第439話 物足りぬ鋼
翌朝…。
ステンレス鋼の成分を書いた調合表を元にガントンさんをはじめとしたドワーフの一団が材料を整理し準備している。工芸や土木建築、そして鍛治にも高い技術を有するドワーフ族、ニッケルやクロムなど鉄以外の鉱物についても持ち歩いていた。
「どんな鉱石もいついかなる時に何かの役に立つかも知れぬと思っていたが、本当に役立つ時が来るとは…。嬉しい誤算じゃわい」
昨夜しこたまに酒を飲み満足していたガントンさん…、今日もまたご機嫌だ。やる気に満ち溢れている。
「さて…。ではホムラにセラよ、力を貸してくれ。鍛治にはおぬしらの力が必要じゃ」
心得たとばかりにホムラとセラがガントンさんに胸をドンと叩いて応じた。
僕の持ち込んだレシピ通りの材料を揃えステンレス鋼…いや、この異世界では『魔鉄』の生産をいよいよ開始しようと意気込むガントンさんたち。さすがに長時間ぶっ続けでは集中力がもたない為、ガントンさんゴントンさん二人の棟梁をリーダーに二つのチームに分かれ片方は作業をしてもう片方は休むというような段取りを組んだようだ。
「まずは試しに小さなインゴットを作ってみるぞい!まずは調合表の有用性の確認じゃ!」
ガントンさんが全員に声をかけるとみんなが『応!』と意気込んだ。
「見ての通りだべ、坊や。新しいモンを作れる…こんな嬉しい事はねえだ!ましてそれが魔鉄となれば…、良いのをこさえて見せるだよ」
ゴントンさんが腕に力こぶを作って見せながら僕に声をかけてくる。
「はい、みなさん頑張って下さいね。僕はこれから商売があるので同席出来ませんが…」
「いや、あの調合表だけで十分じゃ。後はワシらの出番じゃわい、ドワーフの鍛治技術…しかと見せてやる。ところで坊やは今日一日ずっと出歩くと言っておったの。ギルドで朝食を売った後、どこに行くんじゃ?」
「はい、まずはゴロナーゴさんの所へ」
「おう、義兄弟のトコだべか!?」
「ええ。あの夜会の後、しばらく身を隠していましたからね。その間、猫獣人族の皆さんの所には魚を売りに行けませんでしたから…。それから他の顔を出せなかった所にも戻ってきた挨拶に行こうかと思います」
「そうか、ならワシらからもよろしく言っていたとゴロナーゴに伝えておいてくれ。しばらくは共に飲むのも出来そうにないからの」
「分かりました。では、行ってきますね」
そう言って僕は猫獣人族の皆さんが住む地域へと向かったのだった。
□
ミーンの町を一日中行脚して夕方近くになってマオンさん宅に戻った。
「ありがたい事だなあ」
今日一日あった事を思い出しながら僕は呟いた。それというのもどこに行っても歓迎されたからだ。僕が町から姿を消し何かと寂しかったとか不便だったとの声を聞くたびに必要とされる喜びを感じたものだ。
その必要とされた一日の始まり、朝のギルドではマオンさんにあらかじめ焼いておいてもらったパンとクリームシチューを提供した。こちらもカレーと並び人気メニューだ、特にエルフの皆さんや女性冒険者にウケが良い。ちなみに明朝はハヤシライスの予定、その次は意外な事にまだ提供した事がなかったハッシュドビーフである。味こそ違えど作り方はほとんど同じ、楽な事この上ない。
続いては猫獣人族のゴロナーゴさんの元へ、いつも通りの魚の干物の販売会だ。久々の魚の販売に猫獣人族の奥様方はみんなこぞって買いに来てくれた、なんなら次の開催について聞いてくる人もいた。
「いつやるの?」
そう言われては僕も応じざるを得ない。
「今でsy…」
ドヤ顔をキメながら両手を広げるポーズをしかかるがグッと堪える。
「ち、近いうちに、必ず!お知らせはしますんで!」
モネ様の傅育や魔鉄の生産があるから時間的にすぐにとはいかないかもしれない。そこで僕はとりあえずそう答えておいた。
他にも犬獣人族の皆さんが多く住む地域や孤児院、ノームのお爺さんの店やヒョイさんの社交場にも顔を出した。特にヒョイさんにはナタダ子爵家の夜会では何がと力や知恵を借りた、そのお礼も兼ねてラ・フォンティーヌ様が絶賛したお高めのロゼワインこと銘酒ならぬ銘葡萄酒の水精錬を持って町に戻ってきた挨拶に行った。同時にお金を町に落とすという意味でも…。
なぜなら僕は普段から稼がせてもらっている訳だしちょっとお返しがてら社交場を貸し切りで昼食をいただく事にしたのだたった。同席する顔ぶれはヒョイさんは言うに及ばずミミさんをはじめとして兎獣人族の皆さんや歌姫のメルジーナさんなど関係者総出の昼食をいただいてきた次第である。支払いは日本円に換算すると三百万円を超えちゃうような額となったが受けた恩とか儲けを考えたらまったくもって許容範囲も良いところ、町にお金を回す意味でも…と派手にいった。そう言えばお土産のワインはヒョイさんもたいへん喜んでくれていたんだけど意外や意外、歌姫メルジーナさんにも凄く喜んでもらえたようで…。
「わたくし…、だんな様お一人のお耳にだけに届く恋唄をお聞かせしたいですわ…」
少し早めのペースで飲んでいた彼女は酔いが回ったのか僕の隣で甘えるように、それでいて情熱的にささやく。
もしもこの時、シャツの胸ポケット内にいたカグヤが僕の胸をつねらなかったら…。
「陥落してたかも知れないなあ…」
社交場を後にしての帰り道、僕はそんな風につぶやいていた。僕の方も多少酔っていたのか少し浮わついた気持ちだったのかも知れない。だが、マオンさんの家が近づいてきたので僕は表情を引き締めた。
そう、そこは戦いの舞台。
ガントンさんたちが必死に魔鉄を作ろうとして格闘している場所なんだから…。
□
マオンさん宅に戻ると魔鉄の試作は終わっていた、まずは調合表を確かめるべく手の平に乗る程度の大きさの魔鉄の塊を試作してみたという。見れば真新しい直方体の塊があった。
「わあ!もう出来ていたんですね、それにしても綺麗だ。この表面の滑らかさ…、まるで鏡のようだ!…って、あれ?」
僕は上手く行ったように思えたので明るい声を出したのだが、一方のガントンさんたちの表情は冴えない。パッと見た限りでは綺麗な出来なのに…。しかし当のガントンさんたちにしてみればどうやらご不満のようだ。
「もしかして…、魔鉄の調合表…間違ってました?」
僕は恐る恐る聞いた。
「そっだら事はねえだ!試してもみたが確かにコレは錆びねえ鋼、魔鉄に他ならねえだよ!」
ゴントンさんは力強くそう言った。だがやはり彼らの表情は冴えないのだ。
「じゃ、じゃあ…、どうして皆さんは難しい顔をしているんです?」
僕の問いにガントンさんが応じた。
「聞いていた話と違うのじゃ、鋼より遥かに優れるという魔鉄…。それがこの程度とはワシには思えぬ」
それと言うのもこの魔鉄、思ったほど出来が良くないだと言う。
「いや…、それでも普段ワシらが作っていた鋼より上質な地金ではあるのは間違いないのじゃがな…。鋼より上質な地金、錆びや摩耗にも強く耐久性は間違いなくこちらの方が上じゃ。さらには精錬する際にワシらの魂を…、魔力もこめられておる…。それがこの程度の出来であるとは…、ワシらの力不足じゃわい」
ガントンさんは悔しそうにそう言った。
「え?で、でも…調合表に間違いは無かったんですよね?」
「うむ、その通りじゃ」
「じゃ、じゃあ…なんでろう…?」
何が原因なんだ?僕はガントンさんたちから金属を精錬する際の時の情報を集める。しかし、その内容は事前に聞いていた通りだった。
「ううん…、なんだろう。分からないや…。…そうだ、ガントンさん。素人の僕と違って皆さんは鍛治の経験が豊富です、だからなんて言うのかな…。長年のカンと言うか…、そういったもので原因…みたいなものを思いついたりは…」
「強いて言えば…、というくらいの話なのじゃが…」
ガントンさんがポツリと呟いた。
「鋼の方に問題があるような気がするのじゃ。銀白石や悪魔の銅…ニッケルじゃったか、アレに問題は無いように思う。事実、地金には魔力も宿り強靭にはなっておる…」
「あ、それはオデも感じただよ。なんちゅーか、鋼が混ぜた金属についてきてないトコ言うか…精錬が足りねえと言うか…」
「精錬が…、足りない?」
「おう、確かにそうと言えるかも知れんな、ゴントンよ。そうじゃ、鋼じゃ。鋼の方がまだまだと言うべきか…、だが鉄を溶かし出し鋼に加工する…、それはワシらが子供の頃からずっとやってきた事じゃ…。しかも、ここのところは石炭ではなくホムラの力によって鉄を得ているのじゃ。これ以上の事は…」
ガントンさんの語尾がだんだんと元気を無くしていく。鋼が物足りない…ガントンさんたちはそう感じているらしい。鋼の方に問題か…、だけどそれはどうにかなる問題だろうか…?ヨーロッパなんかの聖剣とかって神とか精霊、妖精が打ったっていうのが定番だよなあ。そう考えればドワーフ族は大地の妖精でもある、まさにファンタジー世界そのものだ。
一方で日本だったら名刀だ、それは正宗とか虎徹とか有名な刀鍛冶の作であるのがほとんどだ。神だの妖精だのと言わない、人間の手によるもの…。
「ん?待てよ…」
僕は一つの可能性を思いついた、日本だったら名刀は人の手で作られる…。異世界と違って魔法も無い、地下資源も少ない日本という国での鍛治について…。物作りが好きな僕は動画でそんな場面を見た記憶があった。
それを実現する為には…、そう考えた僕は一人の犬獣人族の人物とのやりとりした事を思い出していた。
「上手く行くかは分からない、だけどやってみる価値はあるんじゃないか…?」
あくまでこれは一つの可能性…、だけどやる価値はあるように思える。
「ガントンさん、森に行きましょう」
「なに?どういう事じゃい?鍛治をするんじゃぞ、設備も何もない森に行ってどうするつもりじゃ?」
「思いついたんです、皆さんが原因と考えている鋼…。いや、まずは鉄ですか。納得いく鉄を手に入れる方法を…、もっとも僕は素人ですから上手く行くとは限りませんけど…」
「いや、そうは思わん。確かに坊やは鉄を打つ事は出来んかも知れん。じゃが、その知識には計り知れぬ価値がある。教えを乞うのはこちらの方じゃ、遠慮なく言うてくれ」
「分かりました。では冒険者ギルドか…、あるいは犬獣人族の集落に行きましょう。もうすぐ夕刻、僕の求める人物はきっとそこにいるはずです」
「ギルド?集落?そこに行ってどうするつもりじゃ?」
「道案内を頼むんです、ニモジェーロさんに急ぎの案内を。ガントンさんたちには用意して欲しい物があります」
「ふむう…、良くは分からんが分かった、ついて行くぞい!皆、支度せい!」
号令一下、ガントンさんたちが準備にかかった。
次回予告。
『玉鋼』
お楽しみに。