第369話 エネルギーを余すところなく。〜 姫様、ご入浴 〜
「ここが鍛冶場…」
初めて見た光景にモネ様が声を洩らした。
「初めて目にしたのかの?無理もないわい、職人でもなければ立ち入った事がなくとも不思議ではないからのう」
マオンさん宅の裏手、そこには一つの扉があり開けると地下に続く階段がある。そこを降りていくと地下室がありドワーフの皆さんの鍛冶場や居住スペースになっている。その鍛冶場の一番奥に新たに設けた奥に長い暖炉のような形状のもの…、反射炉があった。
「姫様。この炉の奥に長く、さらに煙突状の部分の形状に秘密がありまして…。燃料を燃やして産まれた燃波を内壁が反射させ集約させる事によりさらなる高温を実現するのでございます」
僕は簡単に反射炉の機能を説明していく。
「広範に散ってしまう熱を一か所に呼び戻すようにするのでございますか?」
「御意にございます」
わずか八歳の女の子だが反射炉の効果を早くも理解しているらしい。奥方様の見立て通りモネ様は相当な才があるようだ。
「炉を高温にする事が出来ればより簡単に大量の鉄を得る事が出来る!いや、それだけではないぞい!鉄よりも高温でなければ得られぬ金属も得られそうじゃ!」
「そうなればより町に鉄が行き渡るようになりましょう。町衆の暮らしも豊かになり、より得られる物が増えまする」
「すると領が潤う訳ですね」
「はい。余剰が生まれればそれを売って金銭を得る事も、それを用いて町をより拡大する事も出来まする。つまりは出来る事が増えるという事にございます。例えば農奴に貸し与える農具を鉄器(鉄製の道具)にかえるなどすれば…」
以前、町の南方の窪地に橋をかけた事があった。その時に使っていた土掘り道具が木器(木製の道具)だったが、鉄製のシャベルにかえたところ効率が劇的に変わった。もちろん冒険者の皆さんの身体能力とガントンさんたちドワーフ族の技術を結集したからであるけど道具の差が能率を向上させた事は間違いない。
「生産力が増すという事にございますね」
「左様にございます、姫様」
「して、師父様。先程のお話ではこの鍛冶場は鍛冶に使う以外にも利用出来るというような口ぶりでしたが…」
「ええ、それをこれからお見せしますよ。セラ、あの箱に水を入れて。ホムラは炉に火を入れて」
僕の言葉に頷きセラは地上に飛んで行った。ホムラは炉の中に炎を生み出す。
「本来なら石炭や木炭を熱源とするのですが、本日は精霊の力を借りまする。このようにして炉内を加熱する訳にございます。すると鉱石が熱せられる事になりますが熱くなるのはそれだけではございませぬ」
「…と言いますと?」
「鉱石だけでなく炉内の壁面、そこも熱を帯びまする」
「あ…」
「その壁面…、その裏側は空洞にしておりまする。そこには地上から水を流し込み満たしてございます」
地上に行っていたセラが戻ってきた。
「もう良いようだね。ホムラ、セラ、ありがとうね。それでは地上に戻りましょうか」
□
「炉で使った熱を?」
「はい、姫様。それを使って水を温め湯にしたのがこちらでございます」
僕はそう言ってマオンさん宅の一階部分にある水を満たしたタンクに案内する。もっとも今は熱湯になっている訳だが…、そのタンクには量り売りをする焼酎やワイン樽に付いているような蛇口を捻ってやるとたちまち熱湯が注ぎ出た。
反射炉の高温はもちろん鉱石を熱する為だ。と、同時に炉内の壁面もまた高温になっている。そこに触れる部分に水を満たしてやれば当然それは湯になる。以前ゴミ焼却場で発生する大量の熱で温水を作り、それを入浴施設に給水し利用する自治体のニュースを見た事があった。そこではお風呂の他にも温水プールなどがあり有効利用されているという。
「これなら大量の湯を得る事が出来まする。これを使えば蒸風呂ではなく、湯を張った風呂に入る事も出来ます」
「まあ…」
モネ様が目を輝かせた。
湯水の如く使う、そんな言葉が日本にはある。しかしそれは国土の七割以上が山林で綺麗な河川も多い日本だからある言葉である。土木工事の発展で今は地面となっている所の下にある河川…暗渠と言われるそれも昔は地表からその姿が見えたものである。
即ちそれだけ薪になる木も、飲用に適した水も比較的手に入りやすかったというのが言える。しかしこのミーンで手に入る水はここマオンさん宅にある地下水を得る事が出来る掘り抜いた井戸でもなければ、川の水を地下に埋設した掛樋(水を引いてくる水道管のような物)を通じて町の各所にある共用井戸に引いて来たに過ぎない。その共用井戸で水を汲めば多少の濁りもあるし、時には魚をはじめとした生き物が水と一緒に汲桶に入っている場合もある。
仮に湯を張った風呂に入るなら澄んだ綺麗な水が必要だし、薪だって必要だ。澄んだ水を大量に得るなら汚れを漉す労力が必要だし、湯を沸かすには薪を買わねばならない。つまり湯を張った風呂というのは大変な贅沢というものなのだ。
それゆえに町衆の入る風呂というのは共同浴場の蒸風呂である。これなら密閉した場所で石を熱したものに水を時々かけてやり蒸気を発してやれば良い。濁り水のままで構わないし、何より薪も大量には必要としない。宿屋などでは湯を張った盥が有料で頼めるそうで、その湯に布を浸し絞ったもので体を拭くのだという。
「これはな、ワシらの為に坊やが考えてくれたものなのじゃ」
「オイラたちが鍛冶場に入るとなればそこはもう高温の世界でやんす。何もしてなくても汗が吹き出るくらいでやんす。それでゲンタ君は鍛冶に使った熱を湯を沸かす事にも利用しようとしたんでやんす」
「鍛冶仕事が終わる頃、我々は大雨に降られたくらいに全身がビショビショですからネェ…。布で身体を拭いたくらいではサッパリしないのですヨ。そこでゲンタ氏は湯を沸かす仕組みを考えてくれたんですヨ…」
「そうだべ!それに…あ、あの『ぼでいそうぷ』っちゅうモンも用意してくれたんだべ!」
「ぼ…『ぼでい…そうぷ』…ですか?そ、それは一体?」
「えっと…、姫様。シャンプーはご存知ですよね?」
「はい、勿論。あの髪がツヤツヤになり良い香りもする師父様秘蔵の霊薬にございますね!」
「あれは髪を洗う為のものなのですが、ボディソープは身体を洗う為のものにございます」
「まあ!もしかしてそれは『しゃんぷー』のように泡が立ち良い香りがするのでは…」
「おうおう、そうだべ!」
「きゃあ!なんという事でしょう!師父様、お、お願いが…」
いくら聡明であろうともモネ様もやはり女の子。ボディソープに大変な興味を持ったらしい。その日、早くボディソープを試してみたいと言う姫様であったがさすがにこれだけ人がいる中ではいくら建物内といえども入浴という訳にはいかない。
そこで今日は手首ぐらいまでを洗う程度にとどめたのだが、翌日なんと彼女は入浴していく事になる。マオンさん宅は厳重な警備が敷かれた。建物付近は侍女の方やシルフィさん、敷地外部は騎士の皆さんやモネ様の人柄を気に入ったガントンさんたちドワーフの皆さんが加わり警備している。二つ名持ちの凄腕冒険者が三人もいる警備体制など余程の事であるらしい。その日、マオンさん宅はミーンの町の中で最も治安の良い場所であった。




