第466話 それは、軽銀
「ぼ、坊やッ!!こ、これをどこで手に入れたのだ!?」
馬力があり、なおかつ体格の良い力士のがぶり寄りを食らったらきっとこんな感じなのだろうか…凄まじい勢いで詰め寄ってくるガントンさんに対し僕はそんな事を考えていた。
「こ、これって…、その一円だ…い、いや硬貨の事ですか?」
「そうじゃッ!!この硬貨をどこで手に入れたのかと聞いておるんじゃ!?」
いつになく真剣な表情でガントンさんは問いかけ…いや、問い詰めてくるような勢いだ。
「え、ええと…、それは僕の故郷で使われている硬貨でして…」
「なんとッ!!こ、これを…つ、使って…つまり流通させておるじゃとォ!?」
なんだかガントンさんの様子がおかしい、先程まで『ああ〜、疲れた疲れた。さあ、メシと酒にするか』といったような仕事終わりの雰囲気だったのに今は一転、鬼気迫るといった言葉がしっくりくるような状況だ。
「どうしたんだべ?兄貴」
ゴントンさんがガントンさんに話しかける。
「どうしたもこうしたもないわい!これを見よ!」
弟の鼻先に突きつけるようにしてガントンさんは一円玉を見せた。
「んん、なんだべ…。む、むンおおおォォッ!!!?」
暢気な様子で一円玉を見たゴントンさんだが次の瞬間とんでもない声を上げた。
「け、け、け、軽銀じゃねえだべか!し、しかも表面に一切の曇りも見られねえ、なんて純度の高い軽銀なんだべ!?」
「分かるか、ゴントンよ。だが、驚くのも無理はない。これはまさに銀のような白き輝き。さりながら銀と比べてとても軽い。まさに軽銀よ」
確かアルミの事を軽銀と言うのは知っているけど…、二人のこの反応は…。思わず僕はガントンさんが握る一円玉を見つめた。
一円アルミニウム貨…。純アルミニウムで出来た直径2センチ、重さ1グラムほどの小さな貨幣だ。その価値は一円、日本では一番価値の小さな貨幣である。
「土塊が固まったような石ころと大して変わらぬ見た目の原石…、それを我らドワーフ族中興の祖であるゴンロンの手により手に入ったという一塊の軽銀…。その命と引き換えにな…」
えっ?命と引き換えに?何があった、そのゴンロンさんていう人に?
「のう、坊や。この軽銀を使うたこの貨幣…、これはいかなる時に用いるのじゃ?いかほどの価値を持っておるのじゃ?」
「えっ?えっ?」
グイグイと詰め寄ってくるガントンさんに僕は戸惑う。そんな僕を見てガントンさんは焦ったいとばかりに言葉を続けた。
「ええい、色々と例え様はあるじゃろうがッ!あー、例えばワシらは使わんが王や大貴族間の贈答にのみ使われるとか、大取引で使う時にでもなければお目にかかれぬとか…。それとも…そうじゃな、白金貨にして何枚とか紅石や蒼石がどのくらい買えるとか…。のう、教えてくれ!坊やッ、おぬしの故郷で使われるというこの軽銀の貨幣、一体いかほどの価値になるのじゃッ!!」
「か、価値ですか!?…え、ええと…」
どうしよう、これ一円玉だぞ!?例えばこの異世界において卑しい硬貨、貧民の硬貨なんて言われる青銅貨だって日本円にしたら十円になっちゃうんだ。その青銅貨と両替したらこの一円玉が十枚になります…なんて言えないよ。とてもそんな雰囲気じゃない。そもそも一円玉が一枚じゃあ他の硬貨と替える事なんて出来ないんだし…。
「んっ!?」
両替できない…、そうだ!これを理由に話を作れば…。
「え、えっとですね、ガントンさん!この軽銀の硬貨は僕の生まれ故郷では『他に替えのきかない硬貨』として扱われています!」
「替えが…きかぬ…とな?」
ピクリ…、片眉をわずかに反応させガントンさんが話を聞く体勢に入った。
「はい、この軽銀の硬貨は他の硬貨と両替する事が出来ません」
「じゃ、じゃあ替えがきかないような硬貨、何に使うんだべ?替えがきかないなら仮に売買に使用しようにもお釣りの額を出しようがないべ!」
ああ、確かに。そもそも一円玉を全部使って買い物が出来るとしたらお釣りは出ないだろうし…。さて、なんて言うか、…そうだ!
「この軽銀の硬貨はですね、他に替えがきかない。しかし商人が常に初心を忘れないように持っている物なんです」
「初心…じゃと?」
真意が分かりかねるといった感じの声をガントンさんが洩らした。詰め寄るような勢いがなくなったように思えた僕はここでたたみかける事にした。
「たった一枚の青銅貨(日本円に換算して十円相当)も、いかに多くの白金貨(日本円に換算して一枚で百万円相当)を前にしてもどちらを蔑み、どちらを尊ぶという事がなきようにと…。お金はその一枚一枚、全てが宝物であるという教訓を示してくれるのです」
一円を笑う者は一円に泣くって言うし…。
「軽銀の硬貨は他と替えようのない固有の価値がある物です。だけど金貨(日本で十万円と替えてくれるという意味で)や銀貨(日本で一万円と替えてくれるという意味で)に替えられる物ではありません」
「ふむう…、価値がとても付けられぬという事か…」
おや?なんかガントンさんが勝手に理解してくれようとしているぞ。これはこの波に乗って…。
「まるで敬虔な神のしもべの信仰心のようではないか。金には代えられぬ、されど彼らには最も価値のあるものじゃ」
「んだ!俺たちドワーフ族からしたら酒ッコへの強い思いみたいなモンだべ!」
ドワーフの兄弟が深く頷きながら言った。お酒への情熱か…、確かにドワーフの皆さんのお酒への情熱は凄まじいものがある。
「師匠、そこは酒ではなく鍛治技術向上への強い思いと言ってもらいたいものですねェ…」
「違いないでやんす!」
「「「「わははははっ!!」」」」
ドワーフの皆さんが頷きながら笑い合っている。そしてひとしきり笑った後にガントンさんが一円玉を僕に手渡しながら言った。
「ようく分かったわい、とても他とは替えがきかぬ大切な物であるという事がな。されど、一つ疑問に思う事もあるのじゃ」
「疑問…ですか?それは一体…?」
「硬貨については分かった。されど、これだけの精錬技術じゃ。硬貨以外にもこの軽銀の使い道はあるのではないか?ワシはどうにもそれが気になってのう」
「使い道ですか、えっと…」
ガントンさんの言葉に僕はアルミの使い道を思い出そうとした。アルミは非常に用途の広い金属だ、色々な所でお目にかかる。
「そうですね、例えば缶とか…」
僕は手近なところで缶ジュースや缶ビールの事を思い出したので何の気なしに缶という単語を口にした。
「かん?なんじゃ、それは?」
いかにも耳慣れないといった感じでガントンさんが首を傾げた。ゴントンさんや他のみなさんもまた同様だ。あ、なるほど。この異世界には缶詰とか無いもんなあ、初めて耳にする単語だろう。
「えっと…、とても小さな樽とでも言いましょうか…片手で掴めるくらいの…。酒や果実水を保存していつでも新鮮な状態で飲めるようにと…」
「さ、さ、さ、酒じゃとおッ!!」
がばっ!!
ガントンさんが再びのがぶり寄り、僕は土俵際…いやマオンさん宅の敷地の境まで一気に押し出される。ついに隣家との区切りになる板塀まで押し切られた、壁ドンならぬ板塀ドン状態だ。
その後ろにはゴントンさんたちも続いている、これじゃまるでガントンさんのがぶり寄りというよりドワーフ族のスクラムだ。
「ぼ、ぼ、坊やッ!き、希少で貴重な軽銀を樽にしてまで保存しようとする酒とはなんじゃ!?さぞや貴重な美酒であろう!ど、どうなんじゃあっ!?」
凄い迫力!軽銀、そしてそれに入った酒と聞いてガントンさんは辛抱たまらなくなったのだろう。その鼻息は荒い。
「そ、そうですね。ビールという酒が入っていたりするんですが…」
「ビール!?なんじゃ、それは!?」
「エールと似たような感じですかね。麦と毬花というもので作った酒で…」
「ほっふ?」
「麦の風味に苦味や香り、泡を加えると聞いた事があります」
「香り…か。貴重な軽銀の樽に入っておる酒じゃ、そこらのエールのように…よもや薬草くさい…なんて事はあるまいの?」
「あ、それは大丈夫ですよ。そういったにおいではありません」
僕は以前、この町のエールを試しに飲んでみた事がある。泡がたまにポコ…ポコ…と立ち、なにやらドクダミのような強いにおいもしていた。おそらくは腐敗対策、保存の為に薬草を材料に加えているのだろうが確かに慣れないとアレはキツいだろうなあ。
「ぼ、ぼ、坊や、飲ませてくれ!その軽銀の樽に入っているという酒をォォッ!!」
次の瞬間、腹の底から…そして喉の奥から血が滲んでいそうな凄まじい声でガントンさんが叫んでいた。
次回は閑話。
今回の話に登場したドワーフ族、鍛治技術における中興の祖ゴンロンのお話です。