第337話 それぞれの思惑。
ミーン商業組合にある会議場には組合長であるハンガスと幹部たちの姿があった。いわゆる商業組合の加入員であると共に理事も務めている。そんな幹部たちの中で今ここに姿が見えないのは副組合長を務めるブド・ライアーただ一人。その彼は周囲の町や村に物産を買い占めに行っている。
「あんな約束をしてしまって良いのかね、ハンガス氏」
幹部の一人からそんな声がかかる。周りの幹部たちも同じ気持ちなのか、皆揃って何か言いたげに見ている、
「なんの問題も無いですよ」
だいぶ余裕を取り戻したようで、ハンガスはゆったりと椅子に座り鷹揚と問いかけに応じた。
「あのババアとそのケチな孫だったと思うんだが、先月の初めにここにやって来たんだ。また、何か言ってたが結局は物売りをしてえと言いやがる。あのババアは板切れのパンを焼けたはずだ…」
「ほお…。店も持たぬ辻売が板切れのパンを焼くとは…。なかなかにパン焼き名人と言ったところですかな」
幹部の一人がそんな感想を言う。並の腕前の職人では石のパンと呼ばれる固いパンしか作れないのが一般的だ。しかもあのような辻売が手に入れる事が出来るのは小麦ではない、荒涼とした痩せた土地でも根付く黒麦を材料にしているはずだ。その食感は小麦と比べてボソボソとして、さらには妙な酸味がある。それを使ってあまり固くない通称『板切れのパン』を作れると言うのならそれは中々の料理上手な老婆である。
「無駄に年齢食ってねえってトコだろうよ」
ハンガスは老婆の事をそう結論付けた。その言に幹部の数人が吹き出すように笑った。
「それにな、思い出してきたぜ…。確かあのババア…、辻に立ってパンを売れば日に四十か五十か…そのくらいの売り上げと言っていた。…仮にあの孫とやらが同じ腕前としたって二人合わせて百個程度…。仮に強気な売値を付けたって白銅貨五枚(日本円にして五百円相当)ってトコだろう、全部売れたって銀貨五枚(日本円で五万円相当)だ。倍にしてやったって…」
「金貨一枚(日本円で十万円相当)ですな」
別の幹部が応じた。
「そーそー。確かに辻売の一日の売り上げの補償に金貨一枚なんて過ぎたご褒美だとは思うけどよ…。だがよ…」
椅子にそり返るように座っていたハンガスがぐいっと身を前のめりにする。テーブルに片肘をつき、周囲の幹部たちを見回すようにして言った。
「それだってただの無駄金じゃねえ。あのゴクキョウに商談するチャンスを手に入れたぜ」
そう、商業ギルドの一団もあの場にただ居た訳ではなかった。
あの辻売が物を売り買うのなら、自分たちの物と比較してからでも良いだろうと持ちかけたのだ。その結果、商業ギルドの面々が用意した物と吟味した上で良い物を買う…そんな言質を取り付けたのだった。
「良え品物を買えるなら、それを断る理由はあらへん」
そう言ってゴクキョウは後の話は五日後だと言わんばかりにギルドの面々を追い払った。その日、商談の場で品物を目利きした上で値段を付け即金で買うと言う。
「さあ、俺たち商業ギルドの力を見せてやろうぜ。この町はもちろん、周囲の町でもエルフの好物とされる葡萄酒も干果物も買い占めてある。よし、こうなりゃ全ての品目を押さえるぞ!」
「えっ!?全ての品目を」
幹部たちが驚きの声を上げた。
「そうよ!ヤツらにはどんなクズ麦の一粒も渡さねえ!そうなりゃパンも作りようがねえ!いや、それだけじゃねえ。全品目だからよう、ヤツらがパンを諦めて何か別な物を売ろうとしても何も出来なくさせちまえば良い!」
「そ、そこまで徹底して…」
「おうよ!それにあのゴクキョウだってただ物見遊山に来てる訳じゃねえだろ。ああやって商談してるんだ、ここで仕入れしておきてえんだろうよ」
一同が納得した様子で頷く。
「さて、こうなると買い占めに動いてるブド・ライアーのおっさんの存在がありがてーな。よし、矢鳩で手紙を出すぞ!果物と葡萄酒だけじゃねえ!なんでも良いからとにかく買い占めちまえってな!」
「おおっ!なんて迅速で果断な行動力なんだ!!」
「ッたりめーよ!俺を誰だと思ってるんだ、ミーン商業ギルドのギルドマスターハンガス様だぜ!」
そう言ってハンガスは不敵に笑うのだった。
□
その頃、冒険者ギルドでは…。
「なるほど…。支払いをその日に合わせるようにすれば良いのですな」
僕がゴクキョウさんたちと話している場に社交場のオーナーであるヒョイオ・ヒョイさんが合流していた。と言うのも、今回の広場での販売においても人魚族の歌姫メルジーナさんや兎獣人族の踊り子の皆さんと営業する予定だったのでその打ち合わせの為。その打ち合わせはほんの数分で終わった、と言うのも前回もやってもらっていたのでその再確認程度のものだったのだ。そして今では全員で紅茶を飲みながらの談笑である。
「はい。ご面倒をおかけしますがよろしくお願いします」
「ほっほっ、私は構いませんよ。それにしても…ゴクキョウさんでなければ口に出来ない言葉ですね。当日に初めて見る物もその場で吟味して値を付けるだなんて…」
「せや!そやからゲンタはん、遠慮のう持ってきてや!ワイ、キッチリ買わせてもらいまっせ!ここまで来たらもう挨拶代わりなんて言わへん、ワイはあんさんに肩入れしまっせ!せやさかい、ワイをアッと驚かせるようなモンを待っとるで!」
「ふむ。そうなると同胞たちを呼んでおくのも面白いかも知れんな…。まだ見ぬ何かに心ときめかすのも一興だ」
ザンユウさんが呟く。
「えっ?で、でも、皆さんにご満足いただける品物が用意出来るとは限りませんよ。僕に皆さんの心をときめかす力がある訳ではないですし…」
僕は慌てて首を振る。
「そんな事はあるまい。そこにおるではないか、お前に夢中になっておる者が…」
そう言ってザンユウさんはシルフィさんを指し示す。
「我らエルフには長い寿命がある。それゆえ刺激を求める者もいる。だが、その刺激は何でも良いと言う訳ではない。取るに足らぬようなものなら目を閉じていれば我らエルフは一月くらいは瞑想していられる。そんな同胞の娘をそうしてお前は虜にしているのだ、魅力が無い訳ではあるまい」
「ほっほ。うちのメルジーナも兎獣人族の娘たちも憎からず思っておりますぞ。ですからゲンタさん、自信をお持ちになって…。それと、もし何か良い物がありましたら是非言って下さい。喜んで購入させていただきますよ、それがあの娘たちを喜ばせる事にもなるでしょうから…」
「おっ!それを言うとネネトルネ商会の方も何か欲しがるんじゃないか!?」
ナジナさんが思い出したといった感じで声をかけてくる。
「…みなさん、ありがとうございます。きっと…、きっと皆さんに喜んでもらえるような品物を用意出来るよう頑張ります」
やらなきゃいけない。
僕が当日持って来たものをゴクキョウさんはその場で値付けして購入すると言っていたが、まさにそれを僕かやらないと…。これは売れる、喜んでもらえる…そんな物をたくさん用意しないと…。
「ゲンタさん…」
「ゲンタ…」
隣にはシルフィさんとマオンさん、二人はこの異世界の物事にに疎いぼくを支え導いてくれる。
「思いっきりやりな、兄ちゃん」
「ああ。オレたちがついてる」
頼もしい護衛、ナジナさんとウォズマさんがついている。
「私たちもいるんですよぉ!」
「そうだぜ、旦那!」
受付のカウンターではフェミさんとマニィさんが盛んにアピールをしている。
もぞもぞ…、僕の頭の上にいるのはサクヤとホムラだろうか。セラはお猪口に注いだ日本酒を楽しんでいて、胸元のポケットのあたりではつんつんと僕を刺激するカグヤ。四人の個性豊かな精霊たちもいる。
「俺たちの事もよォ…」
「忘れておらんじゃろうな」
ゴロナーゴさん、長老さん…。
みんながいる事に勇気が湧いてくる。人数が多いと強気になる集団心理…、それの良い部分が出ている…そう思いたい。
「やるか…」
呟き一つ、決意を新たに。
「た、大変だあ!!…でやんす!」
「ゲンタ氏!『じどうはんばいき』が!!」
扉を開けてドワーフ族のベヤン君とハカセさん、続いてガントンさんたちが入ってくる。
「あの『おでん』を食べた者たちがアレを肴に一斉に『しょうちゅう』を飲み始めてのう」
「も、もうすぐ売り切れてしまうべ!」
「大変だ、補給しないと!」
そう言って僕は立ち上がる。
「ああ、ワイらの事は良えで!商売第一や!」
「はい、すいません!ちょっと失礼します」
お言葉に甘えて僕はギルドの中にある給水口に焼酎の大型ボトルを差し込んだ。ドボドボと大きな音を立ててタンクに焼酎が補給されていく。
「やっぱり酒は手堅い人気を誇るな、ラインナップには当然入れよう。他には…」
僕は焼酎を補給しながら五日後に販売する品物を思い浮かべるのだった。