第507話 押し倒した?
不意に後ろから抱きしめられた僕。胸の前あたりに回された腕の感触は間違いない、シルフィさんだ。彼女が後ろから触れる感覚に僕は思わず言葉を失う。
「駄目…」
シルフィさんのささやきに似た小さな声が耳に届く。そして次の瞬間には視界がブレた、この感覚…覚えている。シルフィさんの得意技、短距離瞬間移動だ。
ブゥンッ!!
空気が揺れるような音がしたかと思うと見ていた景色が変わった。今までテーブルを囲んでいた、みんなの顔も見えていた。それが横に十歩くらいだろうか、正面には、誰もいない冒険者ギルドの壁だけが見える景色。目に映る違和感、そしてもうひとつ僕の姿勢に違和感が生まれた。
僕は丸太椅子に座ってテーブルに着いていた、そしてそのまま瞬間移動をしたので瞬間移動した先でも当然座り姿勢のままだ。それなのに丸太椅子がない場所に移ったものだからさあ大変、僕は不意打ちで空気イスをはやらされたようなものだ。ましてや後ろからシルフィさんに抱きしめられている、自分の体重だけでなくシルフィさんの体の重みも加わっては支えられるはずもない。
「わひゃっ!?」
「くっ!精霊よッ!!」
いきなりの事に全く対応が出来ない僕、一方でシルフィさんは冒険者ギルドの職員としての面だけでなく凄腕の冒険者としての一面もある。崩したバランスをすぐに立て直し僕の頭を両腕で抱えるようにして抱き抱えた。僕はギルドの天井を見上げるような仰向けの姿勢、反対にシルフィさんは下向き…つまり床を向いている形になる。
ふわ…。
浮いた訳ではないけれど床へと仰向けに倒れていくスピードがややゆっくりになった。この感覚、覚えがある。風の精霊だったっけ…落下するスピードを遅くする、あのナタダ子爵家から脱出する馬車から飛び降りた時にシルフィさんが使った魔法…あれを再び使ったのだろう。
シルフィさんの腕に抱えられたまま僕は仰向けに倒れた。だけど頭を打つ事はなかった、回された腕が僕をかばっていてくれたから。だけどその後が問題、その姿勢である。僕は仰向け、一方でシルフィさんは下を向くような形…おまけに僕の頭を抱えるような体勢だ。僕の鼻先で揺れたシルフィさんの髪、ふわりと甘い香りがする。同時に僕を包む彼女の優しい感触がより抱きしめられている事を実感させる。
「「ああ〜ッ!?」」
マニィさんとフェミさんが悲鳴を上げる。
「シ、シルフィさんがゲンタさんと〜!?」
「ず、ずるいぜ!姐御ォ!?」
よく分からないけど非難の声のようだ。一方でミミさんの口からは驚きとか感嘆したような感じの声が洩れた。
「やられた…。まさかシルフィがゲンタを押し倒すとは…、先を越された」
「お、押し倒し…。わ、私は…、そんなつもりはッ…!?」
ガバッ!!
慌てた様子でシルフィさんが僕から腕を離し立ち上がった。だが、そうなると僕の頭を支えていたものが急に無くなる訳で…。
ゴンッ。
「痛ッ!」
床に後頭部をぶつけた。
「あっ!」
ててて…。
床に打ち付けた僕に駆け寄り抱え起こして何やら呪文を唱える声。後頭部に回された手のひらの感触、そして淡い光が放たれる。これは回復魔法の軽傷治癒…、文字通り軽いケガを即座に治す魔法だ。某国民的RPGでいうところの『ホ◯ミ』に該当する。
今この場にいる人で回復魔法が使えるのはただ一人、それは…。
「ミア…」
「もう痛くはない?ゲンタお兄ちゃん」
優しく僕に声をかけてきたのは昨日から家族として暮らすミアリスさん改めミア。ちなみにミアはミアリスの略称だ。
「ミア…?お兄ちゃん…?ど、どうなってんだァ!?」
マニィさんの驚きの声がギルド内に響き渡った。