第551話 落とし前とザフリーの末路
「はあ…はあ…、これで大丈夫…」
荒い息を吐きながらミアリスが言った。その言葉通り、マオンさんは意識こそ無いが苦しそうな表情ではなくなり呼吸も落ちついている。
「マオンさん…、良かった…」
僕はホッとすると共に体から力が抜けていくのを感じた。
「くっ…、くふふっ…。ま、まさか…ですよ。死から逃がれたばかりか…こ、壊れた肺や内臓まで治してみせるなんてね…。初めてですよ、私が…しくじるなんて…。うふふふっ…」
倒れたまま、マオンさんの失われた体の機能を取り戻す為に代償となったザフリーが言った。
「邪法『傷移し』ですか…。は、初めて聞く魔法ですが…その名の通り邪神の魔法か、禁呪の類じゃないんですか?い、生贄の体に傷を移し…、代わりに無傷の体を手に入れる…なんてねえ…」
ミアリスの体がピクリと反応する。
「ふ、ふふ…そちらのお嬢さんはシスターの見習いだそうですが…ふふ、とんだ食わせ者のようですねえ…。本当は暗黒神の信者とか…闇司祭とか…そんな肩書きなんじゃないですかぁ?」
愉快そうにザフリーが言った、その時だった。ミアリスが地面に落ちていたザフリーの短剣を拾った。刃が根本で折れているザフリーが投げ捨てた物だ。それを手にザフリーに迫る、しかしその手首を押さえた人がいる。ナジナさんだ。
「駄目だぜ、嬢ちゃん。この手は婆さんを治したかけがえのねえモンだ。こんなクズ野郎の血で汚しちゃなんねえぜ」
「ナジナさん…」
ぽろり…、ミアリスの手から短剣が滑り落ちた。
「…ウォズマ」
「ああ、分かってる」
相棒が応じる声を聞いてナジナさんがミアリスの体をトン…と軽く後ろに押した。ミアリスが数歩、後ろによろめく。そこにはウォズマさんが立っていた。そして優しくミアリスを受け止めるとそっとミアリスの両目を手で覆った。
「見たくねえ奴は目をつぶっとけ」
そう言うとナジナさんは片足を振り上げドスンと仰向けに倒れているザフリーの胸を踏みつける。同時に手にした大剣をザフリーのどてっ腹に真上から突き刺した。
「〜〜〜うううッふぐあああああァァッ!」
「おう、さすがは嬢ちゃんの魔法だ。『停滞』だったか?すげえぜ、背中まで突き抜けてんのにほとんど出血がねえ。一発で死んでもおかしくねえのによ、だけどさすがだな。こんだけ痛くても気を失わねえ、よっぽど鍛えてんだな」
脇腹から臍のあたりまで…ザックリといってるのにザフリーからはほとんど血が出ていない。『停滞』の魔法が凄まじい効果を発揮している。しかし、ザフリーにしてみれば悪夢だろう。凄まじい痛みに死にたくても死ねない、あるいは気を失いたくても苦痛に耐える訓練でもしているのか…そのせいで気を失う事さえ出来ないのだ。
「冒険者はよォ、やられたら倍返しっつうのが通り相場だ。世話ンなってるマオンの婆さんを苦しめた分…キッチリ落とし前つけてもらうぜ!」
そう言ってナジナさんは大剣にクイッとひねりを加えた、傷跡がさらに大きくなる。千切れかけの脇腹だがやはり血はほとんど流れ出ない。
「ワシもやるぞ、マオンに世話になっとるのはナジナだけではないからのう」
「俺もやるだ!」
そう言ってガントンさんたちも加わる。戦鎚で、斧で、棍棒で…ハッキリ言って滅多打ちだ。だが、不思議と哀れみなんかは感じない。それくらい強い憎しみを覚えていた。復讐は何も生まないとか言うけどさ、このザフリーが何の苦痛もなく過ごすとかいうのは論外だと思う。だから僕はこれも必要な事なんだと思う事にした。
最後に二刀から一刀に戻したウォズマさんがトドメとばかりきザフリーの心臓目掛けて一撃を加えた、間違いなく致命の一撃なのだが…。
「おごォォ…ぐぐ…」
「これでもまだ死なぬとは…」
ビクビクと痙攣しながらもザフリーは死んでいない。というよりここまで切り刻まれてもロクに血が流れ出ていないのだ。
「…はい。首でも刎ねない事には…」
ミアリスが言った。彼女は今、ザフリーに対する制裁をその目に焼き付けている。いかに手を汚さなかったにしてもその一団にいた事は受け止めたいというのだ。まさに因果応報か、それが今やザフリーに回ってきた。そんなザフリーを見ながらナジナさんが言った。
「なるほどな。血が流れ過ぎての死亡はないって事か…、だけど苦痛だけは続く。このクソ野郎には良い気味だぜ、マオンの婆さんを…。いや、それだけじゃねえ。散々殺し屋をやってきたんだから…」
「それよりマオンの事じゃわい。いかに命の危機を脱したとはいえ心身は消耗しておるじゃろう。家に運んで寝かせてやるんじゃ」
「お、おう!その通りだべ」
「では、僕がマオンさんを背負いますので…」
ガントンさんの提案に皆の意識がマオンさんに向いた、その時だった。
ぼしゃっ!
何かが水に落ちる音がした、その方向を見ると…。
「や、野郎ッ!げ、下水に…」
道の端にある雨水や汚水を流す為の溝にザフリーはいた。
ミーンの町には下水が引かれている、生活排水を流す為のものだ。もっとも、マンホールみたいな物がある訳じゃない。道の端に溝のようなものがある。土を掘り、それが崩れぬように壁面に石積みをしている。。そこに建物の裏手の壁や塀に一部穴を開けそれぞれの建物から出る排水を流せるようにしている。日本で言うところの豊臣秀吉が大坂の町に作らせた背割下水とまったく同じ構造だ。
「く、くふふふ…」
背割下水の溝は常に地表から見えている訳ではない、場所によっては蓋をして上を通行出来るように暗渠になっている場所もある。その暗渠の入り口となる所に体を入り込ませ頭だけを溝から出してこちらを見ながら不気味に笑っている。
「油断…しましたねぇ?どうやら私…、首をやられましたが完全に動けなくなった訳ではないようでして…ね。あれだけ痛めつけられている間に…どうやら少しずつですが感覚が戻って…きた…ようです。皮肉です…ねえ、痛みによって…少しずつですが神経の麻痺が改善したようです…。今日のところは…私の負け…、しかしアナタ方は必ず殺す。どんな手を使っても…ね」
「このぉっ!!」
フォルジュがザフリーの頭めがけてハルバードを叩きつける。だが、一瞬早くザフリーは暗渠の中に身を隠した。もう姿は見えない。
「うふふふ、必ず…殺しますよ。この傷を…癒してね…」
「くっ…、奴を追わなくては!」
ウォズマさんが言った。
「おう!あの素っ首刎ねてやるだ!」
ゴントンさんも応じる。
「…大丈夫ですよ」
ミアリスが言った。
「ど、どうしてだべ?奴にかかってる『停滞』の魔法は一刻(約二時間)に一回しか心臓を動かなくしてほとんど血が出ねえんだべ?その間に傷を癒されたら…」
「はい。だけど、その魔法をかけたのは私…。『停滞』の魔法は術者がその魔法を維持し続けなければ…」
「その効果は切れる…と。そういう事か、ミアリスの嬢ちゃん?」
「はい。少なくともいかに高位の司祭様でもあれだけ数多く、それに深い傷を塞ぐのには間に合いません」
「それならまずはマオンを運ぶんじゃ。これからの事はそれから考えれば良かろう」
ガントンさんの言葉に僕たちは再び移動を開始した。だけど僕はひとつの違和感に気付く。
「あれ…?」
カグヤ…、いない?さっきまで僕を守ってくれてたのに…。
「おおい、坊や!急ぐぞい!」
「あ、はい!」
ガントンさんの声に僕はマオンさんを背負っての移動を始めた。
□
がたんっ!!
不自然な物音がした。
「なンだ?」
ミーンの町で一番大きな小麦をはじめとした穀物やパンの販売をするハンガス商会、その主であるハンガスは自室でその音を聞いた。
がちゃ…。
ノックも無しにドアが開く。体を引きずるようにして誰か入ってくる。泥に汚れずぶ濡れのズタボロの男だった。顔面は削ぎ落とされ鼻もない不気味な顔であった。
「ヒッ!?」
亡者のような不気味な姿にハンガスは腰を抜かし声を上げた。
「ああ…、この顔では初めましてですね…。恥ずかしながら…戻って参りました」
「も、戻って…きた?そ、その声ッ…。お、お前…あの殺し屋かッ?」
「ええ…、あとひとつ…頼みがありまして…ね」
「た、頼み…だと?」
「急ぎ…回復の術士を呼んで…もらえませんかね?」
「か、回復術士…だと?」
「手酷く…やられ…ましてね…。血を止める魔法が切れるまでに…あと半刻(約一時間)くらいですか…。それまでに傷を…塞いでしまわねば…」
「お、おう…。よくは分からねえが人を走らせる」
「感謝…しますよ。…ふふ、ああ…痛い…痛いィ…。次に会う時は最も苦痛を与えて差し上げなくては…うッ、うぐぅッ!!」
突然、ザフリーが悶え苦しみ出した。
「は、はヒィッ!ば、馬鹿なァッ!ま、まだ時間はある…はず…。ハッ!?あ、あの小娘ェ…、嘘をッ…嘘を言いましたねェェッ!!」
「お、おいっ!どうしたあッ!?」
状況がよく分かっていないハンガスが声をかけるがその声はザフリーにはすでに聞こえてはいなかった。必死に自分の胸と一目で分かるほどに千切れかけの脇腹を手で押さえている。
「い、嫌だ…!し、死にたくないィィッ!わ、私だけはッ!私だけはァッ!!ウブゥオォアアッッッッ!!!!!」
棍棒などで殴りつけられた顔面が急激に紫色に変色していく。さらには胸に空いた心臓に直結する傷、胴体が半ば裂けている脇腹の傷、他にも身体中にある切り傷や刺し傷が一気に開き激しく血が吹き出した。一瞬で部屋中が…、そしてハンガスの体が真っ赤に染まる。
「あ、ああ…。アヒイイィィッッッ!!!!!?」
そのあまりの光景にハンガスは悲鳴を上げペタンと床に座り込んだ。目の前には滅多切りにされたザフリーが床に倒れている。どう見ても生きてはいられまい。
「だ、旦那様ッ!旦那様どうされました!?うっ、これは!?」
主の声を聞いて部屋に商会の使用人たちが次々と駆け込んでくる。だが、その使用人たちはあまりの惨状に悲鳴を上げる。
「う、うわあ!?血の海だ!!」
「ひ、人が…死んでる…」
現場は混乱の坩堝と化した。そんな中で使用人の一人が一枚の紙を見つけた。大商会などで正式な書面を交わす際に使う紙であった。
「だ、旦那様…。こ、これを…」
「ハアハア…。な、なンだ…?」
人がたくさん来た事で少し気持ちが落ちついたハンガスがその声に応じた。使用人は一枚の紙を手渡してくる、そこには子供が書いたような文字が書かれていた。…真っ赤な血を使って…。
『つぎは、おまえだ』
くすっ…。
どこかで小さな少女が静かに笑う声が聞こえた。
「ッッッ!!?う、うわああああッッ!!!!!」
ハンガスの悲鳴が響き渡った。
次回、『つぎは、おまえだ』
お楽しみに。