第424話 閑話 ウォズマの長剣
己が愛剣の真の姿…一振りだった剣が二つに分かれ厚さ半分の寸分違わぬ一対の剣となる度にウォズマは自らの過去を思い出す。
貴公子然とした美丈夫の戦士…、町中ですれ違えば女なら十人に七人は振り返ると思われる姿。その剣の腕前や何事もそつなくこなす様子に人々は感嘆の声を上げると同時に『あの方は高貴な生まれ、どこかの貴族の御曹司なのでは…』、そんな根も葉も無い噂話をする者もいた。町娘が勝手に盛り上がる、無責任な話題の一つ…そんなものであった。
しかしながら実際に彼はとある子爵家の男子として生まれた。母は正室や側室といった正式な形で迎えられる妻ではなく平民、市井に住む町娘であった。
若かったウォズマの父である子爵も母も婚姻こそ出来なかったが真剣な恋をした、そしてウォズマが生まれた。貴族男性が庶民の娘と成した子…いわゆる庶子である。ウォズマは生まれて数年は町中で庶民の子として育った。しかしある時、流行病で母はあっけなく亡くなってしまう。その結果、ウォズマは実父である子爵家に引き取られた。
庶子であったウォズマだが、父をはじめ正室である義母にも、上に一人いた正室腹の兄からも温かく迎え入れられた。理不尽な扱いを受ける事もなく成長していった。ウォズマは利発な子であった。学問をすれば一を聞いて十を知る、剣を習えば歳上の子にもそうそう遅れを取る事はない。礼儀作法や歌舞音曲といった事にまで通じ、おまけに成長するにつれその整った容姿は注目を集める。文武両道、才色兼備、将来を嘱望される若者であった。
そんなウォズマである。成長するにつれ子爵家の跡目を継ぐべき兄からすれば目障りな存在になりそうなものだが、相変わらずその兄弟仲は良かった。兄もまた学問にも武芸にも通じた人物であった。優れた人物、しかしウォズマには一歩及ばない。それはなぜか、あまりにもウォズマが優秀過ぎたのだ。
自分は庶子であり弟である立場、その分を弁えていたウォズマは長じては子爵家に仕える騎士の一人として兄に仕えられたら…そんな風に考えるようになっていた。あるいは兄に万一の事があればそのスペアになる…そう考えていた。
そんなウォズマだったから子爵邸の中だけでなく、野山にも町中にもよく出かけて行った。貴族であれば戦となれば駆り出される、それゆえに野山で狩りなどもした。場合によっては野宿もした。戦は部屋の中でするものではない、晴れても雨でも野山でも時と場所を選ぶものではない。そんな有事に慣れる為でたる。
また、騎士ともなれば町中を回る事もある、それゆえに町に何があるのか見ておきたかった。そんな時、ウォズマは一人の女性と出会った。後に妻とするナタリア、二人はすぐに恋に落ち将来を誓い合う仲になった。
……………。
………。
…。
家族にも恵まれ、愛する人と出会ったウォズマは毎日が充実していた。しかし、その幸せに思わぬ暗雲が立ち込める。
優秀なウォズマであるが兄を蹴落とし自分が当主になろうというような考えは無かった。しかし、周りはそうとは限らない。なんとかウォズマを担ぎ出して当主に…、そしてそこに取り入ろうと考える者が出てくる。
また、運が悪い事に見目麗しく才知に長けたウォズマに目を付けた裕福な伯爵家の娘が接近を試みていた。ウォズマを担いで成り上がろうとする者たちはこれ幸いと伯爵家の者とつなぎをつけるようになる。
「これは良くない」
ウォズマはそんな不穏な気配を察するとすぐに行動に移した。自分がいるから跡目争い、あるいは不心得者が現れるのだ。自分にその気が無くとも兄が害せられるかも知れない、そうなると他に男子がいないこの子爵家は自分が後を継ぐ公算が高くなる。自分の意思とは関係ない所で悪意が蠢き、それによって大切な家族が不幸せになるのを避けたかったのだ。
また、自分を欲した伯爵令嬢にも良くない噂を耳にしていた。あまり行状の良い人物ではないらしいし、その父たる伯爵もまた野心的な人物であるらしい。娘を送り込んでいずれはこの子爵領を我が手に…そんな事が容易に予想できたのである。
「自分がいる事で家に波風が立つ…」
そう考えたウォズマは密かに家を出る事にした、しかしただ家を出るだけではない。わざと自分を担ぎ成り上がろうとする者たちに接近をする、父と兄を密かに幽閉し自分がそれに取って代わる…そんな計画をちらつかせたのである。
思いの外それが上手く行った。えてして謀をしようとする者は自分が他者を欺こうとする立場だから『俺たちの計画も知らないで…』とほくそ笑むものだ。ゆえに他人を陥れる事はあっても、まさか自分がそうされているとは夢にも思わないものだ。ウォズマはそんな不穏な輩にあえて接近、あぶり出し一ヶ所にまとめ父と兄に踏み込ませた。これを機会にとばかりに子爵家に潜んでいた内憂を取り除いたのだ。
そうしてウォズマはナタリアを連れ子爵領を後にした、汚れ役をかぶった上で…。そしていざ自領から出る…そんな両境の峠道で見知った顔と出会した。他でもない、実の兄に…。
「何も言わぬ。ただ、これだけは持って行け」
手渡されたのは今もその手にある一振りの長剣。
「こ、これは我が家に伝わる家宝の剣…」
柄の部分には大鷹が翼を広げた場面を正面から見た構図が意匠化されている、戦の際には旗印にもなる自家の紋章であった。
「当主か…、あるいは当主を継ぐ者しか知らぬ事だがその剣…」
兄が話し始めた。
「その紋章の部分には仕掛けがある、外せば厚みが半分となり二振りの剣となるのだ。当然それは対になっている、大鷹の翼と同じようにな…」
「し、しかし兄上…、これは当主だけが持つ事を許されし剣。オレが…、いえ私が持つべき物ではありません」
ウォズマは固辞した、しかし兄の言葉は続く。
「お前が持つのだ、弟よ。ましてやお前は両利き…、右手でも左手でもその剣を巧みに扱う事ができるだろう」
「だ、だからといって…」
「良い剣である程、本来それに相応しい主の手にあるべきものだ。そしてそれは人も同じ」
「…どういう事ですか、兄上?」
「俺はずっと思っていたよ。ウォズマ、お前にならば俺は仕えても良いと…。我らの長幼の順など領民には何の関係も無いからな」
「………」
「だが、お前が後を継ぐにしても件の伯爵令嬢はお前をなんとしても手に入れようとするだろう。ましてや後を継ぐとなれば…、令嬢だけではなく伯爵家を挙げて取り込みにくるのは明らか…。俺も…、そちらのナタリア嬢にも危険が迫るかも知れぬ」
仲の良い兄には思い人がいる事をすでに伝えていた、それゆえナタリアの名を覚えていてくれたのだろう。その兄が一振りの長剣を手渡してきた。ズシリ…、ウォズマの手にその重さが伝わってくる。剣自体の重さだけではない、子爵家の伝統…兄の心…それらが一緒になったかのようだ。
「それゆえ持って行くのだ、これからは自分も…家族も守らねばならぬのだぞ。お前ならばきっと役立てる事が出来る、その才知があれば…」
「…はい」
「行け、ウォズマ。ナタリア嬢…、いや義妹殿よ。ウォズマの事、よろしく頼む」
「は、はい!」
「兄上…、末永くお健やかに…。…別離にございます…」
「…うむ」
一礼しウォズマとナタリアは領地境を離れた。そこには一人、ウォズマの兄が残された。
「才ある鷹はこの地を離れゆく…か。いや、この領地ではウォズマの器量に見合わなかったのだ。これからは俺があの器量に迫らねばならぬ。他でもない、守るべき領民がいるのだからな」
遠ざかる二人を見送るとウォズマの兄は近くの木につないでいた馬に歩み寄った、ヒラリと騎乗し弟たちが向かった先に背を向けて馬を進ませた。
「幸あれ」
そう呟いてウォズマの兄は馬の歩みに任せ領内に戻っていく。そしてこういう時、馬は良いなと独言た。
「俺の思いはともかく、馬はこうして進んでくれるのだから…」
その胸に寂しさを抱えながら…。