第53話 精霊の祝福
「ゲンタさん、あなたは闇の精霊の祝福を受けたようです」
しっかりとした口調でシルフィさんは言った。
「精霊の…、祝福…?」
先程まで甘いぶどうに心奪われていたとは思えないくらいの落ち着いた様子で彼女はゆっくりと首肯く。
「おそらくは…」
一瞬だけチラリとサクヤを見てシルフィさんは続ける。
「サクヤ…、光の精霊の祝福も…。ゲンタさん、あなたは受けています」
「サクヤからも!?」
「あなたは最初、サクヤの口元を拭いていた…と言っていましたね?」
「はい、それが終わって次は彼女に…」
そう言って僕はサクヤが連れてきた黒髪の精霊、サクヤの双子の姉妹の関係にあるという彼女の方を見た。
「その『口元に触れた』というのが…、祝福の儀式なのです」
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「そうか!シルフィのお嬢ちゃん、それは精霊の口付けを受けし者…。昔話とかで出てくる言い伝えの事だね?」
実年齢はエルフであるシルフィさんが上だろうけれど、見た目は美人お姉さんという感じのシルフィさん、片やいわゆるお婆さんという感じのマオンさん、その点で言えば嬢ちゃんと呼ぶのはまあ…分かる。でも、年齢の事を言うと数年前まで歴戦の強者だったギルドマスターのグライトさんが本気で怖がるぐらいにシルフィさんが殺気を放っていたからなあ…考えないようにしよう。
「その通りです、マオンさん」
僕が年齢などについてアレやコレやと考えている中、シルフィさんの声が聞こえてきたので意識を現実に戻す。
「言い伝え…?」
「そうだよ、ゲンタ!と、言っても若い者は知らないかも知れないねぇ、『妖精や精霊の口付け』を受けた者はその祝福を身に宿す…ってさ」
マオンさんが少し興奮気味に話す。口付けってキスでしょ?してないよ、僕は。したらロ◯コンって言われそうだし…。
僕の考えている事が想像できたのか、シルフィさんが口を開く。
「ゲンタさん、精霊の口付けと言っても別に口と口を合わせなくても成立するのですよ?」
「えっ!?それって…?」
「精霊の唇に触れる…、それが祝福を得るという事なのです」
「えっと…、じゃあ僕が食後に口まわりが汚れてたのを拭いてたら祝福を得た…って事ですよね。じゃあ、あくまで偶々(たまたま)唇に触れたから…」
「いいえ、それは違います」
「えっ!?」
「そもそも精霊と言うのは人前に姿を現す事自体、滅多にありません。もし現したとしても目の前に気に入らない者がいればすぐに姿を消してしまいます。仮に嫌いではなかったとしても触れる事まで許したりはしません。無理にでも触れようとすれば、その前に魔法による障壁に弾かれてしまうでしょう」
そうなんだ…。二人とも小さな幼子みたいな姿だけど、その力は凄いんだな。人は見かけによらないと言うけれど、ここ異世界でも同じなんだな。むしろ魔法とかがあるんだから見た目だけで判断するのは悪手だ。
弱そうだと見くびって対応したら強力な特技を持ってました…みたいな。小さいけどサクヤも闇精霊の彼女もそれぞれ光と闇の属性の能力を持っている、ハッキリ言って僕よりも絶対強いだろうし…。
「安心して下さい、ゲンタさん。精霊は本来、この世界を自由に漂い自然の現象と共にあるものです。そこに悪意や敵意はありません。私たちが彼らを…、自然を蔑ろにしない限り牙を向けるという事はありません。彼女たちを恐れないであげて下さい。あなたと親しくしていたい、彼女たちはそう思っている筈です」
「シルフィさん…」
「それゆえにあなたの前に精霊の真の姿である人型になって現れ、文字通り触れ合おうとしたのです。『精霊の口付け』はその最たる物…。ゲンタさん、あなたは彼女たちから愛されていると言っても過言ではないでしょう」
「うーん、サクヤは最初からあんな感じだったからなあ…。僕個人としては、サクヤは…幼い子の食事の面倒を見ているような…」
「ふふっ、そんな私利私欲の無い行動が精霊に受け入れられたのかもしれませんね。それで偶然触れたのかも知れませんね。きっと闇精霊の時もそうだったのでしょう」
闇精霊の時….、彼女の時は…えーと。紙ナプキンを渡そうとして…、あれ?彼女は一瞬手を伸ばした…。って事は当然その使い方は分かっていたし、自分で拭く事も可能だった筈だ…。だけどその手を引っ込めて…、唇を突き出すような感じにして目を閉じて…確か背伸びするような姿勢を取っていた。
…まるでキスを待ち望む女の子のように。…えっ?
まさか…。これは偶然その唇に触れたのではなく…、彼女がそうさせて…?紙ナプキンを使っているんだから指が直接触れるって事は多分ない、って事は彼女から…?
不確かな自問自答、何も確証はない。ふと、視線を向けると彼女もこちらを見ていた。そしてまた静かに微笑む。その微笑みは『にこ…』といういつもの静かで大人しい微笑みにも、『くす…』という悪戯っぽい微笑みにも感じられた。
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「御伽噺に出てくる古代の王や英雄は必ずと言って良い程、何らかの精霊や妖精の祝福を得ています」
僕が彼女の微笑みに戸惑っていたのも束の間、場の話題は精霊の祝福を受けた先人たちの話になっていた。
「類希なる武勇を誇り、後に王となる剣士アルサールは若い頃に泉の精霊より加護を授かった事で有名です。その祝福によりあらゆる炎からその身を焼かれる事が無くなった彼は鉄をも溶かすと言われた竜の炎を受けても平然としていたと言われています」
「あと、儂が聞いた事があるのは…。ほら、アレだよ、アレ?親の仇を討った若き将軍とかさ」
「遙か東方の国の若き将軍ロウホウの事ですね。彼は精霊ではなく妖精の一種である風を司る妖魔の祝福を得ました。妖魔とは妖精と魔族の間に生まれた存在ですがその力は本物…。目にも止まらぬ俊敏さを得て戦場を疾風の如く縦横無尽に駆け、さらにその風の祝福は飛来する矢を外らせ何人も彼を傷つける事は無かったと聞きます」
「そう、そうさね!風の妖魔の祝福だよ。しかし、それからが悲劇なんだよ。親の仇を討ったロウホウは、妖魔の力を得た事を国中から恐れられて国外に追放されて、最後は追いかけてきた実の兄に殺されてしまうんだよ。その力があれば決して負けなかったろうに…、血を分けた兄弟で争うのを良しとせず潔く討たれたんだよ」
うーん、祝福を受けると何やらすごい力を得るようだ。しかし、結末がハッピーエンドとなるとは限らないようだけど…。だけど、そうなると気になる。僕に与えられた祝福の力がどんな物かと。
「じゃ、じゃあ僕にも何かの祝福の力が…」
自分の手足や体を見ながら僕は思わずシルフィさんに問う。
「おそらくは…。しかし、どんな祝福なのかはその時になってみないと分かりませんし、あるいは祝福は受けても特殊な能力を頂く事が無かった人も中にはいるそうです」
「えっ?無い人も…、いるんですか?」
「ええ…、もしくは何か有ったかも知れませんが実感するような事が無かったとか…」
うーん、なんだろう。例えば凍った雪の上を滑らずに歩ける能力を貰ったとして、住んでるのが一年を通して雪が降らない沖縄でした…みたいな感じだろうか。
いずれにせよ今は分からない、どんな祝福を受けたか鑑定するとかないみたいだし。
「それよりも、ゲンタさん。闇精霊の彼女に名前をつけてあげませんか?」
作中に出てきた『剣士アルサール』はアーサー王、『将軍ロウホウ』は九郎判官源義経をイメージしています。




