第43話 未知と出会う宴会(7) 光の精霊、君の名は?
「この水果を食べてみたかったから…?」
「ええ…」
僕の問いかけにシルフィさんがうなずきながら応じる。なんてこったい、信じられない。年に一、二回しか目撃事例のない精霊がこんな簡単にひょいっと現れて、しかも特別高価な訳でもない缶詰のフルーツに興味を示すなんて…。
「しかも、少しの精神力負担で済む球体での具現ではなく、多くの精神力を要する人型の状態で現れている。これは本来の召喚魔法で行うとすれば、かなりの労力を伴うでしょう。しかし、彼女が姿を現してから私の精神力の負担は無くなりました。これは彼女を召喚によって呼び力を行使してもらうのではなく、彼女が望んでこの場に現れている事を示しています。ゲンタさん、彼女はあなたと接したいと思っている証拠です」
普段冷静なシルフィさんが驚いたようにも、少し興奮しているともつかない口調で話している。あるいはその両方か、その様子からとても珍しい事が起こっているのだけは理解できた。
一方で、不思議な感触の寒天に興味は示したが味が無い為にあまり気に入らなかったようだが、缶詰に果物と共に入っている蜜は気に入ったようで先割れスプーンで掬ってやると、光精霊の彼女は喜んで口を付ける。ここだけは非常にのどかと言うか、ゆったりとした時間が流れている。
光の精霊の名の如く光り輝く太陽のような、あるいは向日葵のような無邪気な『にぱーっ』とした笑顔を浮かべ、彼女は終始上機嫌であった。
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「ところで…、ゲンタさん。彼女はあなたと一緒にいたいと思っているようです」
一通りフルーツ缶詰の中身を食べ、可愛らしい姿ながらお腹をパンパンに膨らませ大満足といった様子の精霊。しかし、口元や手のひらが蜜でベタベタになっていたのでウェットティッシュや紙ナプキンでグシグシと拭きとっていた時にシルフィさんからそんか声がかかった。
「えっ?僕と…ですか?」
うーん、それは困る事もあるかも知れない。僕は日本とここミーンの町との二重生活な訳だし…。まさか日本に連れ帰って何かの拍子に姿が現れてしまったら大パニックになってしまう。
僕が不安な顔をしていたからだろうか、シルフィさんが僕の近くに来て精霊について教えてくれる。整った容姿に眼鏡をかけ、知性を醸し出すような穏やかな声の彼女はまさに憧れの優しく教えてくれるお姉さんといったような表現がピッタリで、恋愛経験の少ない男子中学生くらいなら一撃で陥落してしまうだろう。
もちろん僕とて似たような物だが、思春期入りたての十代前半とは守備力が違う。そんな簡単には陥落はしない、…と思う。…いや、思いたい。
「ゲンタさん、安心して下さい。一緒にいると言っても朝から晩まで…それこそ一日中一緒にいるという訳ではありません。精霊は本来自由な存在です。気が向けば現れ、そして姿を消します。姿を消すと言っても決して遠くに行ってしまう訳ではありません。あなたの近く…、心の声が届くくらいの場所で自由に過ごし、呼びかけがあればきっと来てくれるでしょう」
そうなんですね、と相槌を打ちながら僕はシルフィさんのコップにワインのおかわりを注いだ。
ワイングラスが用意出来なかったのが残念だが、ここ異世界ではガラスというものはなかなかに高級品らしい。確かに何回か見た程度だが、この世界の人々が使っている飲み物用の容器は木製であるのがほとんどだ。ガラス製品を製造するのに技術もいるだろうし、何より落としたら割れてしまう。
その意味では落としてもガラスより圧倒的に割れにくい木製品は食器としてうってつけなのかも知れない。ガラス製だけに限らず、陶器や磁器などの食器にも需要があるかも知れない。パン以外にも売れる物があるのならば、お金を稼ぐ手段が増えるかも知れない。アルバイトは出来なくなってしまったが、他に収入を得るあてが出来るならとてもありがたい、そんな事を頭の片隅に思いつつシルフィさんの話に耳を傾けた。
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注がれた甘いロゼワイン、僕の間近、それを飲むシルフィさんはやはり綺麗で僕はぼーっと見惚れそうになっていると、『ぺたぺた』と僕の顔を色々と触る者がいる。
触られた方に目を向けると、すぐ間近に光精霊の少女がいた。浮かび上がりながら僕から少し離れ、ふわりふわりと踊るように宙を舞う彼女を僕は座ったまま見上げるような形になる。黒い夜空をバックにいくつも星と綺麗な三日月がある。この世界にも月や星はあるんだ…。
「名前をつけてあげて下さい」
と、シルフィさんの声。
「名前…、ですか?」
「はい。彼女はゲンタさんをとても気に入っています。ゲンタさんがお嫌でなければ名前をつけてあげて下さい。彼女がそれを受け入れれば、ゲンタさんと共にいてくれる事でしょう」
「え?でも、僕は魔法とか知らないですよ。いくら彼女が望んでいても彼女にあげる魔力とか精神力が無いと、姿が保てないとか疲労とかしてしまったりとか…」
そう、魔力や精神力といった物。試した訳ではないが僕は魔法が使えない。彼女が一緒にいたいと思ってくれるのは嬉しいが、その彼女の存在する為の対価…最初にシルフィさんが魔法で召喚した時は精神力と言っていた。でも、僕には魔法を行使する為の魔力はない。
と、なれば彼女に必要な精神力を供給する事も満足にできないだろうし、人型で存在するだけでもより多くの精神力が本来必要な訳だから彼女だけに負担を強いてしまうのではなかろうか?
言葉を悪く言えば、対価も払わずにタダ働きをさせるような…、そんな風にも思えてくる。
「対価とは、何も魔法を介した精神力だけとは限りません」
僕の疑問や懸念に対しシルフィさんが回答える。
「人族においても同じ事が言えます。何かの作業を手伝ってもらうとして、その報酬や謝礼が金銭の場合もあるでしょうし、物や食事を提供する事かも知れません。その作業が軽いものだったり、頼む人と頼まれる人の関係によっては対価が発生しない場合もあります」
確かにそうだ。仮に親にポストから新聞取ってきてと頼まれたとして、いちいちお駄賃を請求したりしないもんな。
「ですから、あまり深く考えなくても大丈夫ですよ。何より精霊は自由な存在です。嫌だと思ったらまた何処かに旅だっていきます。また元の気ままに過ごす日常へ」
それはそれで何か寂しいような気もするけど…、まあとにかく名前を…。そもそも名前が気に入らないって場合もあるもんな。僕は異世界人なんだし、言葉のセンスがこの世界から見てダメダメな事もあり得る。
良い名前だと思ってつけてみたら、この世界では噴飯もののおかしな名前の可能性だってあるのだ。実際に僕はこの世界の言葉の成り立ちとかは知らないし。まずは考えてみよう。
夜空と月や星をバックに浮遊する彼女。
そういえば…丁度一年前に入学し、とあるサークルに入った僕はそこでお花見をしながらの新入生歓迎会に参加した。とある緑地の桜の木が植えてある広場のような場所があり、宵の口くらいの時間から夜桜見物といったような感じで行われたそれは雲も少ない非常に良い夜だった。
見上げた時に辺りを照らす街灯と、さらにその上からの月明かりに浮かぶ夜桜が非常に印象的だったのを思い出す。
月夜に…、桜が咲いていて…。
今は…月はあるから…、じゃあ彼女は花のような感じで…。桜咲く…夜…、うーん。
「…サクヤ、でどうかな?」
僕は見上げた先にいる精霊に問いかけた。
それを聞いた彼女は僕の周りを飛び回る。
「気に入ったようですよ」
シルフィさんが状況を説明してくれた。
「それは良かったです。よろしくね、サクヤ」
飛び回る彼女にそう声をかけると、彼女は僕の肩や頭にくっつきたがるようで肩に乗ったり頭に乗ったり…。なんだか落ち着かないので、乗る時は肩の上にねと声を掛け、くっつく時の居場所に関しては約束事にした。
「難しい話は終わったかい?」
空気を読む良い男、ナジナさんから声がかかる。
「いや、ダンナ。そんな難しい話ではなかったぜ」
マニィさんがそう返す。説明とか決め事を話してたんだから難しい話だろと冗談混じりにナジナさんは返しながら、
「また新しく飛び入りで参加者が増えたからな…。へへっ、もう一回。サクヤに乾杯だ」
そう言って僕らは今日何回目かの乾杯をしたのだった。




