第565話 最後の癒し
「ス…、停滞ッ!!」
川から引き上げられ平らな地面に仰向けに寝かされた騎士のスネイルさんに対し、まず最初にミアリスは出血を最小限にする魔法を使った。最優先の事としてまずはこれ以上の失血を防ぎ、それから落ち着いて治療に臨もうというのだろう。そうしないと命の危機があると考えたのだろう。
「軽傷治癒ッ!!」
続け様にミアリスが回復の魔法を唱えた。僕は魔法に詳しくないがあまり高度な回復魔法という訳ではないそうだ。一方で解毒の魔法に関してはかなり高度なものが使えるそうで、こればかりは本人の得意不得意によるものといったところだろう。
ミアリスの回復魔法は優しい光を伴いスネイルさんの体を包み込む。片足が失われているのは大変な事態だがまずは命を取り留めてもらうべくミアリスは必死の治療を始めた。
今までのパターンでいけばこういう大きな怪我をした人を治す場合、初歩的な回復魔法だけ扱えるミアリスはこれを何度も繰り返して治療をしていくスタイルだ。ゲーム用語を使って分かりやすく言えばベ○マやベホ○ミをまだ未修得だからホ○ミを多用していく…といった感じだ。今回もそうなるんだろうと思った僕は彼女の治療の助けになればとリュックに入っている【軟膏】を取り出そうとする。
「あ…、ああ…」
ミアリスが小さな声を上げた。一瞬驚いたような表情、そして次の瞬間には困惑しさらには悲しげな表情となった。
「ミ、ミア、どうした?早く次の魔法を…。僕も【軟膏】を塗るから…」
「う、うん…」
僕の言葉に頷きミアリスは回復の魔法を唱えようとする、しかしその体は震えていた。さらには涙さえ浮かべている。
「…ゲンタ…殿…」
弱々しい声がかかった。すっかりかすれている声であった。
「ス、スネイルさん!!」
僕は声の主の名を呼んだ。浅く、そして荒い呼吸。
「か、回復は…いい。そ、それより…うぐッ!」
スネイルさんが苦痛に呻く。
「だ、駄目ですよ。まずは治療をしなくちゃ…」
「自分の体は自分が一番よく分かっておるッ!!」
スネイルさんが僕を一喝する、その迫力に僕は言葉を失った。
「…はあ…はあ…。回復魔法が…効かぬ…。もう…手遅れ…であろ…う。ならば…」
「で、でも…」
ガッ!!
スネイルさんが僕の手を取った、物凄い力で握ってくる。
「わ、私は…騎士!主家と…領民を…守る騎士…なのだ…。自らの延命の為に黙するより…、この危機を…伝え死ぬるは…本望…ッ!」
体は衰弱しきっている、しかしスネイルさんの目は死んではいない。
「我が…主にお伝え…あれ…。罪人…ふたりを魔鏡送りにする場所に到着した際…、罪人どもを荷台から蹴落とし帰還しようとしたら…あたりが急に暗くなり…何者かが現れ…」
「あの時に…。そ、それでいったい誰が現れたんです?」
「わ、分から…ぬ。だが、あれは…常人とは…思えぬ…。魔道士のようなローブ…、顔は分からなかった…」
僕はスネイルさんの体を抱え起こした。背中に手を回し体を支える、掠れてやっと絞り出しているような弱々しい声を聞き逃したりしないように…。そして自分の耳をスネイルさんの顔に近づける。
「その…何某かが…凍りつく魔法を放って…きおった…一撃で兵たちは凍りつき…おそらく生きてはいまい…。私は…直撃こそ免れたが…かわしきれず片足を地面と共に凍りつかされ…身動きが取れなくなった…」
「ま、まさか…それで足を…」
「魔法を不完全とはいえ避けた私を奴め…感嘆の声を上げておった…。だが、トドメ…とばかりに次の魔法を放とうと再度呪文を唱え始めたゆえ…私は凍りついた足を剣で断ち、近くを流れていた川に…身を投げた…」
「そ、それじゃあ…足を切り落とすような大怪我を…、苦痛にほとんど丸一日耐えながら…スネイルさん…。あなたはここまでやってきたんですね…」
「お、お願い…申す…。ゲンタ…殿…、必ず…必ずや…奥方様に…お伝え…あれ…」
それだけ言うとスネイルさんの呼吸はさらに浅く早いものへと変わっていった。まるで今まさにスネイルさんの体から最後の魂がこぼれ落ちていっているような感覚だった。
「つ、伝えます。か、必ず伝えますからッ!」
僕はスネイルさんの手を握り返しながら言った。そして僕の隣ではミアリスが何か呪文を唱えている、それは初めて耳にする魔法だった。
「あ…、ありがた…い…。ぐ…ぐぐっ!!…ぐふっ!」
スネイルさんが咳き込み、唇の端から血が流れ落ちる。
「う…、ううううっ!!ユ…、ユーサネイジア!!」
ミアリスが呪文を唱え終わり手をかざすとスネイルさんの体を優しい光が包んだ。苦しそうな呼吸が安らかなものへと変わっていく。
「ミ、ミア…、この魔法は…?」
涙を流して魔法を使ったミアリスに僕は尋ねた。
「…これはありとあらゆる一切の苦痛を取り除く魔法…」
「え?」
意外な答えが返ってきて僕は思わず声が洩れた。
「そ、それなら最初から使っておけば…」
スネイルさんが苦しむ時間は短くて済んだはずだ、なんで使わなかったんだろう。そう思って僕はミアリスを見た、彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「ううう…。でも…この魔法は…」
「…いかなる回復魔法も…受け付けなくなる…」
「スネイルさん!」
呼吸こそ落ち着いているが顔面蒼白なスネイルさんが口を開いた。
「感謝…いたす、小さき…聖女殿よ…。おかげで…心安らかに…逝く…事が…でき…る…。ひ、ひとつ…心残りが…あるならば…モネ様の…、姫君の…ご成長を…この…目で…見届け…たかっ…た…。………」
スネイルさんの言葉が続かなくなった。
「ス…、スネイルさん!スネイルさんっ!!」
呼びかけにスネイルさんの返事はない。
「お、お願いです!返事、して下さいッ!スネイルさ…」
ぽん…。
ガントンさんの手が僕の肩に置かれた。
「ガ、ガントンさん…」
「騎士殿の魂は肉体を離れてしもうたようじゃ…」
「う…、う…うわああああんっ!!」
ミアリスが大きな声を上げて泣き始めた。
「そ、そんな…」
握っていたスネイルさんの手…、力が全く入っていない。その事に気付いた…、気付いてしまった僕の手からスルリとスネイルさんの手が抜け落ちた。力無くダランと腕が垂れた。
「見事な…最後だべ…」
そう言ってゴントンさんがスネイルさんの両の手を取って胸の上で組ませた。
「騎士の務め…誇り…それら全て見させてもらったべよ…」
「うむ…。知り合って数日じゃが…職務にも熱心で心配りも出来る…、惜しい御仁を亡くしたわい…」
ふわ…。
サクヤたち精霊がスネイルさんの上に浮かんだ…。そして四人で四方に分かれるとゆっくりと浮いている高さを増していく。
「あ…」
浮かんでいく四人の精霊たちに続くようにスネイルさんの姿が見えたような気がした。天を見つめ青い空に向かっていく…、だんだんとその姿は薄くなっていき空に溶けるように消えていった。
「ス…、スネイル…さん…」
僕は思わず亡くなった彼の名を呟いた。そこに馬蹄のカッカッと響く音と複数の足音が近づいてくる。振り返ると騎乗した騎士が率いる衛兵さんたちの一団がやってくるところだった。
ユーサネイジア
日本語に訳すと安楽死という意味になります。