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第四話 貨幣の認識


 無事に町に入る事を許可された僕は門をくぐり奥に向かって真っ直ぐに伸びる大通りの先に目を向けた。おそらくこの通りがこの町のメインストリート、またはそうでなかったにしても主要な通りではあるだろう。


 見回せば町に、そして人々には活気がある。この町は生きている、それがこの町に入った時の僕の第一印象だ。


 何かの品物を乗せ音を立てながら引かれていく荷車、行き交う人々とそれに向け何かを売り込もうと声をかける人々、遠くからは何か作っているのか作業をしているのか物を打ち付けるような音がする。


 コロナ禍の日本では自粛自粛と息を潜め、物陰に(うずくま)る亀のような日常を強いられている。日陰のような印象を受ける今現在の日本とは根本的に何かが違うこの町、生きている…そんな雰囲気に包まれている。自粛し耐える…それが日本に生きる僕たちの今できる精一杯だとしても違いすぎるものを感じた。。


 この町に入って感じるそんな活気をどこか懐かしく、(うらや)ましいと感じると共に、僕は言いようのない寂しさをも同時に感じていた。


 また元通り普通に暮らす事の出来る毎日が僕たちに帰ってくるのかと…。



 今は昼飯時になったくらいだろうか、あちこちから食べ物を売ろうという威勢の良い声が聞こえてくる。天高く昇った太陽が短く僕の影を進行方向へと伸ばしている。


「…って事は、今入ってきた町の入り口が南の方角なのかな」


  大通りを歩きながら推測する。


 歩く先…、町の北側には小高い丘が見える。そこには一際(ひときわ)大きな屋敷が見えた。高い所にある大きな屋敷…、うーん…お金持ちさんなのかな。


 さて、町に入ってから北にゆっくり十五分くらい進んでいくと東西を結ぶこれまた別の大通りと交差した。その北西側…向かって左正面の(かど)に一際大きなレンガ造りの建物がある。周りの建物とは一線を画すそれは三階建て。他は木が剥き出しの木造の建物が多かったりするのにこの差はあまりにも大きい。これは何やら羽振りの良さを感じる。


 この建物には看板があり、文字だけ見るとなんだかよく分からない変な形、しかしその意味は頭に入ってくる。『商業ギルド』、それがこの文字の意味するところだった。


「ギルド…、いわゆる同業者組合ってやつか…。昔の日本なら株仲間とか座とか…、そういうやつか。まあ、僕には縁のない場所か」


 このまま北に向かえば例のお屋敷、知らない場所だし行ったところで入れる訳もなし。そこで僕は今いる大きな通りが交差したこのつじ(交差点の事)を左に折れる事にした。つまり西の方角へと向かってみた訳だ。


 商業ギルドがあったせいか、先ほどの辻より西側は小売の商店が多い。小売の店と言っても日本にあるようなコンビニくらいの小さなものではない。店舗以外に蔵や居住スペースなども敷地内にあるような大きな敷地を持っている。いわゆる大店おおだなってやつだろう。そんな大店がこの通りにはのきを連ねている。


 こういう店がたくさんあるんだからこの辺りは商業区域なのかなと予想が浮かんでくる。しばらく歩いたが、やはりどこも大店(おおだな)だ。衣服や雑貨、薬なんかを扱う商店もあった。この通りでギルドと同じ列に並ぶ店舗…、日本で言えば大企業なのかな。だとすると、この商店群がこの町の経済を握っているのだろう。


 逆に通りには面しているが北向きの建物には食品や本などを扱う店が建ち並ぶ。あちら側が(はな)ならば、こちらは(じつ)を取るような派手さは無いが堅実というイメージだろうかりあちこち見回しながら歩いていたが、僕はいつしか町の西外れに着いていた。


 今まで見てきた中で感じたのは、ここはやはり現代日本ではないという事。


 今の今まで自動車の一台も見なかったし、携帯電話を持った人もいない。そして店先のあらゆる物が手作りのようだ。

町行く人々の服装は皆一様に同じような形、そして色、おそらく布地の染色していないのではないだろうか。綿か麻かは分からないが、とにかくそれを布にしたものをそのまま縫い付け服にした、そんなところではないかと思った。


 もしかするとこの辺りは日本と比べ産業が立ち遅れているのかも知れない。そう考えると辻褄が合ってくる。


 例えばお金、どうやら使われている硬貨コインに何も刻印がなく、門番が通貨単位ではなく貨幣の『種類(材質)と枚数』で関賃を求めた事からも窺える。普通なら通貨単位で…、10ドルとか10ユーロとか言うはずだ。


 だが、それを言わずに白銅貨10枚と言ったのはこの辺りには明確な通貨単位が無い…、あるいはその通過単位に信用が無いから貨幣そのものの材質にその価値を信用させるしかないのではないだろうか。


 ちなみに、先程の門番さん達には『元五百円玉=大白銅貨』以外に『元百円玉』も見せてみたところ間違いなく白銅貨だと言っていた。つまり、白銅貨と大白銅貨が百円玉と五百円玉と同じ1:5の価格比であるようだ。


 また五十円玉は小白銅貨と呼ばれ二枚で白銅貨一枚分、十円玉は青銅貨と呼ばれやはり十枚で白銅貨一枚分とされるが、特に青銅貨のほうは正規の貨幣とは扱われておらず、アメリカの通貨単位ドルの補助通貨であるセント(1ドル=100セント)のような扱いらしい。


 しかもその青銅貨は別名『貧民(ひんみん)の通貨』と呼ばれ、貴族や金回りの良い者などからは特に(さげす)まれているそうだ。少なくとも商会同士の正式な取引では絶対に使われるような事はなく、一般市民も普通は…あるいは滅多に使わないという。


 青銅貨が出回るのはスラムのような場所で、パン一個を満足に買えないような人にパン半分を切り売りする時とか、露店の何の肉だか分からないような物が入ったスープの価格が青銅貨数枚で売られているらしくその支払いに…という事らしい。


 また、大店でない普通の商店なども普通は貧民などは相手にしないそうだ。店に貧民が出入りすると何かが盗まれたりする危険があるし、店としても貧民が出入りするというだけで店の格や信用が疑われる場合もあるという。


 今の日本で言えば…、明らかにホームレスと分かるような風体(ふうてい)の人が生鮮食品を扱う店に出入りしているようなものだろうか…。差別というのは良くないが、どうしても気分良く買い物できるとは思えないし、日本人は清潔(クリーンネス)にはうるさい。


 いずれにせよ、スラムなど立ち入ると危険な場所もあるようだ。注意しなければならない。


 さらに余談だが一円玉と五円玉は変化しなかった。十円玉でさえ『貧民の通貨』と言われているのだ、それ以下の貨幣価値となるともはや価値を見出せないのだろうか。


 しかし、僕のリュックに入っているパンは昨夜、数十円で入手したものだ。この町の常識で言えばまともに店にも入れてもらえない人の所持金で買うような商品…。だけど、決して悪い物なんかじゃない!衛生的でしっかり栄養がとれて美味しいんだ。


 それに日本には『一円を笑う者は、一円に泣く』という言葉だってある。物やお金、そして人を大事にする。綺麗事になるかも知れないが、僕は今バイトも休業になるような身の上だから一円たりとも無駄には出来ないし…。


 いつも目にしているお金、だけどそれに対する意識をこの見慣れぬ場所で新たに強く持つ事になろうとは…なんとも不思議な事だと僕はつくづく思うのだった。

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― 新着の感想 ―
説明がしっかりでどんな町か分かりやすい! 貧民が集まる町なら付近では栄えてるのかなー 安い値段でパン売ったりしたら暴動起きそう!
[一言] 異世界と日本の貨幣が若干見た目が変わったけど同じような扱いと言う仕様もいいですね。 白金、金貨、銀貨、銅貨と言うくくりが異世界物では一般的だけど日本の通貨にほぼ置き換わっている方がしっくり…
[一言] 初めて町に向かう道中や今話の街中の様子や人々の服装具合や商品、建物の描写もいいです。 想像をかきたてられます。
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