第514話 やめないでくれよ
僕たちが町での商売をやめる、そのニュースは瞬く間に町中を駆け巡ったらしい。その日の夕刻、様々な人々が押しかけてきた。
その場にいたオタエさんから話を聞いたのだろう、一番乗りは猫獣人族の顔役であり鳶職集団の棟梁であるゴロナーゴさん。職人さんたちを引き連れての登場だ。他にも犬獣人族のモンゴルマ長老が着込んだ鎧をガチャガチャ言わせ若手のラメンマさんたちを率いてやってきた。他にも見知った顔がチラホラ見える。その誰もが塩を初めとした商売の取りやめの撤回を求めていた。
「なあ坊や、考え直してくれよ。お前さんが扱う品物はどれもこれも大したモンだ。それが口に入らねえとなるとなると俺よォ…」
「そうじゃ!ワシもあの『とんこつらめぇぇ!?ん』が食べられなくなったら…」
ゴロナーゴさんと長老さんの発言をきっかけに色々な種族、立場の人が一斉に口を開く。もはや誰が誰だか…。
「いやいやいや!そこはあの干した海藻だろう!この山奥の地であれほどの物が手に入るのだ!まさに海王神のみできるような…、まさに神の御技であろう!」
「神の御業と言うのならばゲンタ殿は我らが神よ、ヴァシュヌ神が地上に降りし現世神様と我らが神殿の巫女殿も言っておられる!」
「ねえ〜、ゲンタさんのニンジン買えなくなっちゃうの?」
「おいどんはあの『しゃけ』という美味か魚をもう一度食べたいでごわす」
「おお、あの魚か!それは俺も… 」
「アタシ、ゲンタちゃんの髪を洗う『しゃんぷー』が無くなったらおかしくなっちゃうわぁん!あと、元気になっちゃうあのお菓子もよォん!」
「みなさん…」
次々に寄せられる声に僕は思わず呟いた。そしてその寄せられる声は僕にだけじゃない、マオンさんにもだ。特に付き合いが深いナジナさんは感情のこもった声で僕たちに翻意を訴える。
「兄ちゃんだけじゃねえ!俺はマオンの婆さんのパンも俺は大好きなんだぜ!今朝のパンもそうだ、ありゃ婆さんの手作りだろう。それに『かれー』の時もだぜ、婆さんが切った野菜を見るとよぉ…俺はお袋の事を思い出して…」
今回、僕が商売をやめると発言した事にマオンさんも行動を同じくする立場を取った。そんなマオンさんの作るパンにもファンがいて口々にやめないでと訴える。まるでコンサート会場で解散を口にした人気絶頂のアイドルグループにファンたちが悲鳴にも似たやめないでコールをしているかのようだ。
「お言葉はありがたいのですが…、町の皆さんが不便になる事を思うと…」
「儂もだよ…、ここには教会から小さな子も来るからね。もしその子たちになんかあったら…」
「この家は安全です、ガントンさんを初めとした屈強なドワーフ族の皆さんやサクヤたちもいてくれるし…。護衛に就いてくれる皆さんもいます。だけど、僕たちと関わる人の中には安全が保証されていません。あのブド・ライアーの息子が教会の小さな子にしてきたように嫌がらせをしてきたように身を守る術を持たない人もいます。そちらを狙われたら…」
「む…。あの時、俺が奴に手を出したばかりに…」
ジュウケイさんが苦虫を噛み潰したような顔をして呟く。
「いえ、ジュウケイさんは悪くありませんよ。あんな小さなポンハムを突き飛ばしてカレーを奪い取って食べようとしたんだから…。悪いのはそもそも…」
僕がそう言うと
「そうだ!!きっかけはそのホンリエモとかいうクソガキじゃねえか!働いてありつけるメシを横取りしようとしたんだろ!?」
「それに親父のブド・ライアーが首を突っ込んできてこんな事になってるんだ!まったくあの商会のヤツらはロクな事をしやがらねえ!」
「あの出来損ないのギリアムもヤツの倅じゃねえか!あの鼻つまみ者のよォォ!!」
押し寄せた人の波から次々とブド・ライアーやホンリエモ、そして婚外子であるギリアムに非難の声が上がる。
「あんな奴らがのさばってるから坊やたちが泣きを見る事になって町のみんなも良い品が買えなくなる…。こんなのってないじゃないか!ねえ、アンタ!みんなもそう思うだろ!?」
ナジナさんを初めとした野太い男性たちの声に負けないくらい大きな声を上げたオタエさん、その声が呼び水となり周りからそうだそうだと声が上がる。
「クソッたれがよォ、なんで真っ当にやってる坊やがこんな目に遭って奴らが高笑いしてやがるんだ。そんなの間違ってるぜ!」
「それに商売できねえんじゃ坊やも婆さんも大損じゃねえか!いや、坊やたちだけじゃねえ!高え金出して砂混じりの塩を掴まされる俺たちだって大損だ!」
「ブド・ライアー商会、許せねえ!」
「こうなったらよぉ!こっちに大損させようってんなら奴ら…ブド・ライアー商会にも大損させたろうじゃねえか!」
町衆の一人がそんな声を上げた。
「大損?どうするんだ?」
「簡単だよォ!奴らから何も買わなきゃ良いのさ!」
「えっ?でも、そしたら町の皆さんの手持ちの塩が無くなっちゃうんじゃ…」
僕は心配になり声をかけると町の皆さんは大丈夫だと胸を張る。
「ギルドの前の塩が売り切れただろう、みんなしっかり買い溜めしてたのさ。あの真っ白な塩をなあ」
「ああ、買った買った!これでしばらくは大丈夫だ!」
「それにここは元々山奥だぜ!塩の不足はいつもの事だったんだ。なあに我慢比べ、奴らに音を上げさせりゃ良いんだ!」
「いやいや、そうじゃねえ!むしろあんな奴らはこの町にはいらねえ!奴らがいるから町の衆が迷惑するんだ!」
「そうだそうだ!あんな商会なくなっちまえ!!」
人々の怒りは渦を巻き気炎は天を焦さんばかり、どんどん燃え上がりっていく。もはやその勢いに僕やマオンさんの言葉は出る幕も無く…それどころかもう僕たちの手を離れてひとりでに転がり始めた。それはまるで大きな玉のように行き着く先…ひとつの結末に向かって突き進んで行くのだった。