイオスという男
「…カグヤ」
こちらを向いて静かに微笑んで見せるカグヤ、だがすぐに魔王に向き直った。そしてその魔王は再び魔法を放つ体勢に入っていた。
「面妖な…。だが、これならばどうだ!かあああッ!!」
ばばばばばっ!!!
魔王の前にいくつもの黒い氷柱のようなものが浮かんだ。その全てが鈍い輝きを放っている、まるで凶悪な肉厚の出刃包丁のようだ。それが五十か…百か…、とにかくたくさんの刃先が向けられている。それが十重二十重と幾つも層になって後ろに控えている。
「魔力による千の刃ッ、もはや逃れる術はない!!殺れいッ!!」
一斉に黒い刃が襲いくる。だが、そんな危機にも関わらずカグヤは両手を軽く開きまるで家族を出迎えるかのように悠然としていた。カグヤに迫る無数の刃、そんな激しい大粒の豪雨のように黒い刃がカグヤに触れると次々と消えていった。そしてカグヤは何事もなかったかのように平然としている。
「ぬう!余の魔法をむ、無効化した!?」
千の刃が全て消え失せた事に魔王は驚きを隠せなかったようだ。一方で今度はこちらの番だと言わんばかりにカグヤは攻撃の動作に入った。
(全力で行く!!)
僕の心にカグヤの声が響いた。珍しい事に彼女の声に力がこもっていた。魔王に向けてその手を突き出した。その伸ばした手の肘から先が闇に溶け込むように消えた。そして次の瞬間、カグヤの足元の影から巨大な真っ黒い腕が現れた。象でも片手で鷲掴みに出来そうなそんな腕、それが魔王に襲いかかる。
「いける!!直撃だ!!」
僕は思わず叫んでいた。強力な攻撃魔法を放った直後の魔王のスキ…、それを見逃さないカグヤの反撃だったのだが巨大な黒い手が魔王に届いたかと思った瞬間にかき消えていった。
(なんの手傷も与えられていない…。でも肉体への攻撃が効かないというのなら…)
カグヤの心の声が聞こえた。伸ばしていた手を引っ込める、すると消えていたカグヤの肘から先の手が元に戻った。攻撃を防がれたカグヤだったがすでに次の行動に移っている。。
(肉体が駄目なら精神を壊せばいい)
先程は突き出した手を今度は真下に振り下ろす、片手だけでなく両手…またもやカグヤの肘から先が消えて見えなくなる。
(沈め…)
魔王の足元あたりの地面が真っ黒な沼地のようになった。そこからいくつも真っ黒な手が魔王の足を掴もうと伸びる。まるで底なし沼に引き込もうとするような無数の手、掴んだかのように思えたそれらの手だったが魔王に触れるやいなや再びかき消えていく。同時に真っ黒な沼地のようなものも消えた、元の地面が現れる。
「ククク…、無限とも言える闇に引き込み余の精神を破壊するつもりだったようだが…」
(あいつも…闇)
カグヤ心の声が聞こえてくる。それを聞いて僕は思わず呟いた。
「あの魔王も闇そのものって事…、だから闇の魔法が効かない…?」
「ほう…」
少し感心したような顔をしていた。
「余が闇の力を宿している事に気づいたか…、どうやら少しは知恵もあるようだ…。あの愚民どもとは違ってな…」
「愚民?」
「我が領の民どもよ、王の心も知らず盾突きおった何の価値も…いや」
クク…と魔王が喉の奥で笑う、残念ながらいまだ目深にかぶったフードのせいで口元くらいしか分からない。だが、間違いなく笑っていた。
「その血で風呂を沸かし、儀式の生贄にするくらいの使い道はあったか…」
「な、なんだって!?それに王って言ったな!って事は…、お前は自分の国の領民を傷つけたり殺したりしたのか!?なんて非道い事を!!」
「非道だと?あの愚民どもは余が治めし強国…、カイサンリに幸運にも生まれ落ちたのだ。国の為、なにより余の為にその身を捧げねばならぬ!命も…、最後の血の一滴に至るまでも!!」
「カ、カイサンリ!?」
突然ミアリスが驚いたような声を上げた。
「し、知ってるの?ミア」
「う、うん…聞いた事ある…。たしかこのミーンの町が出来るずっとずっと昔にあった国の名前がカイサンリだって!」
「そういう名前の国があった…?」
「うんと昔に…って聞いたよ。それでその国の王様があまりにも傍若無人で領民が非道い目に遭ってたって…。だから人々は反乱を始め、ついには諸侯も…そして実の息子である王子も反旗を翻して王様を国外追放したって言われてるの…」
「実の息子にまで反旗を翻されるって…、いったいどれだけの事をしたんだ…」
「その王様の名前が…」
「ま、まさか…」
ゴクリ…、思わず僕の喉が鳴った。
「「ゲロートポイオス」」