第399話 その名は水精霊(アクエリアル)
この話、ずっと書きたかったんです。
「ほう…。妾の喉を…、潤すと言うのかえ?」
ラ・フォンティーヌ様が僕に尋ねた。
「はい。もちろん御息女様におかれましても…。お二人はずっと招待された皆様にご対応されておりました。その間、水の一滴も飲む事なく…。それゆえまずは…」
カラカラカラ…。
食器などを置いて運ぶワゴンにステンレス製のアイスペールを二つ乗せて侍女のコレットさんがやってきた。
「こちらです」
そう言って僕は手元に届いたものの紹介し始める。
「氷にて冷やしておきました葡萄酒にございます…」
「ほお…」
奥方様がわずかに身を乗り出した。
「今回の夜会、酒食を饗じたのはそなたじゃ。当然、葡萄酒も…。あれは飲みやすいものじゃった。それとは別に妾に献ずると言うのかえ?」
「これら全ての酒食を…」
「何者だ…、あの若者は…?」.
僕を知らない人たちは小声で囁き合い…、
「あれは広場の…」
交友関係にはないが僕の事を知っている人はこれからの事を固唾を飲んで見ているようだ。
「わざわざ妾に…、と言うからには何かあるのかえ?」
「それは…、是非お楽しみの後に…」
僕はアイスペールから瓶を取り出すと付着した水滴を丁寧に拭き取り、コルクを抜きにかかる。
「まさか葡萄酒をお勧めするとは…」
「いやはや、いささか身の程を知らぬと見えますな…」
周囲から洩れる声が聞こえた。
「ナタダ子爵夫人は果樹園もお持ちで葡萄酒も作らせていた事があると聞く、当然酒にもお詳しい。その方に葡萄酒を勧めるなど…」
「あの若者にそう何度も幸運が続きますかな…?」
ワゴンの台座部分にワイングラスを置きボトルから中身を注いでいく。濃い目のワインレッドの液体が溜まっていく。
「テーブルの上でなく申し訳ございませんが…」
「構わぬよ。それに其方がわざわざこうして用意した物…。気にならないと言うては嘘になる」
二つ目のグラスには少しだけ注いだ。こちらはモネ様の分だ、まだ幼い彼女にはあくまで口を付けると言うだけの形式上のものだ。
「ありがたくいただくぞ、ゲンタ。…毒見は無用じゃ」
ラ・フォンティーヌ様が近くの侍女に言った。出された物に対して上位者が毒見をしないというのは全幅の信頼をしているというなによりの証、僕にとっては金品に代えられぬ名誉である。
「ふむ…。………ッ!!?」
グラスを揺らし少し香りを楽しんだ後、ワインを口に含んだ奥方様が驚いたといった表情でこちらを見た。
「母上様、これは!」
グラスにワインをほんのひと舐めする程度の量だけを注いだものに形だけ口をつけたモネ様も驚いている。
「ゲンタ、二杯目じゃ。今度はも少し多めに注いでくりゃれ」
「ははっ!」
「子爵夫人がすぐさま二杯目を求めるなど…」
「信じられぬ!いかなる味がするというのだ!?」.
言われた通り先程より多めに注いだ。続いて僕はモネ様の分として新たなグラスを用意しこちらはデキャンタからやや白みががった液体を注いだ。
「こちらは…?」
「姫様、こちらは新鮮な葡萄を絞ったものにございますよ。酒精は入っておりませんのでご安心してお召し上がり下さい」
ノンアルコールのジュースなら幼いモネ様にも安心して飲んでもらえる、そう思って用意したジュースだ。同時に僕が説明するとピクリとシルフィさんが反応した。あ、葡萄が大好きなんだっけ…。
「これはなんと豊かな味わいじゃ!濁りも無く澄んだ見た目に違わぬ味わい、それでいてこの深みのさえ感じる甘さは…」
このワインはネットで調べて購入した一瓶で6500円ほどのロゼワイン。女性人気がとにかく高いものだった。ちなみに6本まとめ買いしたら29800円、…うーん、自分で飲むには絶対買わないだろうな。
「葡萄酒好きなら金貨五枚…、いや十枚出してもこの一瓶を求めるであろうよ。それだけこれは素晴らしい」
「ナ、ナタダ子爵夫人にそこまで言わしめるとは…」
「そこまで美味と言うのか…、どこの葡萄酒醸造所の物だ?」
周囲が騒つく中、奥方様は二杯目を飲み干した。
「ふふふ…、美味い。これを口にして胸をときめかせぬ女子はおるまいよ。ゲンタ、三杯目じゃ。妾の願いじゃ、先程よりも多く注いでたも」
少し甘えるような申し出…奥方様は元々たいへんな美人、そんな方にお願いなんて言われて『駄目です』なんて言える男はいないだろう。かくいう僕もその一人。
「かしこまりました。では、なみなみと…」
奥方様はとても気に入ったようで三杯目も上機嫌で飲み干した。お酒にとても強いとモネ様が言っていたがまさにその通り、まるで酔った様子も無い。そのまま空いたグラスの縁を親指と人差し指でツゥとなぞった。
「返杯じゃ、其方も飲むが良い」
奥方様は空いたグラスに自らワインを注ぎ始めた。格上の相手の酒杯を頂いて酒を賜るというのは名誉な事だそうだ。
「ありがたく頂戴いたします」
「これは何という葡萄酒じゃ?見慣れぬラベルが貼られた瓶、如何な銘酒か気になるのう…」
「ええと…」
なんて名前だっけ…。やたら長い名前だったけど、スマホの画面とにらめっこしながら探したからなあ…。
ぴちゃぴちゃぴちゃ…。
「おや…」
「あっ!」
気がつくとグラスの縁から手を伸ばしつまみ食いならぬつまみ飲みをしている水精霊の姿があった。
「も、申し訳ございませぬ。私と共に来た水精霊が…。セラ、駄目だよ」
酒好きなセラ、奥方様が美味しそうにワインを飲む姿に我慢が出来なくなったのだろう。慌てて僕はセラを嗜めた。
「構わぬ。それにしても…ふ、ふふふ…。ゲンタよ、良ければ妾に別名をつけさせてくれぬか?」
「そ、それは…、御心のままに」
「なれば…、水精霊でどうじゃ?」
「水精霊…」
「そうじゃ。水精霊さえ思わず盗み飲みに来てしまう程の美酒…、どうじゃ?」
「はい、この上なき名前かと存じます!」
「うむ。さあ、早く飲むが良い。飲み頃のワインがぬるくなってしまうでの」
「お流れ、頂戴いたします」
よく冷えた甘いワインが口に広がった。
いかがでしたでしょうか?
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次回予告。
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次回、第400話。
『母娘一対の品』
お楽しみに。