第515話 ゲンタは売らない、ブド・ライアーは売れない
翌日…。
ミーンの町で商売をしない、そう宣言をした僕は言葉通り一切の販売活動をやめにした。それは物品だけにとどまらず冒険者ギルドでの毎朝の朝食販売も含めてだ。
悲鳴に似た声、不満など冒険者の皆さんから上がったそうだけど僕にはどうにもならない。ある程度の品物は用意できるが全てではないのだ。この異世界でしか用意できない物もある。ブド・ライアーがそれを取り扱っているかは分からないが奴は商業ギルドのサブマスター、その権力を使って取り扱う店に働きかけるかも知れない。そうなると影響が出てしまうのは町の皆さんだ。
それゆえ僕たちは商売をひとまず取りやめた。売れ行きが良いのは歓迎すべき事だけど僕たちはずっと休みなく働いていた。だからたまには休むというのも良いかも知れない、そこで朝の販売もやめてのんびりとする事にする。
この事は僕にとっても丁度良いタイミングだった、コロナ禍で動かない日本。大学もそれと同様で履修する科目の申請は終わったが講義をどうするはまだ決まっていない。人が集まれば感染リスクは高くなる、まだ治療法もワクチンも確立されてはいないのだ。当然と言えば当然だが代わりにどう講義をするか…、リモート授業を…などと言われているが世間ではまだまだ環境が追いついていない。結果、リモートからは程遠いレポートや小論文の提出という紙ベースで成績は判断となった。まあ、科目によっては毎週のものもあるがほとんどは前期末が期限の一斉提出と決まり早い分にはいつでも良いとの事。そこで僕は今のうちにやっておく事にした。ここに至っての学生の本分、まさかの復活である。もっともその紙ベースのレポートや小論文の執筆は異世界…、マオンさん宅での事にはなったけど…。
そう言えば余談になるけど冒険者の皆さんによる僕たちの護衛、それは非常に人気のあるものになった。朝食販売がなくなり元通りの生活に戻ったミーンの町、唯一僕が作る食事が食べられるのは護衛依頼に就く人のみ。さらに報酬に関しても金銭で受け取るか、あるいは塩やジャムなどの現物で受け取るか、さらには報酬額を金銭と現物とで好きに配分して受け取るかを選べるので販売をしなくなった町で唯一日本から買ってきた商品を手にできる機会となるこの依頼に人気が集中した。
さらには教会から働きに来る子供たちもカレーを初めとした料理を食べられる。孤児と言うと肩身が狭かったりするようだが一転、あのカレーが食べられると縫い物や建築現場の下働きに向かう教会の子供たちは最近では憧れの存在でもあると聞く。ミーンの町で何かが変わってきているのかな、僕はそう考えながらレポートに取り掛かる。この講義の教授はコピペが大嫌いなので手書きの文章による提出を求めている。うーん、PCを使ったリモート環境とかペーパーレスについてをテーマに研究してる人なのにな。
「世の中ままならないものだ、日本も異世界も…ね」
僕は思わずそんな事を呟いていた。
□
ゲンタが本来の学生生活(?)を再開したその頃、ミーンの町の商業地域にあるブド・ライアー商会では…。
「塩の値段は言った通りにしただろうな!?」
会頭であるブド・ライアーが手代に再度確認をする。
「はい、お言いつけ通りに本来相場より少し高くしてあります!干魚、海藻類におきましても同様でございます!」
生真面目そうな手代が主人の声に応じた。
「それでいい。今まで値段を下げてたからな、ここで一気に取り返すぞ!損してきた分を町衆から取り戻せ!」
「はい!」
「それと…冒険者ギルドでの様子はどうだ?ヤツは商売をしてなかったろうな!?」
「それも確認に走らせました。冒険者ギルド前や獣人族たちの集落での機巧による塩の販売はやっておりません。また酒などの他の品物も…それどころか自宅の敷地から一歩も出てはいないのを確認しております」
「そうか、良し!ならば後は売る事だけを考えろ。頭を下げる事はねえ、売ってやる…町のヤツに俺たちが塩を売ってやる立場だという事を身をもって教えてやれ!」
「はい」
「よし、下がれ。次にお前がここに来るのは夜、売り上げの報告の時だけで良い。行けっ!」
そう言ってブド・ライアーは手代を店舗へと走らせた。そして自らは部屋の壁際にある戸棚からお気に入りの酒瓶を取り出して軽く飲み始めた。邪魔者はいなくなった、これで商売は…儲けは俺の思い通りだと思うと自然と頬が緩んでしまう。そんな感覚をブド・ライアーは悪くないと顎や口元を指でさすりながら笑みを浮かべていた。
……………。
………。
…。
その日の夕刻、商会の営業終了時刻からそう時間もかからずブド・ライアーの居室のドアがノックされた。おそらく手代が売り上げの報告に来たのだろう、なかなか早い報告にブド・ライアーの機嫌はさらに良くなる。
「入れ」
一言告げると朝方の生真面目そうな手代が入ってくる。
「報告に来るのがなかなか早ーじゃねーか。良いぜそーゆーの、計算早いって事はお前が使える奴って事だからな」
「は、はは…」
上機嫌なブド・ライアーに対して手代はぎこちない愛想笑いで応じ額には汗をうっすらと浮かべている。そんな手代の様子を気にもかけずブド・ライアーは言葉を続けた。
「で、どうだった?いくら売れた?聞かせろよ」
「そ、それが…」
手代は一瞬口ごもったがやがて言いにくそうにしながらも喉から言葉をしぼり出した。
「あ、ありません…」
「何っ?」
「ありません。な、何ひとつとして売れませんでした…」
「な、なんだとぉ!?し、塩の一粒も売れなかったのか!?…ど、銅貨の一枚も稼げなかったってのか?」
「は、はい…」
手代の言葉にブド・ライアーは信じられないといった表情でしばし茫然とするのだった。