閑話 ビズルの夢
「まあ、こうやって待つしかねえんだよな…」
干し肉を齧りながら俺はそう呟いた。鎚を振るわない日が続いている、腕が鈍らなきゃ良いが…そんな事を考えている。
とある山のてっぺん、そこに背の高い木が一本だけ生えている。周りの山と比べればそう高くはないが山頂に木が生えているのはここだけだ。だから次に雷雲がやってきて雷を落とすならここなんじゃねえか…、俺が住んでいる集落の周囲の地形を相棒から聞いて軽い銀…『けいぎん』とやらを精錬する為に俺たちは山を登った。
「えへへへぇ〜、待つしかねえだよぉ〜」
この呑気な声をだしてのほほんとしている毛むくじゃらは相棒のビズルの奴だ。コイツもた干し肉を齧り雷雲を待っている。
間抜けにも見えるがコイツの鍛治の腕はたいしたモンだ、特に鉱石の良し悪しや種類の見分けに関しちゃ並ぶ者はいねえ。
「まあ、そうなんだけどよ…」
どうにも癪な話だが相棒の言葉には頷くしかねえ…、頷くしかねえんだがどうもなあ…。茶色の鉱石も燃料となる石炭も準備してある。たたらでやるような露天の炉もこさえた。なんなら今すぐにでも精錬が始められる。…もっともこの軽い銀…『けいぎん』とやらはただ高温で融かしただけじゃ銀色にならないばかりか脆い金属が出来上がる。これじゃクソの役にも立ちゃあしねえ。確証は無えが精錬をする為にゃあ雷が要る…、茶色の鉱石を融かす前か後か…それとも真っ最中かは分からねえが欠かせねえ。きっとコイツは当たっているはずだ。
「だからこうしていつでも始められるようにしてるんだがなあ」
炉の中で少しずつ石炭を燃やしている、いざ雷雲が来てから火を付けたって到底間に合わねえからな。十分に熱したヤツを確保しておいていざ雷雲が近づいてきたら一気に石炭を放り込むって寸法よ。イチから火を付けるよりはるかに早く火が回る。
「待つべ、待つべ。来ないからってオラたちが暴れたって雷が落ちる訳じゃねえだんべ。…ほれほれ!」
そう言いながら相棒は蒸留酒を詰めた革袋、水筒にしているそれをこちらに差し出してきた。仕方ねえ、雷が来ねえ事には何にもならねえんだしな…、そう思った俺も覚悟を決めて酒の入った革袋に手を伸ばすのだった。
□
何事もなくさらに二日が過ぎた。憎たらしくなるような晴天…、おまけに暖かい…いや少し暑いくらいだ。
「雷…、来ねえだなあ…」
ゴロンと地面に横になり空を眺めながらビズルのヤツが言った。
「先を急いでいたり、鉱石を集めてる時なんてやたらと降られている気がするんだがなあ…」
俺のボヤキも何度目だろうか、数える気にもならないそれを吐き出したその口にちびり…革袋から注いだ蒸留酒と運んだ。
「ああ…不味い。酒に革袋の匂いが移っていやがる」
すっかり風味が悪くなった酒を飲りながら俺はさらにまた一つボヤいた。
「仕方ねえべえ」
相棒のんびりした声を聞くと意気込んでいる自分がなんだか馬鹿らしくなってくる、そう思った俺もヤツと同じようにゴロンと地面に横になった。
小さな雲がゆっくり流れていく、そよそよと風が吹いている。
「ふわあ…」
自然と欠伸が洩れる。があがあ…、ごおごお…ふがっ…ビズルのヤツは鼾までかいている。
「雷…、来ねえなあ…」
俺の口からあきらめにも似た声が洩れる、その時だった。
ひゅううう…。
冷たい風が頬を撫でていった、俺はガバッと起き上がる。風が吹いてきた方を向くと視線の先に何やら黒い雲が見えた。
「お、おいっ!ビズルッ、雲だ雲ッ!雷雲がやってくるぞ!!」
俺は相棒に向かって大声を出しながら炉の片隅で燃えている石炭に向けて追加をどんどんと放り込んでいった。
□
黒い雷雲が真上に迫る。幅広く、そして分厚い雲だ。
ここにはまだ落ちちゃいねえが巨大え雷雲のあちこちで稲光が走っているのがよく見える。
「よおし、鉱石を放り込むぞッ!!」
幸いな事に炉の中の石炭は十分に赤熱っている。そこに俺たちは砂鉄のように細かく砕いておいた茶色の鉱石をザラザラと放り込む。塊のままより砂粒のように細かくしときゃあ早く熱が回る…、雷が落ちる時に融けてなけりゃあ…そう思っての事だった。
目論見通り素早く茶色の鉱石に熱が回っていくのが見える、ばら撒いた大量の胡麻が真っ赤になったような光景だ。あとは雷…、それがこの炉の横に生えている木に落ちてさえくれれば…俺は腹の底から願っていた。
そしてそれは突然やってくる、目の前が真っ白になるのと同時に凄まじああ轟音が鳴り響いた。
「おごああああ!!」
「ふぐうううっ!!」
気付いた時には俺は地面に倒れていた。
体が…動かねえ…。そしてやけに体が熱い、身体中からぶすぶすと音を立てて焦げ臭い…。
「あ…、あががが…。…ゴ、ゴンロン…」
ビズルのヤツの声がした。ズルズルと這いずるような音、首を向ければ身体中に大火傷したビズルのヤツが地面に腹這いのまま近づいてきた。
「ゴ、ゴンロン、お前…言ってたんべなあ…。雷ン時にゃあ…でっかい木に…近づいちゃなんねえって…」
「い、言った…。は…ははっ、まったくだ。手前で言っといて…や、やっちまったな…」
分かってたはずなのに…、その雷の音はまだあちこちで鳴っている。
「み、見るだよ…ゴンロン…。木に雷サァ…落ちて…」
「あ、ああ…」
縦に亀裂の入った木が見える、同時にその裂け目からは激しい炎が上がっている。
「う…うぐぐぐ…」
苦痛に呻き声を上げながらヨロヨロとビズルのヤツが立ち上がった。
「へ、へへへ…。分かる…、分かるだよ…。こりゃあ上手くいってるだあ…」
炉の方を見ながらビズルが呟いている。
「今はァ…真っ赤っ赤だけんどよ…、冷めたら綺麗な銀色に…なるだよ…あの辺りで融けてるのが…」
俺には分からないがビズルの事だ、ヤツがそう言うのならそうなんだろう。
「ふぅ〜ッ…ふぅ〜ッ!あ〜、こりゃあまた…ここに来るべなァ…雷がァ…ふぅ〜ッふぅ〜ッ…」
切らした息と共にポツリと呟く声がした。
「俺は…動けそうもねえ…。ビズル、お前…離れろ…ここから…」
雷が落ちるとすりゃあすぐそこに生えている木にまた落ちそうだ。俺は動けそうにないがビズルは頑丈な奴だ、立ち上がるだけの体力もある。駆けることは無理でも歩いてならここから離れられるかも知れない。
ざっ…。
そのビズルが移動する。そしてヤツは木と地面に転がる俺との間に立った。
「ふぅ〜ッ!ふぅ〜ッ!」
荒い息を吐きながらビズルが仁王立ちをしている。
「何の…つもり…だ、ビズル?逃げろと…」
「なんとなく…分かるだよ…」
俺の言葉が聞こえているのか、聞こえてはいないのか…ビズルは向こうを向いたまま何事か呟いている。
「こンの…黒い雲から…この木に…まァた雷サァ…落ちるだよ」
背中を向けたままのビズル…、ヤツの独り言みてえな声がやけに耳に残る。周りじゃ雷がゴロゴロビシャンと絶え間なく鳴り響いていやがるのに…。
「オラ、頑丈だ…。だから、ここで踏ん張るだ…。ゴンロン、お前サァ…軽銀が出来るのを…ちゃんと…最後まで…見守るだ…。オラ…」
「ビ、ビズル、お前…た、盾になるつもりか!俺の…ば、馬鹿たれがッ!!?そ、そんな事してねえで…」
俺がそう言ってもビズルのヤツはその場所から動こうとしない。ぶすぶすと身体中を燻らせながら息を切らし俺の言葉に応じる。
「そうだんべぇ〜…」
一言呟いてビズルは荒い息をしながら両手を大きく広げた。
「オラ、馬鹿だから難しい事は…、よく分かんねえ…。だども、目も良いし体は丈夫…だんべよ」
「何を言って…」
「間違い…ねえ、軽銀サァ…出来る…。だども…作り方ァ…思いついた…ゴンロンが死んじまっちゃあ…なんねえ…。お前サ…オラたちが知らなかった鍛治の技術サ、よう知っとる…。そんなお前サは、きっとこれからも良いモンを…打ち続けていけるべさ。軽くて錆びなくて…銀と同じ性質を持つ軽銀だけんど…柔らか過ぎんのが欠点だァ…。いつかそれを…魔法銀みてえな硬い金属に…してくれるんじゃねえか…そんな夢みてえな事…考えちまう」
「ビ、ビズル…」
「夢だァ…オラの…、良いモン…作りてえ…。魔力の無いオラの…たったひとつの夢だァ…」
途切れ途切れ、荒い息、絞り出すように告げられる相棒の言葉。しかし、それにも終わりが来る。
「ああ…雷が…来るだよ…、お別れ…だべ。だども、オラの命にかけてでも…お前を死なせたり…しねえだよ…」
どかーん!!!!!!!!!
再び辺りが真っ白になる、さっきの雷の時よりひどい。しばらくは俺の目も眩み何も見えなくなった。だが、先程のように俺の身体が焼きただれたり痛みを感じる事はなかった。そんな雷鳴の音が何度も続く、しかし俺の身体には毛筋ほどの傷がつく事も無くただ激しい音が鳴るたびに腹の底を揺さぶるような衝撃とまぶしさに目の前が真っ白になる事わ、繰り返したのだった。
しばらくすると激しい雨が降り出し俺を、そして辺りを濡らしていく。冷えな…、そんな事を思っていたらいつの間にか雨は止んでいた。雷の音ももう聞こえない。
ようやく目が眩んでいたのも収まり視界が戻ってくる…。
そして一番に目に飛び込んできたのは最後に見た時とまったく同じ、両手を広げ俺を守る為に仁王立ちしている…相棒の後ろ姿だった。