第541話 金の出所と無貌の死神
「ヒョイ氏…、どうして黙ってるンだよ!それに…、どうやって入ってきたンだよ?」
困惑とある種の恐怖心を抱えながらハンガスは問う。これまでもいくつか質問をした、しかしそのどれに対しても目の前にいるヒョイオ・ヒョイは穏やかで品の良い微笑みを浮かべたまま何も答えなかった。好好爺そのもなといった絵面だが底知れぬ何かを感じる、それをハンガスは恐れているのだ。
「な、なんとか言ってくれよッ!なンでアンタが…」
焦りからかハンガスの口調がどんどん余裕のないものになっていった。その余裕のない問いかけが初めて目の前の人物の琴線に触れたようだ。
「なんで…?」
ぴくり…、ほんのわずかに目の前のヒョイオ・ヒョイの片眉が反応した。
「あなたが私を呼んだのでしょう?」
そう言ってヒョイオ・ヒョイは懐から布袋を取り出した。ハンガスはそれに見覚えがあった。先日、ゲンタを襲う事を仄めかしたギリアムにくれてやったハンガスの金…、それを入れていた布袋だった。
「う…、それは…」
「忘れた訳ではありませんよね?この袋を…。模様が入っている、貴方の商会の屋号が…ね」
商会の屋号…、貴族家や騎士家に例えればすなわち自家の紋章である。この地を治めるナタダ子爵家ならば野薔薇の紋である、それを旗や馬車の見えやすい所に取り付けている。他にも騎士ならば盾の表面に…といった具合である。
話を戻そう。商会の屋号が入った袋、これは貴族や騎士のように公然のものではない。だが、その屋号が入った袋を使用できる機会にある場面や人物には限りがある。それを一番目にしやすいのは商会同士など大きな金額が動く取引の際であろう。それ以外であれば…袋を自由に扱えるのは商会主くらいであろう。
その袋だがハンガスはあまりに無造作に扱っていた。ゲンタを襲う為の原資…、その金を入れていた袋である。あまりに不用心、人を襲わせる為に使った金の出所が簡単に分かってしまう。汚い事もあるのが人の世の常であるがこれは商会主としてはあまりに軽率、襲撃に直接的にか間接的にかの差はあるだろうが関連があると思われても致し方ない。問答無用で捕まり罰を受ける事になるだろう。
ハンガスは目の前の人物から目が離せない、人の良い笑みを浮かべゆっくりとした上品な話し方をしている。その人物が手にしている布袋を机に置いた、商会主が着く引き出しが数多くある長机である。日本で言えば社長室にあるデスクであろうか…。
「手付けは頂いておりますよ、金貨13枚ほど…ね。ですので残りはホラ…この通りお返しいたしますよ」
「き、金貨…13枚ッ!!?ま、まさかアンタが…、あの…」
手付けだと言う金貨の枚数…、その言葉を聞いてハンガスの額から…体中から汗が吹き出す。
「ええ…、私です。貴方が想像している通りにね」
「ハ、ハハッ!!ま、まさかだぜッ!アンタがあの凄腕の殺し屋だったなんて…。商業ギルドの相談役…、それにこんな裏の顔があるなンてなッ!!」
先程までの何かに恐れ慄いていたハンガスにまだどこか不自然ながらも笑顔を浮かべた。
「それは違います」
「あン?そ、そりゃどういう…。そ、それより今後もよろしくやっていこうじゃねエか…。そうすりゃア…」
「馴れ合うつもりは無いんですよ。ゆえに私は依頼人と接するのはその暗殺の時だけ…」
「いや、こうやって元々知り合いなんだしこれからも…」
「何か勘違いをされているようですが…」
そう言うとヒョイオ・ヒョイは自分の左耳のあたりに空いている右手をかけた。そしてビリッと音がしたかと思うとなんと顔の表面が剥がれ始める。なんらかの動物の皮か何かを人の皮膚のように加工したのであろう。その姿を見てハンガスは言葉を失った。
「変装…ですよ。私は暗殺と同じくこれが得意でしてね。なかなかのものでしょう?声真似もね」
半分剥がしかけの仮面をブラブラとさせながらヒョイオ・ヒョイに扮した人物は飄々と語る。剥がれかけの顔の皮膚、そして変装と声真似に呆気に取られていたハンガスだがようやく言葉を絞り出す。
「ア、アンタ…なンで…?」
「脅し…ですよ」
「お、脅し…ッ!?」
「ええ…、もし貴方が裏切ったその時は…。私はどこにでも忍び込める、どんな姿にも化けられる。貴方がいつも見ている使用人…取引相手、あるいは道行く見ず知らずの通行人…その誰にでもね…。例えそれが男性だけではなく、ご婦人であろうともね」
その証拠だろうか、話しながら声質をコロコロと変えてみせる。もはやこの人物が男なのか女なのか、若いのか老いているのか、それすらも分からない。
「私はね殺しをしたくはないのですよ、仕事以外では…ね。でもね、身を守る為には仕方がありませんから…。貴方がそういう人でない事を祈っていますよ」
「あ、ああ…」
「ふふ…。では、お伺いしましょうか…。私に仕事をして欲しいという人物の事を…」
「…ッ!!?ソ、ソイツは…」
どうやってギリアムの奴がこの殺し屋とつなぎを付けたのかは知らない。しかし、ハンガスはこの人物に全て委ねる事にした。どこか人ではないような…妖気のようなものさえ感じさせる不気味さ…、それが精神的に追い詰められているハンガスの首を縦に振らせた。結果的に殺したいほどの感情を持つに至った相手の事を話していく。
「そうですか…、ではそのお相手の事を調べてるのに数日…。それから始末にかかりましょう。報酬の残りはその時に…」
「わ、分かった。金貨40枚だったな」
「ええ…、それでは次にお会いする時は今回の首尾をお伝えする時…」
そう言って剥がれかけの変装を再び顔面に押し付ける暗殺者、元通りヒョイオ・ヒョイの姿になると今度は悠然とドアから出ていく。ただ、決して背中は見せない。そしてそのまま商会を後にしたようだ。
音も無く商会を出て行った予期せぬ来訪者、だがその姿を見た者は商会の中にはいなかった。気配すら感じさせずいなくなった不気味な奴…、それが今のハンガスにはこの上なく頼もしく感じられたのだった。
次回予告。
つかの間の平穏な日常、そこでゲンタは新たな一面を垣間見る。
『本体は鞭!?』
お楽しみに。