第462話 これぞ、直球メシ(3) 〜 奥さん、パン屋です 〜
「現世神様…」
「えっ?ヴァティ…さん?」
朝の冒険者ギルド、そこに現れたのは蛇神ヴァシュヌを祀る神殿に勤める巫女のヴァティさんであった。
「はい…」
ヴァティさんはエルフであるシルフィさんと同じくらい透き通るような白い肌の持ち主だ。そしてその肌と同じか、あるいは独特の光沢がある分より白さ際立つ長い髪…。そういえば彼女はいわゆるアルビノだと聞いた事がある、身にまとう雰囲気も相まって神秘的にさえ思える。
その彼女が白一色に思える自身の肉体の中で唯一の例外、紅い色をした両の瞳でこちらをまっすぐにに見つめながら言葉を続けた。
「本日は現世神様にお願いの儀があって参りました」
「僕に…?」
「はい…、これを…」
そう言うとヴァティさんは布に包まれた物を取り出した。その包みを開けると中には2個入りの卵のパック、もっとも一つは僕が昨日の夕方に卵かけご飯にして食べたから残っているのは一個だけになるが…。
「あっ、昨日の…」
「ああ、私が持って行ったんだ」
ヴァティさんの後ろにいたのであろう、ソリィさんが進み出てきた。聞けばあの後、ソリィさんは卵を持って神殿に向かったらしい。そして同族であるヴァティさんに僕が生で卵を食べていた事を伝えた、そして同時に本当に生食が可能なのか…それを確かめてもらおうとしたのだという。
「我が神、ヴァシュヌ神にお伺いを立てたところこの卵は生食が可能との事でした」
ヴァティさんによれば彼女は信仰するヴァシュヌ神に『はい』か『いいえ』で答えられるような質問をする魔法が使えるという。ただしヴァシュヌ神から必ず回答がらあるとは限らないし、コインを投げて表が出るか裏が出るか…といった偶然性によって結果が変わるような不確実性のある事柄はそもそもお伺いしても当たるとは限らないらしい。
「以前にもお話したかと思いますが私たち蛇獣人族の民は卵をたいへん好みます。ですが、卵は滋養があるものの生で食べては腹をこわす事…子供にさえよく知られている事です」
さもありなん、卵は確かに栄養豊富だ。しかし、その栄養の豊富さは雑菌や病原菌についても同じ事が言える。衛生管理が行き届いていない所で産まれた卵、当然卵には様々な菌が付着している。その付着した菌が卵の中身に到達していたら…、栄養豊富なその場所は菌にとっても繁殖するのに非常に都合の良い場所になる。
「その為、よく火を通す必要があります。しかし、現世神様の卵は生食が可能。聞けば昨日、その生の卵をとても美味しそうに食べておられたとか…。しかも、非常になめらかな口当たりやまろやかな味わいがあるとも言っておられたと…」
ここで彼女は一呼吸ついた、次の言葉の為に息を整えているようだ。
「現世神様、私たち蛇獣人族にその生でも食べられる卵をお譲りいただけませんでしょうか?」
「あ、はい。売るというのは別に構いませんが…」
「ありがとうございます。そして、もうひとつ…」
「もうひとつ?」
売る以外に何かあるのかな?
「いかに卵が好きな私たち蛇獣人族といえども生食にはやはり抵抗があります。特に年配の者であればあるほど…、この卵は安全だとしても…。それでは現世神様がおっしゃられた生の卵独特のまろやかさやなめらかな口当たりを体感出来ません。そこで現世神様には販売と同時に彼らにもそれを味わってもらえるように何か工夫もしていただければ…」
うーむ、工夫か…。
「分かりました、何か良い手があるかどうか考えてみます」
僕はこの話を受ける方向でいくと伝えた、その為にはどうするか…。カウンターで冒険者ギルドへの正式な指名依頼の手続きをしているヴァティさんとその案内をしているシルフィさんを見ながら僕は頭を巡らせる。
「要は火がしっかり通っているか…、だけど卵かけご飯はその対極だ。生で食べる訳なんだし…」
そう言えばこの異世界でいわゆる庶民が卵を口にする時はもっぱら茹で卵って聞いた事があったなあ。いわゆる固茹で卵にして…。僕だったら半熟の温泉卵見たいなのが好みだけど…。
「ん、待てよ?」
僕はひとつ思いついた。
「別にいきなり無理して生卵を食べなくても良いんじゃないか?怖いと思う人はやっぱり怖いと思うだろうし…。それなら最初は固いのを食べ、だんだんと火の通りを少なくしていけば…」
そうすればいずれ生に近い状態の物を食べる人が増えてくるかも知れないし、こう言っちゃナンだけどそれを見て生でも大丈夫じゃないかと考える人が出てくるかも知れない。
そう考えた僕は必要になりそうな材料を考えていく。当然ながら卵、あとは食パンと…やるべき事は買い物だ。今夜、買い揃えれば明日の夕食に提供できるだろう。
そう考えたところで丁度ヴァティさんは依頼の手続きを完了したようだ。そこで早速ですが卵料理の提供を明日の夕食の時間ではどうかと尋ねると承諾を得た。それならあとは動くだけ…、スーパー行脚の始まりだ。
……………。
………。
…。
翌日の夕方…。
僕は幸運を司るとされる蛇神ヴァシュヌを祀るという神殿前にやってきた。ナジナさんとウォズマさんの凄腕戦士二人が僕の脇を固め、さらにラメンマさんにテリーマさん、ロビンマさんの犬獣人族の狩猟士三人が周囲を警戒している。この五人が今日の護衛兼販売における宣伝役である。
「ようこそお越し下さいました、現世神様…」
蛇獣人族の巫女ヴァティさんが僕を出迎えた。その後ろには数十人の蛇獣人族の人々がいる。新鮮な卵を食べられると聞いて集まってきたのだろう。
「こちらこそ今回のお話をいただきましてありがとうございます。皆様お集まりのようですし早速販売の準備をしますね」
そう言って引いてきた屋台を展開していく。
「お、おい、兄ちゃん。鍋とか釜がねえぞ?どうやって煮炊きするんだ?」
不安そうにナジナさんが尋ねてくるが無理もない。この屋台で今まではカレーを作る時の調理台としてきたのがほとんどだ。当然だがその時は米を炊く釜にカレーを煮る鍋を持って来ていた。
「大丈夫ですよ、ナジナさん。今日は鍋や釜が要らないんです」
「な、なにィ!?」
ナジナさんが驚きの声を上げるのを僕は軽く手を前に出して制すると同時に屋台のカウンター部分を手で示した。
「この板が一枚あれば…ね。さあ、始めるザマスよ!ホムラ、ここを熱して」
コンコンと棚板を軽く叩きながら僕はナジナさんに応じた。同時に火精霊抜きホムラにも声をかけた。
「さて…」
準備はこれだけで良い、僕は辺りの様子を見た。ずらっと蛇獣人族の皆さんが僕の一挙手一投足を固唾を飲んで見守っている。前列に詰めかけているのは…日本で言うならば主婦といった感じの女性たちだ、もっとも専業主婦ではなく働いている人がほとんどだろう。僕が辻売の要領で販売をしていくとなるとまずはこの前列にいる妙齢の女性たちの気を引いていかなきゃ…。
そうなると…どう切り出していくか…。よし、あれでいくか…、僕は思い立つと屋台の前に出た。そして奥様方に話しかける。
「奥さん、パン屋てす」