第526話 戻ってきた男の背中
「…つーかさ、なんでテメーがここに来れるんだよ?綺麗に背骨を外されて寝たきりになったんじゃねーのかよ?」
ヒョロリとした背の高い男はギリアムはギリアムであった、そのギリアムを見てブドライアーはそう声をかけた。そこには情というものがまるで感じられない響きがあった。
このギリアムはこの商会の主にして商業ギルドのサブマスターであるブド・ライアーの息子である、もっとも母親はどこぞの者とも知れぬ女性であった。それゆえブド・ライアーからは正式な息子として扱われてはいなかった。時折店にやってきてはカネをせびっていく厄介者…その程度の父と息子の関わりであった。
以前、ギリアムは冒険者ギルドの前でゲンタに何度目かの因縁をつけ襲いかかろうとした。その時に居合わせた冒険者ラメンマに返り討ちに遭っている。直前に提供されたとんこつラーメンの骨からとったダシの味に獣人としての本能や野性を取り戻していたラメンマによりすぐさま撃退され背骨を綺麗に外されたギリアムである。
ラメンマにより一切傷つける事なく外されてしまった背骨…、それを診察した高名な回復魔法の使い手は傷ひとつ…ほんのわずかな擦過すら付けず外された為に治せないと答えた。
「せめて外された背骨に傷が多少でも付いていたのならそれを治しながら…、ついでのような形で元のように戻す事は出来る。だが、わずかな傷すら無いものに回復魔法を使っても治す事は出来ない」
それがギリアムを診た回復術師の意見であった。そんな訳で外れた背骨を治す事は出来ないと言われてしまったギリアム、当然ながら外された背骨から下はブランとしてしまい身動きは取れず寝たきりになっていた。それゆえブド・ライアーは一人の老女を雇いギリアムの世話をさせる事にした。最低限の食事と身の回りの世話、それだけは手配してやったのである。
いかに世間からの評判が悪く正式に息子とは認めてはいなかったにしてもギリアムを野垂れ死にさせてしまえばさすがにブド・ライアーの世間体が傷つく。だから青銅貨一枚(日本円にして10円)の儲けにすらならなくてもやってやる事にしたのだ。
しかしそのギリアムがこうして商会の一室にやってきた、身動きが取れなくなったはずの彼が…である。
「ククッ…、クククッ…、ククククッ…」
立ってはいるが不自然なほどに背を曲げてギリアムは身を震わせてこらえきれないといった様子で笑った。理由は分からないがなにやら愉快であるらしい。だが、その様子をいかにも不快だと言わんばかりに表情でブド・ライアーは見ながら口を開いた。
「チッ!まあ良い!!…で?何の用で来たんだ?まさかこんな時にまでカネをせびりに来たのか?」
「ククッ、そうだ。カネがいるんだよ、カネが…。ククク…」
「…クソが。こんなウチがこんな時にテメーは遊ぶカネ欲しさに来たってのかよ」
平然と言ってのけた婚外子に思わずブド・ライアーは吐き捨てるように呟いた。しかし、当のギリアムは気にもしない。
「遊ぶカネかぁ…、ククッ。たしかに欲しいよなァ、…だけどよ」
ニヤニヤと笑っていたギリアムの表情が憎しみの色に染まった。
「俺が欲しいのはそんな端下金じゃねえ!」
怒りを滲ませギリアムが叫ぶ、まさに豹変だ。どこか先程までの卑屈さすら感じさせるニヤニヤ笑いは完全になくなっている。
「もっとだ、もっとまとまったカネだ!それがありゃあ…」
ワナワナと体を震わせてギリアムが呟いた。
「おい、ふざけんなよ。テメェの遊ぶカネだって結構な額なんだよ。それよりもまとまったカネって…。いったい何に使うつもりだ!?」
「フ…、フヘヘヘ…。知らない方が…良いと思うぜぇ…」
先程までの激情はどこかに消え失せて再びニヤニヤとした卑屈な笑いを浮かべるギリアム。
「親父だけじゃねえ…、ハンガスからもカネはもらっててよォ…。フヘへ…」
「ハンガス氏からも…?何をする気だ、新しい商売…いや…テメェは商売ってガラじゃねえ。それがカネを回させて…何を…?」
「親父…、ハンガスもだけどよォ…塩売りのあの野郎にゃあハラワタ煮えくり返ってンじゃねえのかァ?商売、邪魔されてよォ…」
再び卑屈な笑いを引っ込み、恨み骨髄…といった感じでギリアムが言った。塩売り…その言葉にブド・ライアーは思わずピクリと体が反応する。
「ヘ…、へへ…図星かァ。そうだよなァ、そうだよなァ…。憎いよなァ?こんな目に遭わされてンだ…、憎いよなァ…ヒヒヒ…。俺だってヤツのせいで寝たきりになった…そのせいで体は衰えこんなヒョロガリに…、そんで背中は曲がっちまった!」
そんな風に呟きながらギリアムは自分の着ているフード付きのローブに手をかけ脱ぎ捨てた。下はズボンを履いているので上半身だけが露わになる。かつては筋骨隆々といった感じの肉体はヒョロヒョロに痩せ衰えていた。そして後ろを向いて背中を父親に見せつける。そこには惨たらしい大きな 蛇のような傷跡が背骨の上あたりに走っている。背骨に沿って背中の皮膚を縦に刃物でえぐったような…そんな傷跡であった。
「疼(疼く)くンだよォォ!!この傷がァ!!」
「テ、テメェ、その傷はどうした?前に背骨を外された時はかすり傷ひとつなかったのに…」
その傷跡は見る者が見れば回復魔法で無理矢理にふさいだばかりである事が分かる、後の事は良いからとにかくすぐにこの大きな傷をふさいだ…そんな治療痕であった。広がっている傷を魔法の力によってふさぐのが回復魔法だ。例えれば裂けてしまった皮革を当て布なども使わずに大急ぎで左右から引っ張り膠などを使って接着するようなものだ。それにより裂け目はふさげてもいわゆる『のりしろ』になった部分…つまり膠で貼り合わせた部分だけ面積は減る。その結果、革布は無理矢理に引っ張られ皺や歪みが出来る。それがギリアムの背でも起きていた、無理矢理ふさいだ背中の傷が貼り合わされた皮革のようにギリアムの背中を引き攣らせる。それゆえまっすぐに立つ事ができないのだ。
仮にこれをミアリスが治療したならば結果は異なったろう。ミアリスはようやく成人を迎える年齢だ、回復魔法を使えるといってもまだ未熟。一気に傷をふさぐというような事は出来ない、どうしても時間をかけて治療していく事になる。だが、それが幸いする時もある、無理矢理に傷をふさがず瘡蓋の下に出来た新しい皮膚がだんだんと上に昇ってくるように…自然に治癒するのと似た形で治療する事が出来る。そうすれば傷跡が引き攣るような事はなかった。…もっともミアリスが治療する際にはゲンタの助力を得られる、彼の持つサクヤたち精霊が触れ合い祝福を与えた軟膏…それを塗りながら治療を施せばミアリスの初歩的な魔法でゆっくりとした治癒でありながら軟膏の力が合わさり急速な回復が見込めるという良いとこ取りの結果になるのだ。
「えぐらせたンだよォォ…、背中を…!!ザックリ…背骨まで削るようになァ!!痛かったぜェ…。背中だけじゃねえんだ、頭ン中まで刃物突き立てられてるみてえになるンだッ!背骨をえぐるとよォォ!!」
「な、なんでそんなマネを…」
「なンでだと?決まってンだろ、傷が欲しかったンだよォ!!背骨によォ!!傷が無えから回復魔法の意味が無え?だったらよォ、つけりゃあ良いンじゃねえかァ?その傷ってヤツをよォ!!そうすりゃ傷を治しながらついでに背骨が元に戻るだろうがよォォ!!」
「…く、狂ってやがる」
「狂ってるだァ?ヒエヘへへ、そうだよなァ!狂ってンのかもなァ、そうでもなきゃあ骨までえぐるようなマネはしねえ!だが、こうして動けるようになった!体は痩せて背中は曲がっちまったけどよォォ!!それもこれも全部…ッ!!」
狂気すら帯びて恨みに満ちた言葉を吐くギリアム、それを見てブド・ライアーは言葉を失った。しかし、腹の中では別な事も考える。場合によってこれは使えるのではないかと…、そう考えるとブド・ライアーの頭の中が急速に冷えてきた。打算という名の算盤が得るもの減るもの、そして切るものが次々と頭に浮かんでくる。
「…何するか細かくは聞かねー。だから好きにやんな」
そう言ってブド・ライアーは机の引き出しから大人の手のひらにやっと乗るような革袋を取り出しそれを机の上に置いた、重く鈍い音…それと擦れる時に鳴った澄んだ金属の音が室内に響く。
「ヒ…、ヒェフェフェフェ…。わ、分かってンじゃねえか!いきなり金貨をポンと出すなンてよ…。」
置かれた革袋に目を奪われたかのようにギリアムがフラフラと近づいていく。まるで他には何も目に入ってはいないかのようだ。その様子をブド・ライアーは冷ややかな目で見ていた。