第400話 母娘一対(おやこいっつい)の鏡
「まこと…、素晴らしい葡萄酒じゃ。これほど今日という日に彩りを添えるものはあるまいて…」
日本で買ってきたちょっとお高めのロゼワイン、お流れを横から盗み飲みしたセラがきっかけで水精霊と銘打たれる事となった。
「奥方様、これはあくまで渇いた喉を潤していただくためのもの…。改めて祝いの品を献上させていただきたく存じます」
「なに?祝いの品じゃと…」
「はい」
ガラガラガラ…。
木製の台車を押して再びコレットさんが現れる。襖より二回りくらい小さな大きさの板状の物だ。その正体を隠すように布をかけてある。
「なんだ、あれは?」
「布がかかっているな」
「あの布…、相当高価な品ではないか?黒い色でありながらあれだけの光沢…、ドレスにもそのまま十分に使えるのではないか?」
学校の音楽室にあるピアノを使用しない時にカバーとして上からかけているようなあの黒い布…、それを見てまたもや周囲が騒ついている。
「ヘッ、布だけは立派だがよォ?どーせ森で獲れた猪かなんかの塊肉かなんかじゃねーのかァ?」
場末の飲み屋でクダを巻く酔っ払いのようなヤジを言っているのはハンガスだ。それを無視して僕は奥方様に話しかけた。
「私が用意したのは…」
シルフィさんがサッと布を取り去った。
うおおおっ!!!
騒めきが歓声に変わった。
「か、鏡だ…」
「あんな大きな…ガラスの姿見…」
「し、しかも、あの外枠の見事な細工は…」
「ま、間違いない。王宮にもあれだけの物はきっと無いわ…」
「そ、それが…、二つも…」
「こ、これは…なんと…」
「師父様…」
会場中の視線が今、現れた二つの鏡に集まっていた。
□
時は少し遡る…。
白金貨と人工宝石のサファイアを材料にガントンさんたちは各種の装飾品を半日もかからずに製作を終えた。
「のう、坊や?蒼石以外にも宝石がまだ余っておるが、コレはどうするんじゃ?」
「そうだべ、これだけ綺麗な宝石ッコロがまだまだあるべ。使わないんだべか?」
マオンさん宅の庭にある石木のテーブルで仕事終わりのお茶を飲みながらガントンさん、ゴントンさんの兄弟が僕に尋ねる。
「ええ…、実はもう一度みなさんのお力を借りたいんです」
「どういう事じゃ?」
「みなさんにこれを使って姿見を作っていただけないかと…」
そう言って僕は納屋に置いていた物を持ってきた。ホームセンターで買った2980円のスタンドミラーである。
「が、硝子の鏡でやんす!」
「これは大きい…興味深いですねエ…」
ベヤン君を初めとして弟子の皆さんも興味津々のようだ。
「外枠はチャチだが間違いない、硝子の鏡じゃわい。なるほど、坊や…」
「俺たちにあの宝石も使ってこの鏡の外枠や仕上げを…ちゅう事だべな」
「はい、奥方様やモネ様への引き出物にしたいんです」
僕がそう言うとガントンさんは目を閉じ、何やら考えてから口を開いた。
「これでは足りぬ。欲を言えばもう少し鏡の大きさが欲しい」
なるほど、さもありなん。
このスタンドミラー、長辺は120センチはあるけれど幅は20センチを超えるくらいしかない。
「兄貴ィ、そりゃ無理ってモンだべ。そんな鏡サあったならどんだけ銭ッコがかかるか…」
「分かっておる!!だが、せっかくの硝子の鏡にあの宝石じゃ。どうせなら心から納得いく物を作りたいじゃろうが!せめて小さくとも他にいくつかあれば…」
「あれば出来るんですか?」
「ん、おお。硝子の側面部分を削り合わせてピッタリと合わせてやれば一枚の鏡のように出来るぞい」
「分かりました、是非それでお願いします。今夜にはお持ちしましょう」
「手に入るんだべか?」
「こりゃ!ゴントン!」
ガントンさんが弟を窘める。
「坊やの言じゃ、口を出すでない。それに仕入れの事を聞くは御法度じゃ。…すまんの、坊や。かく言うワシも興味はあるが…、それより紙をくれぬか?坊やが戻るまでに意匠を考えておく」
「はい。あと可能であれば奥方様、姫様のと二つ…」
「ふはは!任せておけい!だが坊や、その代わり…」
「はい、何かお酒を見つくろって…」
僕はそう約束してその場を後にした。
□
「私が用意したのは大小二枚のこの鏡です」
台車に乗っていたのは石木に彫刻を施したものを外枠にした大小二つの鏡。
「おお、野薔薇ですな…」
ヒョイさんの呟きが聞こえた。
「我がナタダ家の紋章は野薔薇…」
「師父様、これはもしや?」
「畏れ多き事ながら石木に野薔薇の彫刻をし、宝石を散りばめ外枠にいたしました」
「何故じゃ?」
「この鏡は奥方様、そして姫様のためにのみ作らせた物だからでございます」
「なるほど、我が家の紋章を施す事でこの鏡は他の誰に対しての物ではない…そう言いたい訳じゃな」
「はい。さらに散りばめた宝石には御家の富と繁栄を願いましてございます。他にはない、ただ一つのものを…と」
「ただ一つの…」
「はっ。言いかえれば私の命と同じにございます」
「命と同じ…とな?」
「この鏡はもう同じものは手には入らぬものにございます。仮に他のどなたかに自分も欲しいと言われても御用意することは叶いませぬ。言わば命と一緒、他に替えが利きませぬ。それに…」
この贈り物を見て自分も欲しい…、そんな事を考える人がいてもおかしくない。そういう人が来ないように予防線を今のうちに張っておきたかった。
「それに…?」
奥方様が先を促してくれた。
「こちらをご用意するのに金を使い果たしました。別の物でも構わんと言われてももう他の方にご用意する事も叶いませぬ。明日からまた新たな気持ちで商売に励もうかと存じます」
「師父様…、それは…」
思わずといった感じで口を開いたモネ様に僕は笑顔で首を左右に振った。心配はいらないと、そして本当に使い果たした訳ではないと…。
「ゲンタよ、これだけの品々を用意して…其方は何を望む?」
奥方様から問いかけられた。これまでの参列者は誼を通じようとしたり、ハンガスたちのように取り入ろうと必死な感じだった。
「…何も望みませぬ」
だから、せめてそういうのとは無縁な自分でいたかった。贈り物に釣り針と糸を付けるようなマネはしたくなかった。
「あくまでこれらはお二人を寿ぐための品…。ただそれだけにございます。大小二つあるは畏れながら奥方様と姫様を意図してございます」
「ほう?大きな方は妾、小さな方はモネの姿見という事じゃな」
「はい。また小さな方はこうして…」
僕は小さな鏡を地面と水平になるように持ち上げた。
「シルフィさん」
「はい」
返事をするとシルフィさんが鏡の縁を軽く押した。すると鏡面が上下に回転、その映す角度が上から下からと変わる。
「こちらは小さな姿見として、また机に置けば化粧鏡にもなりまする。これならば姫様が幼いうちは姿見として、御成長あそばされた後には化粧鏡としてお使いいただけます。また化粧鏡であらば奥方様にもお使いいただけます。それに手鏡であらば婚姻を申し出る物なれど、常に持ち歩くものではない備え付けの鏡ならば下衆な勘ぐりをする者もおりますまい」
「ゲンタよ、そなたの心使いありがたく思うぞ」
「師父様…」
「誠に勝手ながら私はこの大小二枚の鏡を母娘一対の鏡と名付けましてございます。どうぞ末長く御愛用いただければこれに勝る喜びはございませぬ。何卒お納め下さいませ」
そう言って僕は深く頭を下げた。
いかがでしたでしょうか?
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次回予告。
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子爵邸での夜会。
それに相応しくない者がいる。
次回、第401話『御退場いただきましょう(ざまあ回)』
お楽しみに。