第397話 メッキが剥がれる伯爵令嬢(ざまあ回)
「これだけ見事な手並を見せている主催者側に手落ちがあるのか…、この魚…私が試みてみよう」
現れたザンユウさんの言動に人々の注目が集まる。
「ザ…、ザンユウ・バラカイ…。あの方がこの夜会に…。それだけでナタダ子爵家の名も上がろうというものだ…」
「彼が口にした料理が認められれば、それすなわち王宮の晩餐会に並ぶものと匹敵するのと同じ…」
「ど、どうなるのかしら…?」
ざわ…、ざわざわ…。
えっ?ザンユウさんってそんなすごい料理界の権威みたいな感じなの?そ、それ…ヤバくないかな。認められなかったら…僕は良いけどナタダ子爵家に恥をかかせてしまう…。でも、とにかく食べてもらわないと…。
「ど、どうぞ…」
「ふむ…」
ザンユウさんはカルパッチョを一切れ口に運んだ。
「むう…」
ザンユウさんは一度短く唸るとさらに一口マリネを口に運んだ。目を閉じてゆっくり味わった後、いきなりザンユウさんはカッと目を見開いた。
「この料理を作ったのは誰だあっ!!?」
「ぼ、僕です」
「ぬうう…、やはりか」
ザンユウさんは何か小声でぶつぶつと言いながら僕を見つめた。
「せ、先生。どうしたんですか?やはりそのガキの…」
「魚料理がダメだったんですね!やはりそうか、だからウチみたいに普段から魚を扱って…」
「物を知らぬ痴れ者は黙っておれ!!」
ヘラヘラ笑いながら近づいてきたハンガスとブド・ライアーをザンユウさんが一喝する。虎に吠えられた子ウサギのごとくハンガスたちは身を竦ませた。
「これは何という一皿だ。火を通してはしまっては絶対に味わえぬ生の魚の感触、それでいてこの新鮮さは素晴らしい。これならば生で食べても問題あるまい」
「ええっ!?そんな事がありえるんですの?」
今度はアザレア伯爵令嬢が口を開いた。ザンユウさんはそれ自体は咎めなかったが返事はせず自分の言葉を続けた。
「その新鮮な魚を切り身にして…。オリーブか…上質なオリーブから絞った油…そして酢と塩か…それでいて甘みも感じる。玉葱を刻んだものを…、そしてすこし置いてからさらに魚を入れ漬け込んだ…、ざっと四半刻(約三十分)…いや、その半分か…。そうだな!?」
「は、はい。その通りです、時間までピッタリ…」
「そ、それがなんですの?それに漬け込んだからと言って味が染み込むだけで…」
「愚か者めッ!!」
「ひいっ!!」
今回はザンユウさんも見逃さなかった、アザレア伯爵令嬢を一喝する。
「確かに漬け込む事で味が馴染む、しかしこの若者がした事にはもう一つ意味がある!それは魚など足が速いものを漬け込む事で腐るのを防ぎ安全に食べられるようにする効果があるのだ」
「ええっ!?そんな事知りませんでし…」
「物を知らぬなら黙っておれッ!!」
「ヒイイイッ!」
完全に意気消沈、アザレア伯爵令嬢はブド・ライアーとハンガスと一塊になって怯えている。
「さらにはこの玉葱だ、薄切りにした後にサッと水にさらしている。エグみを抜く為にな、それをよく水気を切り漬け込んだ。だが…、何という…なんという玉葱なんだ」
「バラカイはん、そんな珍しい玉葱なんでっか?」
ひょっこりとゴクキョウさんがザンユウさんの隣に現れる。
「あ、あれはァァッ!?」
「商都の大商人ゴクキョウ・マンタウロ氏!」
「し、信じられん…。ナタダ子爵家はマンタウロ会頭ともつながりがあるのか…」
「…甘いのだ、果実のように。この玉葱、鮮烈な風味がありながら甘さをも内包して…。そ、そうか、分からなかった、何故このような味となるのか。甘みも感じる漬け込みの汁、これは玉葱から出たものだ。だから漬け込み用の汁にくどい甘さが無い。その甘みが魚にも一味加えるのだ。そして…、そして…、ぬううッ!?」
「ど、どうしたんでっか、バラカイはん!」
「甘みを加えた事で味に広がりが出る。だがそれは双刃の剣だ、ピリッと締めるものが無ければただデレッとした味で終わってしまう。それを締めているのが…ぬうう、ぬううッ!」
ザンユウさんが唸る。
「この玉葱はなんだっ!?」
「は、はい。これはとある島国に伝わる特別な玉葱で、その国一番の甘さがあると言われる玉葱です」
僕は淡路島産の日本一甘いと言われる玉葱を買い求めそれを使ってみたのだ。甘いものだと糖度十五度にも達するという。糖度十五度というと葡萄や梨と同じくらい。いかに甘いかが分かるだろう。
「そして、この風味…。こ、胡椒としか思えぬ…。だ、だが…」
「ええっ!胡椒でっか!?そら、メチャクチャや!魚に黒胡椒、アカン組み合わせや。風味がケンカするで、肉に使うモンや!黒胡椒とは違うモンやないんでっか!?バラカイはんッ!?」
「一度はそう考えた。だかあの全体をピリッと締める香辛料、他には思い当たらぬ。若者よ胡椒だな、だがただの黒胡椒ではない!そうだろうッ!?」
「は、はい!さ、魚用にはこちらの…、黒ではなく白い胡椒が合うかと思って最後に振りかけました」
「し、白い…」
「胡椒やて…」
「し、白胡椒と言います。個人的に黒胡椒は肉に、白胡椒は魚に合うかと思っていて…」
「ふ、ふふふ…。胡椒を使い分けたか。しかも、このザンユウを試すようなマネまで…生意気な奴だ。だが、この分なら他の料理も楽しめそうだ。若者よ、勧めたいものはあるか?あるなら早く教えるのだ、うわあはっはっはっは!!」
「あ、あのザンユウが…」
「エルフの食通が認めた…」
「と、いうことは…」
「ここにある料理は王宮の晩餐会の献立に勝るとも劣らない!!」
わああああっ!!
招待客たちが一斉にサーモンのマリネに群がった。
……………。
………。
…。
「ほお!これは…」
「美味い美味い!」
「知らなかったらこれを食べられなかったかと思うと…」
「まったくですな、あの自称『食に詳しい』伯爵令嬢殿の口車に乗って見向きもしませんでした」
「ははは、まさに『無知とは罪』。よく言ったもんですな」
「くっ!!」
伯爵令嬢が羞恥にその顔を着ているドレスのように赤く染めた。
「御来場の皆様、お楽しみいただいておりますか?料理も酒もまだまだありますゆえ存分にお楽しみを」
主催者であるラ・フォンティーヌ様の声。
「おお、ナタダ子爵夫人…ああっ!!?」
振り向いた招待客の一人が声を上げた。
「な、なんという…美しさだ」
「御息女もまた…」
「お、お着替えをされたのか?」
「最初に着ていたドレスも素晴らしかったが…」
誰もがまた母娘の美しさに息を飲む。そこには最初のウェディングドレス風のものから招待客との挨拶をするのに適した軽さと動きやすさを意識したドレスに着替えたラ・フォンティーヌ様とモネ様。先程の純白のドレスから打って変わって鮮やかな赤いのドレスだった。
「こ、これは…」
「なんとも…」
「まさにこれこそ主催者が着るべき赤いドレス…」
ヒョイさんに聞いた夜会のマナーの一つに招待客の女性が着るべきドレスは赤を避けるべきなんだそうだ。そうでなければ主催者より目立ってしまう。だからアザレア伯爵令嬢の服装は厳密に言えばマナー違反という事になる。
「ははは、これはこれは…」
会場の一角でなんか品の良さそうな男性が笑っている。
「ルーグランカスター家の令嬢が貴重と言われる赤い布地のドレスを着ていたが…なんのなんの。子爵夫人と御息女がお召しになっているドレスはそれを上回る…、真紅と言うべき美しさだ。今宵はナタダ子爵家の御息女のお披露目でもある。同じく赤いドレスを着た令嬢のお二人だが本物と偽物、しっかり区別がついたようだ。さて、挨拶をさせていただこう」
そう言うとその男性が奥方様やモネ様の方に歩いていく。その後に何人も貴族らしい人たちが続いた。反対にアザレア伯爵令嬢の周りには人がいない。いや、例外的にハンガスとブド・ライアーがこれまた話し相手もいないような状態で同じように佇んていた。