第516話 その頃のブド・ライアー(ざまあ回)
ミーンの町で一切の販売活動を行わなくなってから数日が過ぎた。僕は基本的にレポートや小論文をひたすらに書いていた。むしろこのタイミングでやっておかないと忙しい毎日が始まった時に取り掛かれないかも知れないからだ。
それというのも護衛に就いてくれる冒険者の皆さんから聞く町の様子を聞くにつけブド・ライアー商会の近況は想像以上に悪いらしい。初日だけではなく二日目もミーンの町の皆さんによる不買運動は続いていて初日は客入りがゼロ、二日目もゼロではなかったが見ていた人によればおそらく銀貨一枚も売れてはいないだろうとの事。銀貨一枚と言えば日本円に換算すれば一万円だ、大店と言われる店舗を一日中開けて何人もの使用人を働かせているのにそれでは間違いなく大赤字だろう。だけど塩の消費は無くなる訳じゃない、もしブド・ライアー側が折れ僕の商売が再開すれば反動でしばらくはとんでもなく忙しくなるんじゃないか…そう考えた僕は多少の無理をしてでも今のうちにレポート等をやっておこうと考えたのだ。
そしてそんなレポート作成の合間に休憩をしていた時の事…。
「見られるモンなら見てみてえよな、今現在のブド・ライアーのツラをよ。一体どんなツラをしてる事やら…」
今日の護衛に就いてくれているナジナさんがちょっと悪い顔をしながら言った。そんなナジナさんに苦笑いしながらもウォズマさんが応じる。
「フッ、相棒。少々趣味が悪い。だが、その気持ちは分かるぞ。おそらく臍を噛むとはまさにこの事…そんな顔をしているだろうな」
「違えねえ」
二人の戦士はそんな事を言って笑い合う。
「僕の方としてもあの人が困ろうが怒ろうがどうでも良いんですけどね。あ、いや…そうじゃないですね、やっぱり僕もブド・ライアーがしてやったりみたいな顔をしているのはどうにも嫌です」
「ああ、俺もそうだぜ。だけどまあ、幸せいっぱい…みてえなツラはしてねえと思うぜ。なにしろ…クックッ…」
悪い顔をさらに深めてナジナさんが意味ありげに笑う。
「ん?ブド・ライアーについて何か知ってるんですか?」
木製のジョッキに入れた緑茶という日本人の僕にはなんとも違和感のある取り合わせのはずなのだが何故だか妙に似合っているナジナさん、お茶菓子の豆大福をパクリと口に含むとなんとも幸せそうな顔をして言った。
「ヤツのツラを直接拝んだ訳じゃねえが…」
そう前置きした上でナジナさんが話し始める。
「なんでもよう、ヤツの商会の建物とか壁に誰かが悪戯してるみてえなんだ。まあ、色々と恨みを買ってるんじゃねえか?」
「悪戯…ですか」
「ああ、そうそう。なんせ…」
ふたつ目の大福に手を伸ばしナジナさんが話し始めた。
□
同じ頃…。
ここは町の商業地域、色々な商店が集まる区画である。その様々な商会や商店の居並ぶ中でも広い面積を持つのがブド・ライアー商会の敷地だ。これに匹敵するのはパンや小麦を一手に取り扱うハンガス商会ぐらいである。
そんなブド・ライアー商会の建物にガツンと大きな音が響いた。そんな大きな物音がした辺りに商会の手代たちが急いで駆けつける。そして商会の主であるブド・ライアーも後からやってきた。表通りから脇の路地に入った…いわゆる敷地の裏手側である。どうやら物音がしたのは表通りから見て敷地の反対側、建物の背面の壁からであるようだ。
「なんだ、さっきの音はッ!?でけー音がしたぞ!」
苛立ちを隠さずにブド・ライアーが手代たちに問う。
「こっ、これだと思われますっ!」
先に駆けつけてきていた手代のひとりが地面を指差す、そこには大人の拳ほどもある石が転がっていた。
「これが投げ込まれて…、あそこの…あのへこんでいる所です。建物の壁にぶつかってした音なのでは…」
手代が言った通り建物の壁面には大きな疵ができていた。それを見てブド・ライアーは舌打ちをする。
「クソが…、昨日くらいから小石投げ込まれたりしたけどよ…。なんだこれは…、こんなでけえ石投げ込まれるなんて…」
そう言ってブド・ライアーは忌々しげに地面を見た。そこには先程の大きな石、さらには子供でも投げられるような小石もずいぶんとたくさん落ちている。おそらく自分たちが把握しているよりも多くの石が投げ込まれているのだろう。そして怒りに満ちていたブド・ライアーが周りを見回して被害の状況を確認しているうちにだんだんと冷静になってくるとさらなる違和感に気がついた。
「おい。なんかこの辺、クサくねーか?」
ブド・ライアーは手代に尋ねた。
「は、はい。実は…」
主人の問いに手代が答える。それによれば店の周囲で立ち小便をしている輩がいるようである。夜中を中心に外壁のあたりに…、今は昼間だから暖かくその悪臭が強いのであろう。
「おい、見回りはしていたのか!?」
「し、してました!ですが、常にここにいる訳ではありませんので…」
ここ最近はそうでは無くなったがこれまでブド・ライアー商会の羽振りは良かった。それゆえ商会の警備面について考えなかった訳ではない。行商から成り上がり商店を構えた最初のうちはちゃんと冒険者を雇っていた。しかし、冒険者に護衛を依頼すると必要なものは必要になる。その出費を惜しみ…正確にはケチりブド・ライアーは警備面を手代たちにやらせる事にした。
町の塩を一手に担ってきた事もある、ミーン商業ギルドのサブマスターに就任したのも大きい。また、認知はしていないが婚外子のギリアムの影響もあった。正直言って荒くれ者の出来損ないだが腕力だけは並の男よりもある。また、悪童育ちであっただけに連む仲間も似たような者が多かった。
そんな連中を商会の番犬代わりに飼ってやるような感覚でブド・ライアーは警備につけた。ただし、販売など商売には直接触らせない。クズは金を見れば目の色を変える、ちょろまかす事をすぐに、考えるものだ。あくまでも番犬として…、そもそも野良犬は家の中には入れないのが常だ。そんなならず者たちをしっかり押さえつけておけ、それが警備の他にブド・ライアーがギリアムに与えた役割であった。もっともそんな役目も数年で必要なくなった、面と向かって逆らってくる奴がいなくなったのである。そんな訳で現在のところ商会の警備面は自前の手代たちで事足りていた。それなりの頭数が揃っていたのも大きな理由だった。
「それがこんな事になるとはよォ…」
ブド・ライアーは現在の状況を吐き捨てるように呟いた、その時である。
べちゃっ!!
ブド・ライアーから見て数歩先、そこに何かが落ちてきた。湿った音が響く、よくは分からないが麦藁か何かを編んで作った袋のような物だった。その袋のような物の口から何かが漏れ出ている。
「く、臭えっ!!なんだこれは!?」
たちまち悪臭が広がる、それは最近やられている立ち小便のものとはまた異なる不快な臭いがであった。
「だ、旦那様!ど、どうやらこれは糞のようです!おそらく馬糞か牛糞か…」
「馬鹿野郎、そんな事どうだっていい!早く裏に行け、ボケがッ!!やった奴を捕まえろ!絶対にだ!」
ブド・ライアーは手代たちの尻を蹴飛ばすようにして外に向かわせる。
「駄目です!誰もいません!」
手代が手ぶらで戻ってきた。
「探せェェッ!!何がなんでも見つけろォ!」
ブド・ライアーの怒声が辺りに響き渡った。