第553話 ハンガスが襲ってきた!
「う…、儂は…」
襲撃を受けてから数時間、マオンさんは自宅寝室で目を覚ました。寝台のすぐ横で看護していたすぐにミアリスが体調を確認する、問題はないようだ。
「良かった、マオンさん…」
ミアリスと共にマオンさんの様子を見守っていた僕はそれを言うのが精一杯、そこから先は何も言えなかった。ただ、無事に目を覚ましてくれた事…それがとにかく嬉しかった。
マオンさんが無事に目覚めた事を聞いて次々にマオンさん宅の周りを警戒していたみんながやってくる。マオンさんの回復を誰もが喜び、そしてホッと安堵の息を吐いた。
「大丈夫だよ、みんなのおかげで儂はこうして生きておる。心配かけたねえ…。だけど、体もホレ…今はなんともない…。…おや、むしろ調子が良いくらいだよ。歳を取るとね、腰やら膝やら悪くなるモンだけど…。なんだかね、前より体の調子が良いくらいだよ」
そう言ってマオンさんは笑って見せた。
それを見て僕たちはホッと息を吐いた。中には泣き出した人もいる。昭和の硬派な不良のようなツッパ君たちだ。
「うおおお!!良かった、マオンの嫂(嫂)さん!!」
ちなみに僕もミアリスも泣いたクチだ。さらに言えばナジナさんもうっすらと涙ぐんでいた。誰もがマオンさんの無事を心から喜んだ。
「あっ!そう言えば今回襲われた事をギルドに伝えてなかった。ねえ、サクヤ。シルフィさんに僕たちは襲われました、とりあえず全員無事ですと伝えてもらって良いかな?」
僕がそう言うと光精霊のサクヤはコクリと頷くと文字通り光のような速さで飛んでいった。
「だが…、それにしても…」
ウォズマさんが徐に口を開いた。
「誰があの…『無貌』のザフリーを…。ヤツはそれこそ凄腕の暗殺者だ、王侯貴族が恐れ震え上がるほどのな…。マオン御婦人に毒の一撃を与えた時…、やつはまずひとり…と言っていた。つまり、二人目以降の標的…おそらくはゲンタ君だったとは思うが…。いったい誰が指し向けてきたのか…」
「先日の襲撃はギリアム…、その線から考えりゃあ親父であるブド・ライアーか…。あるいは若い頃のワル仲間、ハンガスあたりがくせえところだな」
「もしくはその両方か…?ヤツら、ゲンタ君とは並々ならぬ因縁があるからね。…だが、どこにあんな凄腕の殺し屋との伝手があったんだろうな?正直、そこが分からないところだよ」
ナジナさんが上げた面子にウォズマさんも同意をする。
「ウム。そういえばあの殺し屋め、殺しの代金は金貨で53枚(日本円にして530万円)とか吐かしておったの。そこらの者に出せる金額ではないわい。じゃが、商会主であるヤツらなら動かせる金額じゃのう」
ガントンさんも同意するがやはり推測の域を出ない。こればかりは当事者から聞くしかないのだろうか…。そんな事を考えていると今回の件についてまだ冒険者ギルドに連絡をしてなかった事を思い出した。それと領主であるナタダ子爵家にも一報を入れた方が良いだろう。
そこで僕は光精霊のサクヤにシルフィさんへの伝言を頼んだ。内容は『襲われた、だけど全員無事』である。詳細は会った時に話せば良い、あまり細かく伝えてもらうのもサクヤが大変だ。それを受けてサクヤがギルドに向けて飛び立った。そして、それと入れ違いに…。
どてっ!!
「ヒィヤアァァッ!!」
庭から飛び立つサクヤがすぐ目の前を横切った事で奇怪な声を上げて道端に尻餅をついた男がいた。そのままの姿勢で悪態を吐く。
「な、なンだ!?クソッ!!も、もうここまで来たってのによォォ!」
「あれは…」
そこにいる男に僕は見覚えがあった。
「変なモン、横切りやがって…」
そこにいたのは僕にも…マオンさんにも因縁ある相手…。
「ハンガス…!」
商業ギルドのギルドマスターどあり、パンや小麦などの穀物を扱う商会の主であるハンガスであった。
□
ゆらり…、尻餅をついていたハンガスが立ち上がった。嫌な笑みすら浮かべこちらに近づいてくる。
「へ、へへへ…。見つけたぜぇ…」
その目は僕を見ているようでもあり、どこか焦点が合っていないようにも見える。そして着ている物も…いや、着ている物は一般的な町衆の物よりは上等だがボタンをきちんとしめていなかったりとだらしない格好だ。
「テメーのせいだぜ…、テメーのせいで何もかも上手く行かねえ…。あの変なガキみてえな女…、気味が悪イのを寄こしたのもテメーだろが…。だからよォ…」
ハンガスはそこで一度ピタリと止まった、丁度そこは道とマオンさん宅の敷地の境だった。そしてグッと腰を落とし姿勢を低くした。来る、直感的に感じた。このハンガスの姿勢は短距離走のクラウチングスタートのようなものだと。
「二度とナメたマネが出来ねーようにぶっ殺してやンぜぇ!!」
そう言ってベルトの背中側の方にでも隠していた短剣を抜いて突っ込んできた、狙いは僕だ。だが、次の瞬間にはいくつもの人影が僕の前に現れていた。
「…シッ!!」
短く鋭い声、最初に踏み込んでいたのはウォズマさん。素早くハンガスに肉薄すると曲剣を一閃する。続いてはガントンさん、低い姿勢からの肩から当たるタックル。たちまちハンガスは敷地から道端へと吹っ飛ばされた、無様に往来を転がる。
「は、はひゅ…、はひゅ…、ガハッ、ゴフッ!!ゼーゼー…」
ガントンさんのタックルが鳩尾にでも入ったか、一瞬呼吸が止まったハンガスが苦しそうにしている。しばらくそうした後、起き上がり憎々しげにこちらを睨みつけてくる。
「きゃああ!!刃物を抜いているわ!」
たまたま通りかかった人が悲鳴を上げた。その人に、そして次にこちらに向かってハンガスは唾を飛ばしながら怒鳴った。
「うるせえッ!!黙ってろォォ!!テメーら。邪魔すンな!!まずはテメーらから殺ちまうぞ、コラァ!!」
「ふゥん…、どうやってだ?」
ウォズマさんらと共にすでに前に出ていたナジナさんがハンガスに尋ねた。それに憤慨したのかハンガスが一歩前にダンと足音を立てて迫る、その時にそれは起こった。
「どうやってって…、馬鹿かテメーは!?このナイフで…お、おおおッ?おひゃあアァァッ!!!」
ずるり…。
ハンガスの右肘のあたりから腕がずれた。そしてそのまま地面に落ちる。
ぼとり…。
ハンガスの右肘から先がナイフを持ったまま地面に落ちた。もしかしてウォズマさん、あの一瞬で剣を抜きつつ居合切りのようにハンガスの右腕を捉えていたんだろうか。
「あ、ア、アアァァッ!!い、いてえ…、痛えよォォッッ!!!?」
ハンガスが叫ぶと同時に右腕の断面から血が吹き出した。あまりに鋭い魔鉄の剣の切れ味とウォズマさんの剣の腕がハンガスに痛みすら感じさせずに腕を切断していたのだろう。
「う、うぐッ!!あ、イヒャあいっ!いひゃいぜえッ!アヒャヒャハ!!でもよう、クソがあッ!!」
右腕を落とされ悲鳴を上げていたハンガスが狂ったような笑い声を上げた。次の瞬間だった、ヴゥンッと空気が振動するような音がしたかと思うと通りにシルフィさんの姿が現れた。ちょうどハンガスの斜め後ろくらいの位置だ。と、同時に短く声を上げながらその腕を横に振るった。
「刃よ!!風切断」
ズバッと音がしたかと思うとハンガスの残るもう一本の腕が宙を舞っていた、右腕と同じようにその左腕にはナイフが握られていた。
「うぐあ、うがアァァッ!!」
左腕も失ったハンガスが痛みから地面に倒れこみのたうち回る。そのハンガスの眼前にシルフィさんが抜いたレイピアを突きつけた。
「五月蝿い」
「ヒィ、ヒグッ……」
切先を突きつけられた恐怖の為かハンガスは凍りつくように動きを止め叫ぶ声すら飲み込んだ。
「黙って。私はゲンタさんを害しようとする者を遅疑なく斬る…。お前を殺す事に一切の厭いも躊躇いも無い…」
「うッ…、ぐっ…」
言葉を飲み込んでいるハンガスだが腕を二本とも切り落とされ大量の出血をしたせいかグラリと姿勢が崩れていく。そこにミアリスの声が響いた。
「停滞ッ!軽傷治癒!」
ミアリスが出血を限りなくゼロにする魔法を唱えた、そして続けざまに軽い治療の魔法を唱えた。
「ど、どうして?ミアッ!?なんでこんなヤツを…?」
僕は叫んでいた、命を狙ってきた奴を助けてやれるほど出来た人間じゃない。
「殺さないよ…、すぐには。この魔法は出血は抑えられるけど痛みがなくなる訳じゃない。意識を失えなければ痛みは続く…、あなたは死ねない。意識を失えないくらいには回復もさせた…、猫は獲物をいたぶる…聞いた事くらいあるでしょう…?」
「あ、あがあアアッ!!」
意識もハッキリしたのかハンガスが再び耳をつんざくような悲鳴を上げた。