第38話 未知と出会う宴会(2) 食パンの力(ちから)、ナジナの涙。
俺が先陣を切る、そう言って食パンに嚙りついたナジナさん。
固唾を飲んで見守る周囲の面々は、言葉を忘れたかのように夜独特の静けさに合わせるように沈黙する。
『さくっっっっ!」
乾いたような静寂に、ナジナさんが焼き目付いた食パンを嚙る音がやけに甲高く響く。驚いたように目を見開き、無言でそれを口の中で咀嚼するナジナさん。
ごくり…。誰かの生唾を飲む音がした。そして…
「相棒…」
一口目を食べ終わったナジナさんが静かに最も頼りにしているであろうウォズマさんの名を呼んだ。
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「お、俺ァ…、もう…駄目だ…」
まるで戦場で致命傷を受け、戦友に看取られながら今にも命が尽き果てようとする兵士の様に弱々しく口を開いた。
「わ、分かっちまったんだ…、俺は。真に美味えのは…、パンであると…。み、見えるか…、ウォズマよう…。このパン、キツネ色の焼き目が付いちゃいるが…、本当に、本当に真っ白なパンなんだぜ…。小麦ってのは実の真ん中…、本当の芯にしか味も良く香りも立つ粉を挽けねえ…。それが無きゃこんな白いパンにはならねえ…」
うっすら涙ぐみながら、ナジナさんは続ける。
「俺は山間の瘦せた…、貧しい村の出身でよう…。生まれつき身長が高く、手足が長い子供だった。ちいとばかし力も強かったから農作業と、空いた時間は山や森に入って食える物を探した…」
「痩せ過ぎた土地、陽も長い時間当たらねえ土地柄で、小麦なんて村でも陽当たりの良い限られた土地しか育たねえ…。だから黒麦を育てた…。このパンは酸っぱくて、固くて…、それでも採れるだけまだ良かった」
「飢饉が…、あったんだね…」
ぽつりと、マオンさんが口にした。
「ああ…、その通りさ…。痩せて寒い土地柄…、生きていくにはギリギリだ。そんな土地でも育つありがたい黒麦だけどよ…、雨だ曇りだで陽がささなきゃいくら黒麦でも育つ物も育たねえ…。知ってるかい…?脂が採れる木の皮を剥いでな…そこの裏の柔らかい所を刮ぎ取るんだそれを黒麦の粉に混ぜて量を増やしてな…、パンとも呼べねえような物を焼くんだ。それでもな…、それでも食えるだけまだ良い…」
ぼたっ…。ぼたっ、ぼたっ。ナジナさんの頬を伝い、涙が地面に落ちる。
「その年は春先からおかしかった。ずっと寒くてよう…。小麦は言うまでもないが、黒麦まで中々育たねえ…。それでもな…、それでも俺が森や山で採って来た物があったからな…、まだ食いつないでいけたんだ」
涙と共に後悔や苦悩…、そんな色んな物が入り混った表情を浮かべナジナさんが言葉を絞り出す。
「俺は本当に糞餓鬼だった…。夏に秋…、木の実や小さな動物も採ってきた。俺が家族の要になってる。そんな風に考えてよぉ、どんどん山や森の奥に入ってくようになっていった。ロクに考えも、準備もしないでよう…。森や山の奥の方にゃ、もっと大きな獲物がいるってな…、勝手に思い込んでた…」
ぎゅむうう…、ナジナさんが拳を固く固く握りしめる音がする。
「俺にゃあよう…、姉ちゃんがいたんだ。体ァ、弱くてな…。俺が採ってくる、毒さえ無けりゃ良いと採ってくるどんな奇天烈な物でも食えるようにしてくれる…、優しい姉ちゃんだったぜ…」
ふう…、一息ついて言葉を続ける、ら
「なんせ食える物が少ねえからな…、だから姉ちゃんは体が弱いのかなってな…、もっと大きな獲物を採って食わせてやればきっと精がつく…。そう考えたは…、猪を狙ったんだ。精も付くし量もある。丁度、猪は親離れする時期だったんだ。だから、そこそこの大きさの猪なら群れから外れたばかりの一匹猪、狙うならそいつだと思っててよ…、そんな猪ん見つけるなり俺は仕掛けたよ…」
パチンッ!竈の中の火の着いた木炭が爆ぜた。
「だがよ…、その猪はまだ親離れする寸前だったんだろうな…。後に控えてやがったんだ、大猪がよ…。必死だよな、自分の子がやられるかも知れねえってなりゃ人も猪もよう…。俺ァ…、親の猪に突き飛ばされてなァ…、山肌転がり落ちて足ィやっちまった。なんとか家まで帰ったがよう…、動けなくなっちまった。幸い命に別状は無かったが…、いや、幸いなんかじゃ無えな…、最悪だ…」
「ナジナさん…」
「怪我してたってメシは食う…。少ない食料…、働けない俺でも腹は減る…。俺が食っても何にもならねえ…。それなのによ…、姉ちゃんは俺に食わせた…。俺の両親は物心ついた頃には伝染病でな…、それ以来、二人でずっと暮らしてきたんだ…。姉ちゃんだけどよ、俺にとっちゃ優しい母親でもある…。俺が動けねえから、一人で働いて…俺の面倒見て…、寒い冬に無理をしてよう…、俺が何とか動けるようになった頃には…、今度は姉ちゃんが倒れちまった…」
小さなアリスちゃんまで…、誰も声を発さない。
「もう冬の半ばでよぅ…、兎一匹…野ネズミ一匹なかなか出てきやしねえ…。ロクな物が無くてな…。村のまわりの木の皮もあらかた剥いで、口に出来る物が無え。寒かった春、陽が差さねえ夏…、食える物が減りゃあ獣も飢える。だから、数が減っちまったんだな。せめてあの怪我をしてなけりゃ、本格的な冬の前に兎でも何でも狩って干し肉にでもしとけば食いつなげた!大物なんて狙わずにコツコツ、自分の状況を見て背伸びなんてしねえでよう…。ほんの少しだけ残っていた黒麦を粉にして脂樹の表皮を剥いで…それすらなかなか無くてな…。出来たパンも黒麦の割合が少ない…木の皮を煮て裏側の柔らかい所を刮ぎ取った部分ばかりのパンとも呼べないくらいの…、貧しいパンだった」
ナジナさんが二口目を嚙る。
「こんな風に小麦の香りなんかしねえ…。あの木の皮を混ぜたパンは黒麦の酸っぱさ固さ…、それすらも無え腹に入るってだけの物だ。鼻につくような青くさい…害虫を潰した時みたいな臭いが口の中に広がる…。美味さの欠片も無え、ひどい物だ。だが、それでも食わなきゃ飢えて死ぬ。そんな物しか用意してやれない…無力な糞餓鬼。…それが、俺だったのさ」




