第576話 最愛になるその前に
「急報ッ!急報ゥゥーッ!!」
「なにか…来る…」
もたらされた急報は南から万を超えるようなアンデッドの大群が…、ミアリスはこの森の奥の方…ハンガスが三千のゾンビを押し立ててやってきた方から何かがやってきた事を告げた。
「風よ!」
シルフィさんがすかさず精霊を森の奥に飛ばした、偵察を任せたのだろう。
「者ども、移動する準備をいたせ!」
「町に敵が迫っておる!」
騎士たちが兵士たちに向かって大きな声で指示を飛ばす。
「数は二十を超える程度…、ゾンビ…そしてこれは…魔道士がひとり…?良くない気配…、でもその奥に後続は無し…」
「魔道士か…」
グライトさんが顎に手をやり何か考えた後、口を開いた。
「シルフィ、ここを任せても…」
「私が残りましょう」
グライトさんが告げた言葉、それとシルフィさんの声が重なった。
「敵は魔道士…、大勢で対するより私が一気に仕留める方が得策でしょう。下手に大きな魔法に巻き込まれては被害が大きくなる」
まっすぐな瞳でシルフィさんが告げた。
「分かった、何人残せば良い?」
「オレ、残るよ」
「私も…」
マニィさんとフェミさんが名乗り出た。
「いえ…、私ひとりで…」
「い、良いのか?俺たちも町の南に迫るゾンビどもに対するからにはこっちに応援を寄越してやれん。ゾンビどもはともかく敵の魔道士とやらの実力は未知数だ、それを考えると…」
もう少し残った方が…、言外にグライトさんの心配が透けて見えた。
「ですが町の南に迫る大群に対するには一人でも戦力は多くなければ…。それにこちらが片付けば南にすぐ向かう事が出来ます、私の短距離瞬間移動を駆使すれば…。残ると言ってくれた事、二人とも感謝するわ。でも…その代わり、マニィ…フェミ…ゲンタさんを頼みます」
「な、何言ってんだよ!姐御ッ!」
「そうですよぉ!いくらシルフィさんでも…」
マニィさんとフェミさんが抗議の声を上げる、だがそれを制止したのもやはりグライトさんだった。
「…分かった。ここは…、任せる」
そう告げた後、グライトさんは冒険者の皆さんに向き直って声を張り上げた。
「よっしッ!!野郎ども、町の南に向かうぞ!敵の増援が森の奥から迫っちゃいるがこの場は二つ名持ち…『迅雷』のシルフィが引き受ける!!南の敵は多いがビビんじゃねえぞ!あっちにはあっちで坊やが仕掛けを作ってある!蹴散らしに向かうぞ!行けェ!!」
「「「「おおおーッ!!!!」」」」
グライトさんの号令一下、冒険者が大きな声を上げながら町への道を戻り始めた。僕もミアリスもそれに従わなければならない、だけど…。
「…シルフィ」
「はい、なんですか?マスター」
「…新人とちゃんと話をしておくんだぜ」
そう言うとグライトさんは周りの冒険者たちに声をかけ町の方に向かった。そしてこの場には僕とシルフィさん、そして見守るようにマニィさんとフェミさん…そしてミアリスが少し離れた所に残った。
「ゲンタさん…」
「シルフィさん…」
互いの名を呼び合ったのはいいけれどその後が続かない、離れる事…すなわち生死を共にする事が出来ないという事。どんな場面であろうと互いの無事を祈る…それしか出来ないという事…、言葉にするとそれだけ…。だけど、そんなんじゃ言い尽くせないくらいに思う事はあるんだ。
行かなくちゃいけないのは分かってる、町にゾンビの大群が迫っているんだ。今現在、僕とミアリスだけが一方的にゾンビを土に還す事が出来る…。そのターンアンデッド(屍人還し)の術を使えば一回で五体や六体ぐらいはゾンビを土に還せる。だから万を超える数のゾンビたちといえど僕とミアリスが矢継ぎ早に繰り返す事ができれば切り札と言っても良い戦力にはなれると思う。
でもさ…、正直言ってシルフィさんは僕にとって大きな存在になりつつある。近くにいてくれれば嬉しいし、見える所にいなければ寂しく感じたりもする。この気持ちが何であるか…、それも予想は出来ている。
行かなくちゃいけない、町には一緒に泣いたり笑ったりして過ごしてきたマオンさんをはじめとして見捨てたくない人がたくさんいる。これが最後の別れになるかも知れない、それが戦いなんだという事を分かりたくないのに分かってしまった。朝に行ってきますと言った人が夕方にただいまと帰ってくる保証のない世界、実際ギルドでもそんな事があった。たったひとりでここに彼女が残ると言った以上、その覚悟はしなきゃいけない。
なんて言えば良い?そもそも残して良いのか?町を捨ててでも一緒に来いと言うか?結論の出ない自問自答、そればかりが頭の中をぐるぐると回る。
「シ、シルフィさん…」
僕はまた彼女の名前を呼んだ、自分の声…それが自分にも聞こえる。ただ呼ぶだけでなぜか嬉しくなるような…、そんな特別な名前…口にするだけで心が揺さぶられる。二度目に名前を呼んだ時、シルフィさんは返事の代わりに少し背伸びして僕に軽く抱きついてきた。互いの頬と頬が触れ合うような位置で、他の誰にも聞こえないくらいの小さな声でシルフィさんが僕に話しかけてくる。
「シルフィール…。これが私の…両親以外は知らない、誰にも明かした事のない名です。たとえこの身は離れていても私の心はいつもあなたと共に…」
「…ッ!!?」
違うよ、そんなの!?思わず僕はシルフィさん…いや、シルフィールさんを強く強く抱き締め返した。
「僕は…、僕は今、自分がワガママだって気付きました。僕は心だけじゃ嫌だ、貴女が一緒にいてくれなきゃ…。約束…、約束ですよ…必ず無事でいて下さい。この間、一緒に味見しようって言ったマルメイダのお酒…まだ完成には時間がかかるけど風味は移り始めた頃…。いわゆる新酒になりかけてるんじゃないかな…。い、一緒に味見しましょう…シルフィールさん」
「それは…。ふたりだけで…、ですか?」
「はい、また森に二人だけで出かけて…」
なぜか泣きたくなってくる。なんの保証もない約束、そんな言葉だけの空手形に僕は今…縋りついている。
「行って…下さい。必ずここを守り通します。もし、この戦いが終わって無事動ける時は…互いの方へ駆けつけるというのはどうでしょう?」
「それ…、良いですね。約束ですよ…、必ず」
守れるか分からない約束、だけどそれを切り札みたいに口にする。約束はその人と次があるから…だから約束するんだ、何か次につながるような…。だから今は…それを守れるように…、最善を尽くそう。シルフィールさんが駆けつけてくる時にわずかな危険も無い、ミーンの町で再び会えるように…。
「行って…下さい、必ず戻りますから…」
シルフィールさんが体を離した、迷いの無い凛とした表情。まだ離れたくなんてなかったけど僕は頷いて踵を返した。マニィさんたちが待っていた、お待たせしましたと声をかけ町に向かって軽い駆け足で戻る。だけどそれは…、これまでで一番辛い…身を切られるようなミーンへの道のりだった。